A容疑者はもともと腕のいい職人でしたが、離婚後に罪を犯し服役。その後社会復帰しようとしたものの職を得られず生活に困窮し、精神の不調をきたし、社会的に孤立していたこと、犯行前に生活保護申請をしていたにもかかわらず、受給に至らなかったことが判明しています。
この事件を「元受刑者による凶悪犯罪」と片付けてしまえば、社会的問題から目をそらすことになります。
なぜなら、A容疑者が経済的に困窮していたにもかかわらず、セーフティーネットが届かなかったという経緯があるからです。そこからは、現在の生活保護制度の運用が抱える重大な課題が透けて見えます。(行政書士・三木ひとみ)
「死ぬ時くらい注目されたい」
A容疑者は、事件を起こした動機について何も語っていません。しかし、警察の捜査では、A容疑者のスマートフォンから「死ぬ時くらい注目されたい」「日本史上最悪の凶悪事件はどんな事件がありますか」といった検索履歴が見つかっており、多くの人を巻き込んで自らの命を絶つ「拡大自殺」を図ったと推測されています。これは単なる自己破壊ではなく、「自分の存在を社会に知らしめたい」という、ゆがんだ承認欲求の現れだと考えられます。
人間は、孤立と貧困、無力感が積み重なると、「自分にはもう何も失うものがない」と感じるようになります。そこに前述のような承認欲求が加わると、破壊的行動へとつながるリスクが高まるのです。
また、犯行当日の半年ほど前からA容疑者のスマートフォンに犯行計画や現場の下見のメモが残されていたこと、事件の約2週間前にガソリン30リットルを購入していることなどが報じられており、犯行は計画的なものだったとみられています。
計画を立てている間、A容疑者のなかで絶望、孤立、憎悪といった感情が深く熟成され、犯行に至る動機が強化されていった可能性が考えられます。
離婚後に服役、社会復帰しようにもかなわず
A容疑者はかつて板金工として働き、家庭を持っていました。しかし、2008年に離婚し、2011年に長男に対する殺人未遂で有罪判決を受けて服役。出所後は定職に就けず、交友関係もほとんどなかったようです。他方で、A容疑者は礼儀正しく、社会復帰への強い意欲を見せていたという証言もあります。
2016年に刑務所を出所したA容疑者は、故郷だった大阪府に戻り、大阪市浪速区の1泊1300円の簡易宿泊所に滞在しながら就職活動に励んでいました。
ところが、就職活動をしても、インターネットで過去の犯罪履歴が調べられ、前科が足かせとなって最終面接で不採用となるなど、社会の「再起の壁」に直面していました。
日々発生する宿泊代により所持金も減り、A容疑者は経済的に困窮していきました。大阪市西淀川区に住宅を所有し月7万円の家賃収入を得ていたものの、2019年9月にはそれが途絶え、事件直前には銀行口座の残高がほぼゼロになっていたことが明らかになっています。
なお、A容疑者が上記賃貸物件の他に「持ち家を所有していた」という報道が先行しました。しかし、此花区にあったその物件は、古い長屋のような物件でトイレもなく、とても住めるような物件ではなかったとのことです。
保護申請したのに「不動産を所有」との理由で保護に至らず
冒頭で触れたように、A容疑者は生活保護の申請をしようとしたのに、受給に至りませんでした。経済的困窮状態にあったのに、なぜでしょうか。A容疑者は、生活保護制度を知らなかったわけではありません。2017年2月13日、彼は大阪市浪速区に生活保護の申請書を提出していたことが分かっています。
ところが、浪速区の福祉事務所では、「此花区に空き家があるのなら、そちらに戻って申請するように」と誘導されてしまいます。
A容疑者から生活保護の相談を受け支援をした人々は、浪速区での生活保護申請をして、きちんとした賃貸物件への入居の費用も浪速区から支給してもらい、生活を立て直すよう勧めました。
しかし、A容疑者は、浪速区役所で言われた「此花区の家に戻り、此花区で保護申請をすれば生活保護が受けられる。此花区に持ち家があるのに、浪速区では生活保護申請はできない」と一度言われたことを頑なに信じ込み、周囲の助言に耳を傾けなかったといいます。
そして、以後、A容疑者は支援者らとの連絡を断ち切りました。
こうして、トイレすらない、築年不明の荒れ果てた物件に移動し、同年2月16日、此花区役所で生活保護申請をします。
浪速区役所で申請したときと経済状態は実質的に変わっていないにもかかわらず、結果的に保護には至りませんでした。
理由は不明ですが、却下された形跡がないので、本人があきらめて取り下げた可能性が考えられます。
「持ち家があること」と「そこに住めること」は違う
福祉の現場では、「住民票があれば住んでいる」「持ち家があれば住宅扶助費は不要」といった形式的な判断がしばしばなされます。しかし本来、たとえ持ち家があっても、そこで「健康で文化的な生活を営めない」ならば、住宅扶助費(引越費用や家賃)の支給を否定する理由にはなりません。
見逃してはならないのは、A容疑者が此花区の持ち家ではなく、滞在していた簡易宿泊所の所在地である浪速区で最初に保護申請をしようとした事実です。
生活保護法は「現に居住している地での緊急対応」が可能であると認めています。
A容疑者の此花区の家屋はトイレもなく、生活インフラも整っておらず、現地を取材した記者も「とても人が住める状態ではない」と驚くほど荒廃した状態でした。
そのような物件を「居住地」としてA容疑者を押し戻した浪速区役所の対応は、A容疑者の健康や人権への配慮を欠いていたといえます。
また、本人が申請の意思を明確に示していた以上、浪速区役所はそのまま受理し、審査する義務を負っていました。浪速区での申請が適法に受理されていれば、住宅扶助も含めた生活保護が開始されていたはずです。
しかし、浪速区役所では「空き家があるならそちらで申請を」と制度上の“住所主義”を理由に申請を受け付けませんでした。「不動産を所有している」という事実だけでなく、現実にそこに居住できるのかを確認すべきなのに、それをしなかったということです。
実態として、支援を必要とする人に支援がつながるかどうかは、こうした現場の判断ひとつにかかっているのです。
支援が「点」ではなく「線」でつながっていれば
A容疑者は事件前、心療内科クリニックに通院していたことが判明しており、精神的な不調を抱えていたと推察されます。しかも、最後は障害年金も受給しておらず、無資産無収入で最後のセーフティーネットである生活保護も受給に至っていなかったのです。それなのに公的支援が届かなかったのは、「点と点」が結ばれず、ネットワークとして機能しなかったからです。
地域医療と福祉の連携、生活困窮者への早期支援、生活保護制度の柔軟な運用…これらが整備され、適切な時期に生活保護を含む社会的な支援が届いていれば、A容疑者が「絶望と怒り」を爆発させ「拡大自殺」の動機を形成するに至らず、事件は防げたのではないか、という問いが残ります。
孤立は、誰の身にも起こりうる社会的リスク
北新地ビル放火事件が照らし出したのは、「生活保護制度が存在しても、支援が本当に必要な人に届かない」という、社会の深層に潜む構造的な問題だったと考えます。A容疑者は、事件を起こすほどに精神疾患を悪化させる前に、犯罪を起こし出所後に社会とのつながりを失いながらも、生活保護を申請し、支援を求めていました。
本来、生活保護制度は「無差別平等」の理念に基づき、困窮するすべての人を支える最後のセーフティーネットであるはずです。この理念と実態の間にある深いギャップを、国、自治体は直視する必要があります。
必要なのは、制度の形式にとらわれない「人」を見る運用への転換、精神疾患や社会的孤立への正しい理解、支援者間の確実な連携、切れ目ない支援体制の構築です。
孤立は、誰の身にも起こりうる社会的リスクです。誰かが見つけ、つながり、支えることによって、防げる悲劇があります。
支援が届かなかった現実を直視し、誰もが孤立することなく「支え」につながれる社会へと歩み出すこと、いま日本社会で孤立や困窮の中、苦しんでいる人たちに手を差し伸べるため、具体的な改善と行動を始めることが、同じ悲劇を二度と繰り返さないために求められていると思います。
■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に「わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)」(ペンコム)がある。