ストーカー被害に遭った人を守るための法律として「ストーカー規制法」があるはずなのに、なぜ、被害を防ぐことはできなかったのか。
被害者対応に関する通達が「守られず」
本件では、明らかなストーカー事件と考えられるにもかかわらず、警察が対応しなかったことが問題視されている。警察庁の生活安全局長と刑事局長が出した「恋愛感情等のもつれに起因する暴力的事案への迅速かつ的確な対応の徹底について」という通達がある。
これによれば、警告等の行政措置とは別に、被害者等の安全確保を最優先するため、基本的な考え方として以下のことが記載されている。
- 被害者に対する脅迫文言やストーカー行為等を捉えて速やかに検挙するなど、加害行為の防止を図ること
- 被害者に対し被害届を提出するよう説得等すること
- 被害者が上記説得等にもかかわらず被害届を提出しない場合でも、場合によっては加害者の逮捕等の強制捜査を積極的に検討すること
- 安全な場所へ速やかに避難させること、身辺の警戒等の措置を行うことなどにより、被害者等の保護の徹底を図ること
松村弁護士:「通達で、何をすべきかについて詳細な定めが置かれているうえ、署内で生活安全部門と刑事部門が連携することが求められています。
また、所轄署は、ストーカー被害に関する相談を受けた場合、警告を出すか否か、どのような対応をするかなどを独断で決めるはずはなく、県警本部に相談しているはずです。
にもかかわらず、川崎の事件では通達の内容が守られておらず、『何をやっているんだ』といわざるを得ません。
加えて、被害者からの通報・相談の内容について所轄署内部での連携、または所轄署と県警本部の連携が不十分である可能性も考えられます。
そもそも、警察ではいまだに『恋愛』『男女トラブル』については『どっちもどっち』との旧態依然とした偏見が根強く、『話は聞いてくれるが対応してくれない』という例も多いのです」
ストーカー行為への「警告」を発する要件が不明確
ストーカー規制法では、被害者の申し出に基づき捜査機関が「警告」を発する制度がある(法4条)。この制度は、ストーカー行為等(法3条)の被害者から申し出を受けた警察本部長等が、「さらに反復してその行為をしてはならない」という警告を発することができるというもの(法4条)。
松村弁護士は、警告を発する要件にあたるか否かの判断基準が不明確であることを指摘する。
松村弁護士:「私が担当したケースでは、3年にわたり付きまとわれ苦しんでいるのに『110番通報をしなかったあなたが悪い』などと言われ続けて対応してもらえなかった事例があります。
他方で、ストーカー行為にあたるか疑わしい程度の学校内での学生間のトラブルで、警告が発せられた事例もあります。また、一方的に交際関係を打ち切ろうとした男性が、ストーカー行為をしていない女性に対する警告を求めたと疑われる事例もあります。
基準が不明確で、警告が発せられるか否かは運のようなものといわざるを得ないのが現実です。
具体的にどのような行為が行われた場合に警告の対象となるのか、要件を明確かつ具体的に定めることが大切です」
警告の「法的位置付け」が曖昧
松村弁護士は、それに加え、「警告」の法的位置づけ、すなわち警告の名あて人(加害者とされた側)に対し法的な拘束力・強制力を持つものか否かが曖昧という問題もあると指摘する。松村弁護士:「ストーカー規制法の『警告』は現状、行政指導、つまり、それに従うかどうかが対象者の任意に委ねられる『ふつうのお願い』という扱いです。
行政指導は、基本的にそれを行うかどうかが行政側のフリーハンドに委ねられています。したがって、行政指導と解する限り、被害者側の申し出があっても、警察には警告を発する義務は生じません」
警告の名あて人、特に、ストーカー行為を行った覚えがない人にとっても、不利益が大きすぎるという。
松村弁護士:「行政指導は簡単に行えるので、緩い審査で簡単に『警告』を発することができてしまうということになりかねません。
ストーカー行為をした覚えがない場合、警告を撤回してもらう手段がなく、警告の是非を訴訟で争うことも認められていません。
実際に、私が担当している事件で、女子学生が身に覚えもないのに男子学生から一方的にストーカー呼ばわりされ、『警告』が発せられてしまい、学業に支障をきたすなど苦しんでいるケースもあります。
したがって、被害者側にとっても、加害者とされた側にとっても、問題が大きい制度といわざるを得ません」
警告を「処分」と位置付けることで被害者救済の実効性確保を
では、どうすればいいのか。松村弁護士は、「警告」を行政指導ではなく、法的拘束力・強制力のある「処分」と位置付けるべきだと提言する。松村弁護士:「法4条は『してはならない旨の警告』と定めていますが、『してはならない』というのは通常の用語法では『禁止』を意味します。
また、警告が行政指導にすぎないとなると、被害者も、警告の名あて人も困ります。
被害者の側では『警告』が『ふつうのお願い』という位置づけでは身体の安全等が確保されず不十分ということになります。他方で、警告の名あて人の側でも、警告に従う法的義務があるのか否か、判断できません。
強制力のある『処分』と位置付けるべきです」
また、行政指導ではなく「処分」と理解することにより、法的な救済の手段も整備されるという。
松村弁護士:「警告が『処分』に該当すれば、被害者は、警察本部長等に対し、警告を発するよう法的措置をとることができます。
申し出をしても警告が発せられない場合に『処分の義務付けの訴え』(申請型義務付け訴訟。行政事件訴訟法3条6項2号)を提起し、あわせて『仮の義務付け』(同法37条の5第1項)を申し立てることができます(※)。
裁判所は所定の要件が満たされていれば速やかに仮の義務付けの決定をするので、すぐに相手方に対して警告が発せられ、自分の身体の安全等を確保することができます」
※「処分の義務付けの訴え」を提起した場合に、判決が出るまでの間、原告が仮の権利救済を得られる手段。処分がされないことにより「償うことのできない損害を避けるため緊急の必要がある」など一定の要件をみたす場合に、判決をまたずに、裁判所が行政に対し、その処分を行うよう仮に義務付けるもの
見落としてはならない「冤罪防止」の観点からのメリット
警告が「処分」と扱われることは、冤罪防止の観点からもメリットが大きいという。松村弁護士:「警告を『処分』と考えれば、名あて人にとっては『不利益処分』にあたるので、憲法が定める適正手続保障(憲法31条)の趣旨から、少なくとも事後に不服申し立ての機会(告知・聴聞(ちょうもん)の機会)を与えることが要請されます。
警告は、被害者の身体の安全等を確保するために、とにかく迅速に発せられる必要があります。
そこで、警告の名あて人に対して、事後に不服申立ての機会を保障する必要があるのです。また、不服申立てを行ってもなお警告が撤回されないとなれば、『処分の取消しの訴え』を提起して、争う手段もあります(行政事件訴訟法3条2項)」
川崎での痛ましい事件を通じて、ストーカー被害防止・被害者保護のためのしくみであるストーカー規制法の「警告」等の制度、ないしはその運用のために定められた「通達」が事実上機能しなかったことは認めざるを得ない。
しかも、現状の「警告」のあり方は被害者側、加害者側(冤罪を含む)の両方にとってデメリット・リスクがあることも明らかになっている。法律上保護されているはずの権利・利益が保護されていないことは、その法律に「穴」があることを意味する。
2021年のストーカー規制法改正の際、国会が行った付帯決議では、「本法による規制では十分に対応できない事案が生じた場合には、当該事案の分析及び検証を行った上で、必要な法制上の措置を講ずること」という条項がある。
川崎の事件を繰り返さないよう、今後、国会の審議の場で、「警告」の問題点を含め、厳格な分析・検証と改善が行われることが切望される。