だが本当に、裁判所は独立した機関と言えるのか。
実は裁判所は、予算や人事の面で行政に依存し、特に法務省との間では深い人的交流が行われている。関西学院大学名誉教授で、犯罪学・刑事政策が専門の鮎川潤氏は、行政訴訟で原告が勝訴するのが難しいといわれる背景には、こうした構造的な問題が潜んでいるのではないかと指摘する。
※ この記事は鮎川潤氏の書籍『腐敗する「法の番人」 警察、検察、法務省、裁判所の正義を問う』(平凡社)より一部抜粋・構成。
裁判所とその制度の在り方
裁判所は他の国権の機関である「国会」や「内閣」から独立し、三権分立を堅持しているはずである。だが残念ながら、そうとは言えないのが実情だ。学校教育の社会科には次のように示される。
- 国会は裁判所に対して、裁判官の弾劾裁判を行うことができる。
- 裁判所は国会に対して違憲審査権を持つ。
- 内閣は最高裁判所(最高裁)の長官を指名し、裁判官を任命することができる。
- 裁判所は内閣に対して違憲審査権を持つ。
また最高裁判所裁判官については、最高裁が候補者のリストを提示し、内閣がそのなかから選ぶことが慣例になっている。
ただし、従来は一名の候補者を提示していたが、現在は、複数の候補者に優先順位を付けて提示しているとのことだが、それでさえも順調に機能せず、内閣が主導権を発揮する機会が増えているという。
三権は、このように形式的な独立性が保障されてはいるが、互いに牽制し合うだけの関係性にはない。
裁判所と国の間にある“交流”
裁判所は、毎年、自らを存続、維持するために予算を通してもらう必要がある。予算の要求にあたっては財務省との折衝を経て、国会で、裁判所の予算案を承認してもらうことが必要となる。また、裁判所は、裁判と裁判所に関する法律について、法務省と交渉して法律案を作成して国会へ提出してもらい、国会で承認を得て成立させ、内閣に施行してもらう必要もある。これもありていに言えば、法務省対策が必要ということだ。
1970年代、国会の与党やその支持団体によって、裁判所に対して、裁判官が偏向した団体に加盟しており、偏向した判決を下しているという批判が強力に展開されたことがあった。
元々は東京大学法学部の学者で、その後、刑法と民法の権威となった教授(加藤一郎、平野龍一ら)の呼びかけによって設立された団体であった。
これを受けた最高裁の事務総局は、裁判官に対して、偏向したとされる団体から脱退するように働きかけ、大多数の裁判官を脱退させた。この団体に所属する司法修習生に対して、裁判官として採用することを取り下げることを数年間にわたって続けた。
また、裁判官は10年ごとに再任用されるが、この団体に加入している裁判官を、継続して任用するのを拒否したりもした。
そもそも裁判官は独立した存在なのか
先にも確認したように、日本は、その根本的な制度として三権分立を取っている。裁判所の独立は、一人一人の裁判官の独立でもある。はたしてそのようになっているのだろうか……。裁判所は行政、とりわけ法務省と密接な関係を持っている。法律や予算の関係ばかりではなく、人事交流も盛んだ。裁判所は、法務省へ裁判官を派遣する一方で、法務省から検察官を受け入れている。これは「判検交流」と呼ばれている。
検察官は、刑事事件は得意だが、民事事件はそれほどではない。そのため、裁判所から派遣された裁判官が、法務省で検察官として、民事事件を担当したり、民事法分野に関して法律案の作成や政策の立案と施行などを行っている。他方で検察官が裁判所へ派遣されている。
現在、103人の裁判官が法務省に派遣されている(第204回国会衆議院法務委員会 第3号 令和3年3月12日 高井崇志の質問に対する竹内努政府参考人〈法務省大臣官房政策立案総括審議官〉の発言)。
法務省における、課長相当職の地位にある検察官と裁判官の割合は約38対34であり、裁判官出身の課長相当職の数は検察官出身の課長相当職の数とほぼ同数と言ってもよいほどだ。
法務省における、局長相当職の地位にある検察官と裁判官の割合は約50対38であり、法務省における裁判官出身の局長相当職も検察官出身の局長相当職の数と遜色のない数となっている(第192回国会参議院法務委員会 第9号 平成28年11月22日 山下雄平の質問に対する高嶋智光政府参考人〈法務大臣官房審議官〉の発言)。
裁判所から派遣された裁判官は、とりわけ民事局と訟務局に多く勤務している。民事局では局長及び課長は裁判官が占めている。
裁判所が「行政機関の守護神」に…?
しばしば問題になるのは、訟務検事についてであろう。行政事件で国が被告になった事件を担当する。住民や国民から国が訴えられた事件について、被告である国の代理人として弁護を務めるというものだ。これは、裁判官が法務省で国を弁護する役割を徹底的に学習し、訓練しているようなものである。
裁判官が裁判所に戻ったのち、集中的に訓練され実践された思考と弁護の戦略・戦術を拭い去ることは容易ではないと考えられる。思考の回路がロールプレイ(役割演技)をしているどころの騒ぎではなく――すなわち、遊びや模擬ではなく――勝つか負けるかの本番の真剣勝負をする。学習効果は計り知れず、行政機関の守護神の思考の回路は、無意識のうちに内面化されてしまうだろう。
行政訴訟では、ほとんどのケースで、原告側の国民・市民が敗訴する。
ある事件において、原告である住民が、事件を担当することになった裁判長がつい最近、訟務局から戻ってきたばかりの裁判官であることに気がついた。調べたところ、その裁判官が過去に法務省で訟務検事として担当していた事件が、今回訴えた事件と類似していることが分かった。
そのため、公平な裁判が期待できないとして、その裁判長を忌避する申し立てを検討していたところ、裁判所が急遽、担当の裁判長を差し替えたということが起きたりもしていた。
法務省へ派遣された裁判官は、裁判所へ戻ってきたのち、エリート裁判官として出世していく。
法務省の民事局長になった人のほとんどは、全国に8か所ある高等裁判所の長官に昇りつめる。さらに、1975年から2015年までの41年間に法務省の民事局長となった17人のうちで、6人が最高裁判所の裁判官になっている。