同党は11日の両院議員総会で一転して山尾氏の公認内定を取り消したが、「不倫疑惑」が周知であったことや、党代表の玉木氏の不倫が発覚した際に役職資格停止3か月というごく軽い処分で済ませたことなどからみて「筋が通らない」との批判がある。
さらに重要な問題は、同党が山尾氏を含め、比例代表の立候補予定者に対し、党の理念や重要政策への賛成を誓約させ、それらに反した場合には公認を取り消し、当選後に離党した場合には議員辞職を約束させる内容の「確認書」を提出させていたことである。
そもそも確認書は政党、候補者・候補予定者、ないしは当選後の国会議員にとってどのような法的意味・拘束力があるのか。国会議員秘書の経歴があり「議員法務」「選挙法務」の第一人者である三葛敦志(みかつら あつし)弁護士に聞いた。
「確認書」は政党にも個人にも有益?
国民民主党の「確認書」は、原発を容認することや、憲法に「緊急事態条項」を盛り込むことなどの政策が記載されている。そして、過去に明確に逆の立場をとっていた候補者が一転、政策に賛同する意向を示し確認書を差し入れたことが話題になっている。三葛弁護士は、選挙の際に政党が候補者に対し、党の方針を守ることを誓約する内容の書面を差し出させることには、一定の意義があると説明する。
三葛弁護士:「そもそも、ある候補者が、ある政党から立候補する理由は、その政党が掲げる理念・政策や目指す社会像に共感し、それらを実現しようと考えるからこそです。公約や政策を掲げないのでは政党の体をなしていません。
また、政党と候補者との間で大前提となるごく基本的な政策や考え方がズレていると、党内での議論や論争を通じた政策合意自体に無理をきたします。憲法改正の是非や原発政策等、重要課題についてはなおさらです。したがって、政党にとって、基本理念・政策について候補者と確認書のような書面を取り交わす意義・必要性があります」
候補者の側にとっても、確認書のような書面を政党と取り交わすことにはメリットがあると指摘する。
三葛弁護士:「支持者・支援者に対し理解を求める材料、説得の材料になり得ます。なぜなら、個人の政策が所属政党ないしは他のメンバーの政策と完全に一致するケースは必ずしも多いとまでは言えないからです。
たとえば、『私は何々党から出馬する以上、この政策については理解ないし妥協せざるを得ません』などと説明する材料になります。
一方、『この政策はまだ定まっていない点があるので、問題点や新たな視点を提示することによって党内の議論をリードしていきます』としていくことももちろん可能です。
したがって、確認書は政党にとっても候補者個人にとっても必要・有益な部分があります。また、有権者にとっても、投票に際しての判断基準を提供する意味で重要です」
「公募」が一般的になるにつれ「確認書」が重要に?
三葛弁護士は、政党が候補者との間で「確認書」のようなものを取り交わすことが重要となってきた理由として、1990年代以降、多くの政党で「候補者の公募」が行われるようになってきたことも挙げる。三葛弁護士:「政党が候補者を選ぶときには、人となりや熱意はもちろん、『この人はきちんとわが党の基本的な政策・考え方に従ってくれるはずだ』ということを確認する必要があります。
かつての候補者選定では、『二世、三世』などの世襲や地縁等が有意な判断材料でした。それらには批判もありますが、人となりや考え方がよく分かっているという意味でのメリットは否定できません。コント集団『ザ・ニュースペーパー』の名ぜりふに『どこの馬の骨か分からないより、どこの馬の骨か分かる方が安心』というものがありますが、まさにそれです。
これに対し、公募の場合、小論文や面接や多少の政治活動などを通じて人となりを確認するしかありません。その人が何を考えているか、政策の選択を迫られた際にどのような選択肢をとるのかということを見抜くのは至難の業です。
以上を考慮すると、比較的新しい政党で、政策等でまとまりを維持しつつ支持を拡大しようとする場合には、候補者に確認書のような書面にサインをしてもらう必要性は非常に大きいと考えられます。
なお、政党が『政策』で求心力を持つことができない場合、思い浮かぶのは候補者に『カネ』を配ることでまとめるという従来型の方法です。しかし、近年『政治とカネ』の問題が数多く指摘されているように、弊害があまりに大きいのはご存じの通りです」
確認書はあくまでも「選挙」時点の基準
ただし、確認書によってどこまで候補者ないしは当選後の議員を拘束するのかという問題がある。たとえば、確認書を取り交わした後で、突発的な自然現象や社会現象等の様々な事情により政党の政策そのものが転換することはあり得る。また、当選して議員になった後で、諸事情により個人としての政策や考え方が変わる可能性も考えられる。
さらに、そもそも民主主義の中核は、異なる意見をぶつけ合って議論した結果、妥協して一致点を見出すことにあり、政党内の政策についてもときにはぎりぎりまで厳しい交渉と調整を続けることも少なくない。
そうした事情を踏まえると、確認書にサインをして政党の公認を受け当選した議員と政党との間に政策の違いが生じた場合、確認書はどこまで有効性が認められるのか。
三葛弁護士:「確認書はあくまでも、その選挙において、政策のブレを少なくしていくためのツールだと実務的に考えることが出発点です。
選挙前の段階では、その条項に違反したら選挙での公認取消の原因となるため、いわば抑止になり得ます。
これに対し、選挙で当選し議員になった後は、あくまでも倫理的な活動指針として機能すると考えるべきです。
なぜなら、政党が選挙で打ち出す政策は、基本的にその一時点での社会情勢・政治状況を前提として産みだされたものだからです。
いわば政治は社会状況とともに常に発展途上であり、社会の動向や発展とともにあわせて少しずつアップデート、ブラッシュアップされて変わっていくことが当然に予定されています。そうでなければ、政党は民意の媒体としての役割を果たせなくなります」
現に私たちは近年、東日本大震災、コロナ禍などが発生し、社会が激変するのを目の当たりにした。そのような事態に直面しても政党が選挙の時に訴えた政策を厳格に守ることは現実的ではなく、マイナスになるということである。
加えて、党内での議論、国会での議論を通じ、政策が変化する可能性も軽視すべきでないという。
三葛弁護士:「同じ政党の中でも、個人ごと、あるいは派閥やグループごとに政策の『幅』や『濃淡』があり得ます。それらを許容し、異なる意見をぶつけ合って活発に議論が行われることによって、政策がより深化し、強化されていきます。
また、国会内の他の政党・会派の議員との議論等を通じても、考え方が変わることもあり得ます」
最後は「党内民主主義の過程」と「民意」に委ねる
確認書が取り交わされた後に、著しい事情変更が生じた場合、そこに記載されている党の政策の内容の合理性が失われ「時代遅れ」になるケースも想定される。党が「時代遅れ」の政策を堅持し、議員がそれに反する行動をとった場合、党が確認書の定めに従って除名処分など何らかのペナルティーを行うことは許されるのか。
三葛弁護士:「最後の最後は、党内民主主義、ひいては有権者の判断に委ねざるを得ないでしょう。
まず、その政党内部で定められた手続きとルールに則って処分の決定がなされたならば、党内民主主義に沿ったものなので、有効とせざるを得ません(最高裁昭和63年12月20日判決等参照)。
あとは、有権者が選挙において、『議員個人の造反行動』とそれに対する『政党の処分』の是非を判断し、投票行動を決めることになります」
「離党したら辞職」は法的拘束力なし
国民民主党が比例代表選挙の予定候補者に差し入れさせた「確認書」には、当選後に離党した場合には議員辞職するよう求める条項がある。この条項は、党の議席数を維持する目的のものといえる。なぜなら、離党した者が議員辞職した場合には、その党の比例名簿で次点だった候補者が繰り上げ当選者となるからである。
もし、議員がこの条項を守らなかった場合、なんらかの法的問題は生じるのか。
現行法では、比例代表選出議員が所属政党を離れた場合、選挙時に存在した他の政党に入ったらその時点で失職することになっている(国会法109条の2)。
三葛弁護士:「この法規制には合理性があります。その政党に投票された票によって当選をした人が、選挙時に存在していた他の政党に移るのは、有権者の意思を明らかに裏切る行為だという論理は十分に理解できます」
これに対し、無所属議員として活動することや、選挙後に設立された政党に入ることについては規制を設けていない。
身分を法律で奪うことも許されない
では仮に、法律を制定して、比例代表選出議員が党を離れた場合に自動的に議員の地位を失わせることはできるか。三葛弁護士:「そのような法律は明らかに憲法に違反し、認められません。国会議員は政党の代弁者ではなく、憲法上『全国民の代表』(憲法43条)です。所属政党ではなく国民のほうを向いて行動することが認められています。
このことは比例代表選出議員であっても、なんら変わりはありません。結果として所属政党の政策や理念に反することになったとしても、その身分を法的に奪うことは許されないのです。
せいぜい、離党勧告や除名という党内での処分が認められるにとどまります。もちろん、前述のように、その処分は党内のルールや手続きに則って行われなければならず、恣意的であってはならないのは当然です」
6月には東京都議会議員選挙、7月には参議院議員選挙など重要な選挙が控えるなか、国民民主党の「確認書」にまつわる数々の話題は、同党のみに限らず一般的な「政党と個人の関係」「議会制民主主義のあり方」など、さまざまな問題を考える契機になったといえる。
いったん議員が選出されれば、次の選挙までの間、その議員たちに国政が委ねられることになる。判断を大きく誤ると私たち国民は、18世紀の啓蒙思想家ルソーが指摘したように「奴隷」になりかねない(※)。議会制民主主義はそれとの戦いの歴史だったとさえいえる。
※「社会契約論」ジャン=ジャック・ルソー 著/作田啓一 訳(白水社)参照
だからこそ、私たちは、きたる選挙で有権者としての投票行動を決めるには、それぞれの政党・候補者の政策の是非、能力の有無、信頼できるか否かなどをシビアな目で見極めなければならない。
その過程で、政党と候補者との間で文書での取り決めを行うことの意義、政党ないし候補者が政策・公約を定める意味、選挙前の公認候補者選定および公認取り消しの是非、選挙後の議員と所属政党との関係、などの問題について考えることは、きわめて重要なことといえよう。