天台宗“14年性暴力”問題めぐる処分に「甘い」の声 “嫌疑不十分”の加害者を「再告訴」できる?
14年間にわたり寺に拘束され、僧侶から繰り返し性暴力を受けた――。
天台宗の住職からの被害を訴えた尼僧・叡敦(えいちょう)さんの事件で、天台宗審理局は3月27日、直接加害を行ったとされる60代の住職を「罷免(僧籍は維持)」とした。

一方で、加害を助長したとされる大僧正(宗派の最高位)については「懲戒規定に該当しない」として処分を見送った。
この処分結果に対し、天台宗の対応の甘さを指摘する声が相次ぎ、「司法に委ねるしかないのでは」といった意見も上がっている。
しかし実は、叡敦さんは2019年に強姦容疑(法改正により現在は「不同意性交等罪」)で住職を刑事告訴したが、「嫌疑不十分」として不起訴処分になっている。
一度不起訴になった事件について、叡敦さんが再び告訴することは可能なのか。刑事事件を専門とする岡本裕明弁護士に話を聞いた。(ライター・倉本菜生)

事件の概要

まずは、叡敦さん側が天台宗に提出した「懲戒審理申告書」等をもとに、本件の経緯を整理する。
2009年8月、叡敦さんは親戚でもある天台宗の大僧正から「一番弟子のAが両親を亡くし、一人で暮らしている。話し相手になってほしい」と頼まれ、住職A氏の寺を訪ねた。
その後、叡敦さんが既婚者であるにもかかわらず、A氏からの頻繁な接触が始まり、「結婚していても問題ない。そばにいて支えてほしい」などと繰り返し求められた。
同年10月、A氏に呼び出されて性行為を強要され、以後、ラブホテルやビジネスホテルに同行させられる状況が続いた。その後、2010年3月から2017年10月まで、当時一般人だった叡敦さんは剃髪させられ尼僧と偽って寺に住むこととなり、監視や脅迫、暴力を日常的に受けた。
叡敦さんは、大僧正を「生き仏」として信仰していたことや、A氏から「坊主に逆らうと地獄に落ちる」と言われたことから、逆らえなかったと説明している。

2017年10月、叡敦さんは外部支援者の協力により寺を離れ、2019年に2009年当初の性行為について刑事告訴を行ったが、A氏は嫌疑不十分で不起訴となった。
この結果を受け、叡敦さんは「仏さまの答えを説けるのは生き仏である大僧正だけ」と考え、大僧正と面会。この際、A氏の寺に戻るよう説得され、2023年に家族に救出されるまでの約4年間、再び寺で生活していた。

不起訴処分でも、再び起訴できるのか?

冒頭の問いに話を戻す。このように一度不起訴になった事件で、再び起訴することはできるのか。
岡本弁護士は「再起訴は制度上可能ですが、実際に行われることは極めてまれです」と、その難しさを説明する。
「日本の刑事訴訟法では、裁判で有罪・無罪の判決が出たものに関しては、再び起訴することはできません。これは、憲法39条で定める『二重の危険』の回避原則に基づいたものです。
一方で、不起訴はあくまで『裁判にすらかけられなかった』段階であり、法的にはその後に新たな証拠が出てきた場合など、再度起訴することは許されています」(岡本弁護士、以下同)
実際に、最高裁でも、「憲法39条にいわゆる『既に無罪とされた行為』とは、確定裁判により無罪とされた行為を指し」(昭和26年(1951年)12月5日判決)「検察官が一旦不起訴にした犯罪を後日になつて起訴しても同条に違反するものでない」(昭和32年(1957年)5月24日判決)と判断されている。
不起訴になった事案や、所在不明で捜査が止まっていた事案など、過去の事案を再捜査することを指す「再起」という言葉もある。
検察官が事件を受理するかどうかといった内容を定めた「事件事務規程」では、「不起訴処分に対して再度起訴するケース」が規定されていることからも、想定された手続きといえるだろう。
しかし岡本弁護士によれば、「実際には、再起の条件や判断基準がほとんど明文化されていません」という。
「事件事務規程では、『検察審査会(※)』が起訴相当・不起訴不当などの判断をした場合は、もう1回捜査するといった内容が記載されているだけです。

検察審査会の審査申立てを経ることなく、新しい証拠が見つかったことなどを理由とする再起の基準については、ほとんど定められておらず、そうした再起の事例は現実にもかなり少ないはずです。私も、ほぼ経験がないですね。
唯一、私の周りでも聞くのは、被害者との示談等を理由に『起訴猶予』として不起訴処分になった後に再起されるケースです。たとえば、起訴猶予になった被疑者が、すぐ同じ犯罪を繰り返した場合などに『反省していない』と見なされて、起訴猶予を取り消して起訴されるということは稀にあります。とはいえ、この場合も、新たな犯罪について処罰すれば足りますから、再起されることは多くありません」
※ 不起訴処分となった事件について、検察官が事件を裁判にかけなかったことのよしあしを国民から選ばれた11人の委員が審査する仕組み。起訴相当、不起訴不当、不起訴相当いずれかの判断を下し、その判断は一定の拘束力を持つ。

性犯罪における「嫌疑不十分」の判断ポイントは?

叡敦さんのケースでA氏は、「嫌疑不十分」で不起訴となっている。性犯罪で「嫌疑不十分」とされる判断基準はどこにあるのだろうか。
岡本弁護士は「裁判になった際に有罪判決を得られる可能性が高いかどうかがポイントです」と説明する。
「有罪を立証できないと判断された場合は、嫌疑不十分になります。本件のように10年前の事件についての告訴では、日時や内容を特定することさえ困難が伴います」
性犯罪の多くは密室で行われ、目撃者がいない。そのため、被害者と加害者の証言の食い違いが生じた場合、客観的な物証や録音・映像、あるいは直後の通報や診断書など、被害の実在性を裏づける証拠が求められる。
「性犯罪では、結局、被害者の供述の信用性が最大のポイントになります。
客観的な証拠が少ない中で、被害者の供述を中心に犯罪の成否を判断する場合、冤罪のリスクも問題となりますから、慎重な判断が求められます。
娘や連れ子に対する性犯罪でも問題になりますが、特に長期間にわたる性加害事件では、過去の話になると、被害の具体性が薄れてしまい、どうしても抽象的な証言になりがちです。
どの時期にどんな行為があったのかを明確に立証するのは難しく、それが捜査や起訴の難しさに直結します」

当時の強姦罪でも立件できた可能性はある?

本件をめぐっては、叡敦さんが被害を受けたとする当時(2009年)適用されていた「強姦罪」での起訴が難しかったのではないかという声も聞かれる。
強姦罪では、犯罪の構成要件として、加害者が「暴行または脅迫」を用いることが構成要件と明記されていたためだ。一方、2023年改正後の不同意性交等罪では、相手が自由に拒絶できない状態に乗じて性交を行った場合を広く罰する構成要件へと変更されている。
しかし、岡本弁護士は、当時の強姦罪でも、立件できた可能性は否定できないという。
「長期間にわたって宗教的権威のもとに置かれた状態にある人に対し『逆らえば地獄に落ちる』などと脅す行為は、自由に拒絶できない状況を作り出していると考えられます。
その状態を維持する程度の脅迫をして性交に及んだという事情があれば、当時の強姦罪でも成立する可能性はあったと思います。
だからこそ、叡敦さんのケースでは、当時なぜ起訴されなかったのかという点が問題になります。
もちろん断定はできませんが、やはり先に述べたような難しい事情があり、証拠が足りないと判断された可能性が考えられます。したがって、もし再び告訴するのであれば、叡敦さんには新しい証拠が必要でしょう」

加害者の“自白”となる念書、その法的効力は?

新しい証拠として、どのようなものが考えられるか。
実は、A氏は不起訴後、叡敦さんを寺に呼び戻す過程で、性暴力を認める内容の念書を作成・押印している。
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A氏が作成・押印した念書

念書の中には、「貴殿の意志に反して強制的な性暴力行為を行ってまいりました」「長時間に及ぶ恫喝、暴力を繰り返す行為をした結果、複雑性PTSD障害と鬱病を発症させてしまったことを、大変申し訳なく感じています」と記されている。

過去の性加害について認める文言が含まれているが、これを新しい証拠として叡敦さんが再び司法判断を仰ぐ道はないのか。
岡本弁護士は「刑事事件においては、念書は必ずしも決定的な証拠にはならないでしょう」として、その理由を次のように話す。
「A氏が『事実を認めたつもりはなく、大僧正から説得されてやむなくサインしただけだ』などと主張する可能性もありますし、検察側としても、この念書単体でA氏を起訴するという判断はしないように思います。
そもそも、不起訴処分後の再告訴を禁じる規定はありませんから、再告訴自体は可能だとしても、有罪であることを立証できることが明らかといえる程度の証拠がなければ、嫌疑不十分という判断を改めることは難しいように思います」
実際、A氏が代理人弁護士らとともに5月21日に行った記者会見では、A氏の代理人弁護士から念書について「性的関係を求めたり暴力やどう喝はなかったが、叡敦さんが得度を受けて同じ僧侶として仏道に邁進するという話のもとに署名した」との主張があった。
一方で、岡本弁護士によれば、民事訴訟においては、一定の証拠価値を持たせることはできるという。
「民事は刑事よりも立証のハードルが低いため、念書と録音データなど他の証拠とを組み合わせて主張すれば、原告側の主張を補強する材料にはなると思います」
そこで、改めて岡本弁護士に画像の念書を見てもらったが、「性暴力があったことを認める文言がありますし、示談書の成立等を理由に何らかの責任が免除されているかのような文言も含まれていないため、民法上の不法行為に基づく損害賠償請求の訴えを起こすことは可能だと思います」と話した。
なおA氏は、21日の会見で、改めて性加害を「事実無根」と説明。しかし主張の根拠となる証拠や資料の提示がなかったため、会見に出席した記者からは事実の相違を疑問視する声が相次いだ。
双方の主張が対立する中、名誉毀損(きそん)などで提訴する意向があるか問われたA氏の代理人弁護士は「僧侶は人を助けるのが役目であるため、自ら裁判を起こすことはしないとA氏は言っている。しかし相手方が民事訴訟してきた場合は対応を検討するつもりでいる」と述べている。
■倉本菜生
1991年福岡生まれ、京都在住。龍谷大学大学院にて修士号(文学)を取得。
専門は日本法制史。フリーライターとして社会問題を追いながら、近代日本の精神医学や監獄に関する法制度について研究を続ける。主な執筆媒体は『日刊SPA!』『現代ビジネス』など。精神疾患や虐待、不登校、孤独死などの問題に関心が高い。


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