大阪市の公立中学校で、万博への遠足を前に生徒に対しておよそ2時間に及ぶ“集団行動”訓練が行われていたことが、弁護士JPニュース編集部への情報提供でわかった。
整列、着席、あいさつといった動作が完璧にそろうまで繰り返されたその授業は、生徒に精神的・肉体的な負担を強いたという。
生徒「怒られないように動きをそろえるしかない」
編集部に情報を寄せたのは、この中学に子どもを通わせているAさんで、「子どもたちは『意味がわからないけど、怒られないように動きをそろえるしかない』と精神的にも体力的にも消耗していました」と話す。「遠足など行事の前に団体行動の練習をするのは100歩譲ってわかりますが、動作が完璧にそろうまでやらせる必要があるのでしょうか…」(Aさん)
たとえばインターネット上で確認できる愛知県教育委員会「集団行動指導の手引」には、指導上の留意事項(第3章)として、以下のように記されている。
〈集団行動の指導では、児童生徒に、機敏に、しかも整然とした行動を期待するあまり、単なる行動様式の反復練習だけに終始するような形式的な指導はさけなければならない。
児童生徒の心身の発達段階を無視し、形式的な行動様式の指導が長時間行われたり、同じ姿勢を長時間持続させたり、あるいは、これらの繰り返しのために、必要以上の時間を使用したりすることは、集団行動の指導の観点から逸脱した指導であるといってよい〉
万博協会と教育委員会の見解は?
子どもから授業内容を聞き「誰が『万博のため』に子どもたちに集団行動を求めているんだろう?」と不審に感じたAさんは、大阪市の教育委員会と日本国際博覧会協会(万博協会)の「人権に関する通報窓口」に問い合わせた。それに対し、万博協会からは〈大阪・関西万博を理由として一律の行動訓練を行うことについて、協会内で想定・期待している事実は確認できませんでしたのでお知らせいたします。〉と指導への関与をきっぱりと否定する回答があった。
また、教育委員会は、〈体つくり運動の中で、集合や整頓等、集団行動について学習を行いました(※)が、目標に到達するまで時間を要したため、繰り返し行っておりました。当該教諭に対し、生徒一人ひとりの状態を把握し、運動の楽しさや喜びを味わえる授業の実践に努めるよう指示したとの報告を受けております〉と回答。
※ 編集部註:中学校学習指導要領において、集合、整頓、列の増減、方向変換などの行動の仕方を身に付け、能率的で安全な集団としての行動ができるようにするための指導については、内容の「A 体つくり運動」から「G ダンス」までの領域において適切に行うように示されている。
さらに、学校長はAさんに電話で、「授業計画にはそのような内容(万博のための整列・着席・あいさつなどの練習)は書いておらず教員が独断でやったようだ。不適切だったので指導した」と説明したという。
他校でも同様の指導が行われていた可能性も…
こうした回答を見ると、Aさんの子どもが通う学校の教員一人だけが、本来の指導の目的を“逸脱してしまった”ように見える。しかし、Aさんはこうした回答に、さらなる“違和感”を募らせていた。「実は、神戸市の学校に子どもを通わせている友人から『うちでも(同じような授業が)あった』と報告されました。
本当にたまたま、大阪と神戸の教員がそれぞれ独自判断で授業を行ったんだとは思います。でも、それを可能にした背景には、指導案にある『能率的で安全な集団としての行動』が抽象的であることが影響しているように感じました。
子どもたちによれば、同じ教員の授業では、その後、体育祭に向けて、ひたすらラジオ体操の“動きをそろえる”練習も行われたようですし、集団行動という名の下で生徒を従わせることが目的化しているようで不気味です」
「指導の観点から逸脱した授業」に法的責任は?
「授業計画にない授業」や「目的についての説明がない授業」を生徒らに強要したり、それが本来の目的から逸脱した指導であったりした場合、教師や所管する行政に法的な責任が生じ得るのか。学校問題に多く対応する杉山大介弁護士は、「法的に違法性や責任の所在を論じる問題ではないと思う」と述べ、その意図を説明する。
「このような指導について法律のどの要素に当てはめて説明するかは、それこそ学校側次第ですが、結論として学校行事に向けた指導を行うことが、直ちに学校の権限から外れるとは思いません。法律に当てはめて論じる話ではないと思います」
しかし、杉山弁護士も前述の指導には違和感を覚えたようで、「たかが万博に行くだけのために、2時間弱も指導を続けているのは、授業の1時間の枠を超えていて長いといえ、『どうしてなんだろう』とは思います。
それだけの長時間をかけて何度も行動訓練を課そうとした背景に、どんな思考や動機があったのか気になります」として、こう続ける。
「大阪万博と学校は、開催以前からさまざまな緊張関係がありました。たとえば、大阪府教育庁が府内の学校に発した、『参加する』と『検討中』しか答えがないアンケートによって集計され、多くの小学校が遠足参加を表明していると報道された時には、全体主義的ないびつなものを感じずにはいられませんでした。
交野市を筆頭に、吹田市、熊取町、島本町など、自治体全体での不参加を表明する自治体があらわれたのも、万博に向けた異様な熱気とその反発を示すものだと思います。
そのような大阪府の教育現場に起きたことを前提にして、通常の必要性を超えた、万博向け“調練”が行われたことには、やはり引っかかるものは感じます。これが一個人の教師の問題なのか。
行政の肝いりイベントに対して、そのように教育が追従するような環境になったら、それはNHK連続テレビ小説『あんぱん』でも描かれた、社会が個人に特定の価値観を押し付けるような“嫌な空気”を感じずにはいられません」
集団行動が求められる背景に、子どもたちの安全ではなく「外向きの体裁」を重視する意識が入り込んでいないか。教育の役割を改めて確認する時が来ているのではないだろうか。