2013年に行われた生活保護基準引き下げの取り消しを求める集団訴訟「いのちのとりで裁判」が、6月27日、提訴以来10年以上を経過して、初の最高裁判決を迎える。
現時点での下級審における裁判結果は、原告が地裁で20勝11敗 、高裁では7勝4敗と、大きく勝ち越している。
このことは「原告不利・国側有利」とされる行政裁判において、きわめて異例といえる。
この裁判で争点となっている数多くの問題のうち、最も重要なものの一つが、「統計不正」「統計偽装」ともいえる公的統計の取り扱いである。そもそも公的統計の中で、生活保護基準はどのような位置づけにあるのだろうか。(みわ よしこ)

生活保護基準は「統計」である

まず「生活保護基準は統計なのか?」という疑問に答えておきたい。結論から言えば、「そのとおり」だ。ただし現在の日本では、基幹統計(※)には含められていない。
※国の行政機関が作成する統計のうち総務大臣が特に重要な統計として指定するもの。これを中心として公的統計の体系的整備を図ることとされている。(出典:総務省
生活保護基準は、「健康で文化的な最低限度の生活」を実現するために必要な費用である。
日常的に注目されるのは、生活費と住宅費に対する「生活扶助」と「住宅扶助」、そして医療費に対する「医療扶助」の3種類である。しかし、この他に、生まれてから寿命尽きて葬られるまでの人生のあらゆる側面に対して、5種類の扶助が用意されており、合わせて、「生活・住宅・出産・教育・生業・医療・介護・葬祭」の8種類の扶助がある。
これらの扶助の水準、すなわち具体的な金額は本来、実際に必要な「最低限度」の費用となるはずである。ただし、実際には「最低限度にも満たない」という場面が多い。
制度が発足した1950年以来、大蔵省(財務省)から厚生省(厚生労働省)への費用圧縮への厳しい圧迫が続いているためである。

「最低限度」に満たない生活保護基準が引き起こす悲劇

たとえば葬祭扶助では、葬祭業者から「費用が賄いきれない場合がある」といった声も時折上がる。何か不測の事態があり、遺体を2日間ではなく2週間保管しなくてはならない場合、付帯して増加するすべてのコストがカバーされるとは限らない。
その事業者にとっては、生活保護の葬祭がトータルで黒字になっていれば、「時折の赤字を容認し、引き続き同じ自治体の同様の案件を受け続ける方が好ましい」という判断もありうる。しかし、前提条件は燃油価格など多様な条件で変動する。
ありえない話ではあるが、もしも葬祭業者が「費用が全部カバーされないようだから、このご遺体から手を引こう」という判断をしたら、何が起きるだろうか?
生活保護基準は、そもそも「最低限度」なのであるから、ニーズの100%が充足されない場合には重大な問題が発生する。
このため、生活保護基準は、市場価格および背景を総合的に勘案し、妥当な統計的手法を駆使して算出することとされてきた。たとえば、医療扶助と介護扶助に関しては、価格は国民健康保険および介護保険によって決定されるが、保険の点数や介護報酬は複雑な統計的操作によって決定されてきている。

「一次統計」と「加工統計」の関係

公共統計で使用される多様な統計データの中には、以下のように、多様なタイプのものが含まれる。
  • 測定や調査によって収集される⇒「日本の総人口」「日本の住宅面積」など
  • 複数のデータから算出される⇒「2025年6月、東京都杉並区におけるコメの平均価格」など
  • 時系列で品目別に計算される⇒「消費者物価指数」など
測定や調査による「生データ」の統計を「一次統計」、集計や分析による統計を「加工統計」と呼ぶ。
統計としての重要性は、一次統計と加工統計の区別とは無関係である。しかし、一次統計が不適切であったり、加工統計の加工方法が不適切であったりすると、信頼のおける加工統計は実現されない。
総務省統計局の専門家たちは、国の将来を左右する公共統計が信頼に足るものでありつづけられるように、長年にわたってベストを尽くしている。

誰が「基幹統計」を決めるのか?

では、基幹統計は誰がどう決めているのだろうか。
6月16日、小泉進次郎農林水産大臣は「コメの作況指数を基幹統計から外す」という方針を示し、多大な反発を受けた。
公共統計の概念と機能を理解している人々の反応のほとんどは「なぜ(農水大臣の)進次郎が?」であった。
基幹統計(2025年6月現在、54種類)は、公共統計のうち特に重要性が高いものであり、選択は総務大臣によって行われる。閣内や自民党内での水面下での調整があっても、農林水産大臣の一存で決定できるものではない。
公共統計を基幹統計に含めるか否かの基準は、統計法に明記されている。同法2条4項3号において、国勢調査と国民経済計算以外の公共統計のうち、以下のいずれかに該当するものは、総務大臣が基幹統計に指定することができる。
  • 全国的な政策を企画立案し、またはこれを実施する上において特に重要な統計
  • 民間における意思決定または研究活動のために広く利用されると見込まれる統計
  • 国際条約または国際機関が作成する計画において作成が求められている統計その他国際比較を行う上において特に重要な統計

生活保護基準が「基幹統計」であるべき理由

生活保護基準は、上記の条件のすべてに該当しているはずだ。全国で実施されている生活保護制度の基準であり、国だけで60もの制度の参照基準とされている。
また、地域によっては、弁当の価格やアパートの家賃を事実上決定する要因である。
国連等の国際機関においても、生活保護基準や生活保護受給者数・世帯数は、国際比較を行う上で極めて重要な数値である。
厚労大臣には基幹統計であるか否かを決定する権限はないが、総務大臣の一存で基幹統計に含めることは可能であるし、そうされているべき統計である。

生活保護基準が「基幹統計」だったら「処罰」される面々

ところが、生活保護基準については、「健康で文化的な最低限度の生活」、言い換えれば「健康で文化的と言える生活の最低限度」(日本国憲法の成立にあたって作成された英文は、そのような記述である)を実現できているか否に関する議論が続いている。
数値や統計のトリックを使って実際のニーズを低く見せかける手法は、1950年代から生活保護基準決定のどこかで使用され続けていたと考えられ、裏付けとなる文書も複数ある。
また、冒頭に述べた「いのちのとりで裁判」では「統計不正」の問題が主張・立証され、これが、行政裁判では異例の「原告側の大幅勝ち越し」の大きな要因となっている。
たとえば「デフレ調整」。
これは「生活保護世帯の消費においては物価が下落していたので、対応させるために給付水準を引き下げるべきである」というものである。
厚生労働省は、独自の物価指数「生活扶助相当CPI(CPI=物価指数)」を開発し、生活保護世帯における2007年から2012年にかけての物価下落幅を「4.78%」とした。そのプロセスにおいて、以下のような不審な点が、客観的根拠とともに指摘されている。
  • 「生活扶助相当CPI」における購入比率は、生活保護電気製品や情報機器が異様に多い
  • 現在はほとんど使用されていない計算方式が、ツギハギ的に用いられている
  • 物価変動を比較対象する年として東日本大震災が起きた「2011年」とリーマンショックが起きた「2008年」が選択され、その合理的根拠が示されていない
2007年に成立した統計法には、罰則がある。生活保護基準が基幹統計に含まれた場合、もし厚労官僚が不適切に生活保護基準を算出し、実際のニーズを低く見積もって制度利用者たちの生活や健康を脅かせば、罰則の対象となる。
すなわち、「基幹統計の作成に従事する者で基幹統計をして真実に反するものたらしめる行為をした者」に該当し、「6月以下の拘禁刑または50万円以下の罰金」に処せられる(統計法60条2号)。
2007年以来の歴代総務大臣が「生活保護基準を基幹統計に含めたら、厚生労働省で何人が逮捕されることになるか分からないから、絶対にそれはしない」という内容の発言をした事実はない。しかし、特に2012年末の第二次安倍政権の成立以後の経緯を考えると、少なくとも自民党政権には、生活保護基準を基幹統計に含める動機はないと考えられる。

「不適切な生活保護基準決定」を罰する法律がない

不適切な生活保護基準決定が何らかの法律に違反しているとすれば、現在のところは生活保護法8条(適切な生活保護基準決定を求める内容)・憲法25条への抵触が問題となる。しかし、罰則はない。
不適切な操作により生活保護基準の算出が行われても、算出を行った厚労官僚も、組織として承認した上司も、厚生労働大臣も、違法行為として責任を問われて罰される可能性はない。
しかし、生活保護基準の引き下げは、生活保護を利用する人々の生活や健康を阻害し、生活保護の利用を困難にし、あるいは生活困窮状態にありながら生活保護から脱却せざるを得ない人々を生み出してきた。
引き下げられた結果として、酷暑や寒冷への対応が困難になり熱中症や低体温症で死亡する人々がいるとすれば、間接的に人を死なせていることになる。
罪に問われないままで、良いのだろうか。

緩慢・間接的な「殺傷」は許されないはず

現在、パレスチナのガザ地域は、イスラエルに空爆されるだけではなく、国際機関やNGOによる救援物資も届きにくくなっている。
SNSには連日、空腹と衰弱に苦しむ子どもたち、自らも空腹を抱えながら子どもに充分な食料を与えられないことで自責する親たち、時には餓死者の様子が投稿されている。
戦争において、敵方に「兵糧攻め」を行って戦闘力を喪失させることは、常套手段ではある。
しかし人類は、戦争のたびに反省して平和を望み、戦時といえども、手段を選ばないことや非戦闘員を巻き込むことを許さないルールを作ってきた。「兵糧攻め」は、国際人権法やジュネーブ条約に違反している。
日本における生活保護基準は、ガザほど深刻な事態を生み出しているわけではないかもしれない。しかし「緩慢な兵糧攻め」と見ても、大きな支障はないであろう。日本が締結している国際人権規約にも違反していると考えられる。
世界情勢が不安定化し、戦争に関連した国連の条約からの離脱を検討する国々も増えてきている現在、自分自身や大切な人々を守れない自国政府を、誰が信頼できるだろうか。まず生活保護基準の水準と決定方法によって信頼を取り戻すことを、日本政府に期待したい。


■みわ よしこ
フリーランスライター。
博士(学術)。著書は『生活保護制度の政策決定 「自立支援」に翻弄されるセーフティネット』(日本評論社、2023年)、『いちばんやさしいアルゴリズムの本』(永島孝との共著、技術評論社、2013年)など。
東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了。立命館大学大学院博士課程修了。ICT技術者・企業内研究者などを経験した後、2000年より、著述業にほぼ専念。その後、中途障害者となったことから、社会問題、教育、科学、技術など、幅広い関心対象を持つようになった。
2014年、貧困ジャーナリズム大賞を受賞。2023年、生活保護制度の政策決定に関する研究で博士の学位を授与され、現在は災害被災地の復興における社会保障給付の役割を研究。また2014年より、国連等での国際人権活動を継続している。
日本科学技術ジャーナリスト会議理事、立命館大学客員協力研究員。約40年にわたり、保護猫と暮らし続ける愛猫家。


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