
商標制度誕生以前から、今でいうロゴマークは日本の市場において多くの事業者に活用されていた。しかし、これらロゴマークの独占使用を法的に担保する仕組みがなかったため、偽造品の問題が頻繁に発生。特に江戸時代には、薬や醬油、清酒といった、ブランドが重視される商品で粗悪な偽造品が出回り、消費者の健康被害や製造者の信用失墜を招いていた。
そうした混乱を経て、いかに日本に商標登録制度が確立されたのか。まずはその始まりからひも解く。
※ この記事は、作家・友利昴氏の著作『江戸・明治のロゴ図鑑: 登録商標で振り返る企業のマーク』(作品社、2024年)より一部抜粋・構成しています。
商標登録制度の始まり
商標登録制度ができる前から、自己の商品であることを表す目印としてのロゴマークは、自然発生的に存在していた。奈良・鎌倉時代から、刀剣や鋳物には製造者の刻印が付されていたことが分かっている。江戸時代には、大都市圏を中心に同一産業内での競争が激化したため、他の業者との識別のためのロゴマークの使用は必然だった。一方、こうしたロゴの独占的使用を担保する仕組みがほとんどなかったことから、しばしば偽造品の問題が生じていた。
明治17年(1884年)に制定された商標登録制度にまず飛びついたのは、江戸時代からの国内主要産業であり、偽造被害に悩まされていた医薬品、醬油、清酒などの事業者。中でも売薬業者はこの制度を歓迎したと見られ、明治時代を通して最も多く登録されたのが、薬に関する商標だった。
日本の登録商標第1号は?
栄えある日本の登録商標第1号は、京都で「鍵屋」の屋号を用いた売薬商人・平井祐喜のもの。ケガの治療などに用いる膏薬「養命膏」のためのマークだ。魚を捌いていた丁稚が、誤って自分の左手の指を包丁で切り落としてしまい、困り顔をしているという描写の絵である(冒頭【図1】参照)。右手に持っている包丁をよく見ると、「平井」と書いてあるのが分かる。平井の膏薬を塗れば、こんな大ケガのときでも安心……というわけだ。
明治初期のロゴマークは家紋調のものが多く、こうした写実風で説明的、かつ大げさな内容のものは当時としてもいささか異彩を放っている。なお、平井は同時期にはこの図柄の変種ともいうべきマークも使用している(【図2】参照)。こちらは指を切った拍子に包丁と魚を放り出しており、躍動的な趣きがある。
【図2】『江戸・明治のロゴ図鑑: 登録商標で振り返る企業のマーク』より(『工商技術 都の魁』1883年)
なお、養命膏は、はまぐりの貝殻に入れた硬質性の膏薬で、これを炙って柔らかくして布に延ばし、患部に貼るという商品。その評判は高かったようで、明治9年(1876年)の『京都売薬盛大鑑』では「前頭」の称号を得ている。
平井家はもともと寛文4年(1664年)から京都・三条で呉服商を営んでおり、6代目で薬屋を始めた。養命膏の他にも小児用鎮静剤の「養命丸」などを取り扱っていた。
京都・三条の町には、今でも当時の面影を残した場所が数多いが、平井の店があった地は、現在ではマンションになっている。
かつて、ニセモノはどう取り締まられていたのか
商標登録制度ができる前、他人のロゴマークの模倣行為は違法ではなく、偽造薬や偽造酒の問題が頻発していた。ただし、正確にいえば商標法違反ではなかったということであり、明治時代初期には詐欺罪や販売免許の不取得などを理由として取り締まりがなされることもあった。
さらにいえば、法令上の根拠はないのに、お上から「厳重注意」や「訓戒」を受けたり、さらには偽造品の没収や罰金、懲役が科されることもあったという。
なんとも大らかというか……。頼もしいというより、ある意味恐ろしい気すらするのであった。商標登録制度以前に、法秩序そのものが未整備な時代の話である。
江戸時代においては、基本的にお上に頼ることは難しく、その代わりに偽造品の抑止力となっていたのが、「株仲間」の制度であった。株仲間は現代でいう同業者組合のようなもので、同業者同士の集まりで結成した株仲間が、幕府に上納金を納めることで、営業の独占について公認を受けることができるという制度である。
株仲間は、仲間内で「仲間規約」をつくってお互いを監視し、偽造品や盗品を扱えば株仲間から除名するなどの罰則を設けることで業界秩序を保っていた。業界内の自治による取り締まりが成立していたのである。
もっともこれはあくまで仲間内の内規であり、株仲間に属さずに勝手に商売をする者の行為を規制するには限界もあった。
株仲間制度には、価格操作や新規参入者妨害の問題もあり、産業の自由化を志向する明治政府により明治5年(1872年)に廃止される。
しかし、仲間内の規律すらなくなれば偽造行為が増えるのは当然のことで、さらには、もともと日本の業界ルールの埒外(らちがい)にいる外国製品の偽造行為は止められるべくもなかった。
自由とともにもたらされた商秩序の混乱を受けて、商標登録制度導入の機運は徐々に高まっていったのである。
■友利昴
作家。企業で知財実務に携わる傍ら、著述・講演活動を行う。ソニーグループ、メルカリなどの多くの企業・業界団体等において知財人材の取材や講演・講師を手掛けており、企業の知財活動に詳しい。『江戸・明治のロゴ図鑑』『企業と商標のウマい付き合い方談義』『エセ著作権事件簿』の他、多くの著書がある。1級知的財産管理技能士。