
都市部からの税収流出や過熱する返礼品競争は制度の趣旨をも揺るがし、国による規制強化へとつながった。
一方、「ふるさと納税から排除されるべき自治体」に指定された泉佐野市は、取り消しを求めて国を相手に訴訟を起こすーー。
※この記事は弁護士・中村真氏の書籍『世にもふしぎな法律図鑑』(日経BP)より一部抜粋・再構成しています。
ふるさと納税を巡るせめぎあい
地方創生の錦の御旗とともに導入されたふるさと納税制度は、年々、参入する自治体や利用者が増え、手続きを簡便にするポータルサイトも乱立しました。その結果、都市部の税収が落ち込んで特定の自治体の税収が急増するなど、敷島のそこかしこで様々な議論を呼び起こしました。
納税者が自分のふるさとでも何でもない自治体に寄附をするだけで国税・地方税が控除され、しかも結構な返礼品が送られてくる上に、なんとなく「いいことをした」感を味わえるというこの制度は、筆者を含め我が国の国民感情に実によくマッチしていたのです。
反面、一国の自治体の間で税源浸食が生じるという、課税行政上実に興味深い好ましからざる状況も生まれ、2度の総務大臣のお触れでも改善が見られなかったことから、令和元年(2019年)にはついに地方税法が改正されました。
これにより、ふるさと納税の対象となる地方団体を総務大臣が指定できることとなり、返礼品割合が寄附額の3割以下であることや地場産の返礼品を用いることなどの基準も整備されています。
この法改正の目的は、要するに「返礼割合が割超又は地場産品以外の返礼品を送付し制度の趣旨をゆがめているような地方団体に対する寄附金については、特例控除が行われないこととする」というえらい人たち(地方財政審議会)の実に強い思いがあったのです。
そこ(納税先)に愛はあるのか?
確かに、ポータルサイトでカテゴリごとに返礼品を選んでいる納税者には、「ふるさとやお世話になった地方団体に感謝し、若しくは応援する気持ちを伝え、又は税の使いみちを自らの意思で決めることを可能とする」というふるさと納税の制度趣旨に通じる意識は希薄かもしれません。事実、この改正以後、「ふるさと納税も、前ほど旨みがなくなった」という捉え方をしている人は多いのではないでしょうか。いずれにせよ、この法改正で過熱した返礼品競争はようやくある程度沈静化しました。
どれだけ寄附金を多く集めても、返礼品が不相当に高額であれば、結局その行き着く先は税収の空洞化ですから、どこかで一定の歯止めは必要で、先の地方税法改正自体は妥当だといえます。
また、もともとは「寄附者が自分の意思でふるさとやお世話になった地方団体に寄附を行う」という崇高な制度ですから、地場と全く関係のない他の産地の商品・製品を返礼品に充てるなどは趣旨を逸脱しているともいえます。
ふるさと納税を巡る「泉佐野市の変」?
そんな中、大阪府泉佐野市が国に果敢に挑み、勝訴した裁判がありました。泉佐野市は、令和元年改正法施行後、ふるさと納税制度を実施できる自治体としての総務大臣の指定を受けられなかったため、これを不服として国に対し「指定をしない旨の決定」の取消を求めて裁判を起こしたもので、当時は大きく報道されました。
泉佐野市はなぜ、令和元年の総務大臣指定を受けられなかったのでしょうか。
寄附金受入額が1000万円→498億円に!
同市がたどってきたふるさと納税の歩みを少し振り返ってみましょう。もともと泉佐野市の寄附金受領額は、平成23年(2011年)度までは年間1000万円前後でした。ところがその後、寄附金受け入れのための取組みが進められ、平成27年度約12億円、平成28年度約35億円、平成29年度約135億円、そして平成30年度約498億円と急激に受入額が増加しました。
特に平成29年度、平成30年度の受領額は全地方団体の中で最高額であり、泉佐野市の人口が近時おおむね10万人前後で推移していることを考えると、驚異的な額です。
泉佐野市の歳入・歳出を見ると、平成30年が突出している(泉佐野市「財政状況の推移」から)
また、平成30年11月~平成31年3月に同市が提供した1026品目の返礼品は全て返礼割合が3割を超え(平均返礼割合43.5%)、うち745品目は地場産品ではなかったというのです。
加えて、同市は改正法施行間際の平成31年4月~令和元年5月には「300億円限定キャンペーン」「泉佐野史上、最大で最後の大キャンペーン」などと称し、返礼品に加えて寄附金額の10~40%相当のアマゾンギフト券を交付するとして寄附金の募集をしていました。
こうした大々的・精力的なキャンペーンを目にした納税者の多くが、泉佐野市が自分の第二の故郷であると感じたとしてもふしぎはありません。
国が黙っているわけない
一方、既に見たように、令和元年の地方税法の改正は「返礼割合が3割超又は地場産品以外の返礼品を送付し制度の趣旨をゆがめているような地方団体に対する寄附金については、特例控除が行われないこととする」というところに主眼がありました。そして、改正で新たに設けられた「総務大臣が指定した自治体への寄附金だけが控除の対象になるよ」という指定制度も、そうした過度な返礼品の提供や宣伝広報をする一部の地方団体にふるさと納税が集中している状況を是正するところに主眼がありました。
要するに、国からすると、泉佐野市は法改正と新しい「総務大臣指定制度」の下、「ふるさと納税から排除されるべき自治体」リストの筆頭、ドラフト1位であったわけです。
最高裁はなんて言ってる?
一方、泉佐野市は、同市を寄附金控除の対象となる地方団体に指定しなかった国の処分が違法であるとして、その指定をしない決定の取消を求めて争っていました。この事案では、国の不指定決定の理由に関連していくつかの争点がありましたが、そのうち最も大きなものは、総務大臣の指定制度施行の前に自治体がとっていた過去のふるさと納税募集の態様(本件では泉佐野市のキャンペーンや「アマゾンギフト券プレゼント」など)を、新制度の下で不指定の理由とすることができるかという点であり、この訴訟は最高裁まで争われました。
最高裁判所第三小法廷は、不指定に至るまでの泉佐野市の返礼品提供の態様について「社会通念上節度を欠いていたと評価されてもやむを得ない」としつつ、その一方で、地方税法の改正法が過去に制度趣旨をゆがめるような返礼品提供を行った地方団体を新制度の下で特例控除の対象外とするという趣旨であったとはいえないとしました。
そして、過去の寄附金募集実績等を理由に不指定とした総務大臣の決定が違法であったとして取り消し、泉佐野市の勝訴が確定したのです。
結局、ふるさと納税は悪か
泉佐野市のケースに限らず、かつてふるさと納税が無限定・無秩序に行われたことで自治体間の税源浸食が生じ、それが元々の制度趣旨から大きく乖離(かいり)していたことは間違いありません。返礼品を選んだ後に、寄附金の使途については寄附先の自治体に一任し、その使われ方についても関心を払わない人は少なくないでしょう。
こうしたふるさと納税制度が抱える歪(いびつ)さを理由に、「納税者の側もふるさと納税の利用を謙抑的に行うべき」、あるいは「そもそもふるさと納税制度は利用するべきではない」と説く人もいるようです。
もっとも、筆者個人はそのような意見には賛同しにくい部分があります。およそ課税を巡る問題は「違法・不当な税の免脱(めんだつ)は許されてはならない」という課税庁側の要請と、「法で認められている課税回避手段の選択は何ら批判されてはならない」という納税者側の要請の対立に集約されます。
そして、筆者はそれら相対立する二つの力の平衡状態をもたらすのが税法・税制であり、またそうあるべきだと考えています。
国や自治体が国民・住民に一方的・強制的に課する金銭給付という租税の性格や租税法律主義の原則に照らしても、税法・税制自体が有する問題点は法改正や課税処分の取消などで改善されるべき課題であり、個々の納税者の自発的・自制的な選択によって回避されるべきものではありません。
例えば、ある人の「ふるさと納税は自分の住む自治体の税収が減り、また本来自治体行政に充てられるべき金額が返礼品提供のために費消されるので利用しない」という考え方は、それ自体尊重されるべきものです。
ただ、そうした自分の選択を理由に、ふるさと納税を利用する他の人を批判するのは、「菜食主義の自分に比べ、肉を口にするあなたは不見識だ」となじるのと同じくらい道理に合わない話ですし、無意味な分断を生むだけでさほど意味があるようにも思えません。
とは言いつつも、ふるさと納税制度自体にいまだ非効率な面があること、現在も本来の制度趣旨と乖離した利用がなされていることは否定できません。また、返礼品提供に関し、自治体と事業者との癒着や自治体内部での横領と疑われるニュースもしばしば耳にするところです。
こうした問題については、やはり制度の不備として、改善の必要性を訴えていかなければならないのだろうと感じます。
■中村真
弁護士、神戸大学大学院教授。神戸大学法学部法律学科卒業。神戸簡易裁判所民事調停官、兵庫県弁護士会副会長などを歴任。令和3年、神戸大学大学院法学研究科教授に就任(法曹実務)、同年、神戸大学大学院法学研究科博士後期課程修了(租税法専攻)。著書に『相続道の歩き方』(清文社)、『まこつの古今判例集』(清文社)、『新版 若手法律家のための法律相談入門』(学陽書房)ほか多数。