再生の道は、広島県安芸高田市長を任期途中で辞職し、昨年6月の東京都知事選挙に立候補、落選した石丸伸二氏が立ち上げた。石丸代表は都知事選の時から「政治屋の排除」をうたっており、上記期数制限もその延長線上にあるとみられる。
しかし、そもそも政治団体が候補者・所属議員にそのような拘束を課すことの実効性はあるのか。また、「多選制限」を法律や条例等によって課すことは許容されるのか。東京都国分寺市議会議員を3期10年務めた経歴を有し、「選挙法務」「議員法務」の第一人者である三葛(みかつら)敦志弁護士に聞いた。
政党が候補者に「期数制限」を課す意味
政党が候補者に対し、公認の条件として「多選制限」を課すことにはどのような意義があるのか。三葛弁護士:「第一に、新陳代謝が強制的に促進されることが挙げられます。
つまり、固定された人間が権力を握り続けることを避け、常にフレッシュな状態に保つことだと考えられます。
第二に、政党のメリットとして、公認権をバックに候補者・所属議員をコントロールしやすいことが挙げられます。
一般に、議員が経験と実績を重ねるほど、独力で当選が可能な素地を固める傾向にあり、政党がその議員に対しコントロールを及ぼすことが難しくなっていくからです」
逆に、期数制限を課すことによりどのような弊害が生じる可能性が考えられるのか。
三葛弁護士:「地方議員の仕事は、地域に密着し、住民の声を地方政治に反映させることです。長く務めることで知見を深め、かつ、議会での発言力や影響力を高めることができることは、否定できない事実です。
また、自治体の職員が2~3年で異動することが多いので、たとえば10年前・20年前からの経緯まで知っている議員は貴重な存在です。
私も市議会議員を3期10年務めましたが、期を重ねるごとに知見が深まり、できることが増えていったと実感しています。
『政治屋の一掃』については、むしろ首長が『政治屋』とならないため、つまり、議会が自治体の権力者である首長と積極的に対峙していくため、議会を構成する議員一人ひとりの知見や見識が必要となると考えられます」
「権力の固定化の防止」には「期数制限」以外の対処法で
三葛弁護士は、政党が期数制限を課すことについて「一つの考え方として十分尊重に値する」としつつ、その最大の論拠と考えられる「権力の固定化の防止」については、他の方法で対処すべきと指摘する。三葛弁護士:「前述の通り、地方議員は住民との信頼関係を構築することが大切です。
権力の固定化による弊害、たとえば癒着等のリスクについては、本来、政治資金に対する規制や、贈収賄に対する刑事罰等によって対応すべきものです。もちろん、住民から、それらの規制が実態として十分に機能していると信頼される制度が前提です。
もし、議員が住民の利益に反することを行ったとみなされて信頼を失えば、選挙で落選し、議員の地位を失うリスクを負います。ある議員が長く務めることが住民のためになるか否かは、政党内部のルールではなく、住民の意思決定に委ねるべきです。
一方、期数制限もさることながら、年齢制限についての検討はあり得るかと思います。国政政党でも一部取り入れられています」
「期数制限」を破った候補者に対する制裁、実効性は?
期数制限ルールに実効性を持たせるためには、それを破って立候補した者に対する制裁が欠かせない。どのような制裁が考えられるか。三葛弁護士:「期数制限を守らない者に次の選挙の公認を与えないことと、同じ選挙区(地域)に公認候補、つまり『刺客』を立候補させることが考えられます。
公認が得られなければ、政党の支援者から応援してもらえず、有権者名簿を使えないなど、選挙活動が実質的に大きく制約を受けます。また、『刺客』が送られれば政党を敵に回すことになり、票を奪われるリスクが大きくなります。
多くの場合、それらのダメージを克服して当選することは非常に難しいでしょう。
自ら制定した「自粛条例」を破った例も…合理性に疑問?
法律・条例で「多選制限」を行うことは可能か。2007年に総務省の「首長の多選問題に関する調査研究会」(座長:高橋和之(東京大学名誉教授、憲法学))は、法律で首長の多選制限を設けることについて、必ずしも憲法に違反するものではないとの報告書を公表している。
また、実際に、首長について、独自の「多選自粛条例」を定めているところがある。
なお、現状、議員について多選ないしは任期を制限する条例を定めているところはない。ただし、上記報告書はあくまでも長に関するものではあるが、議員についても同様に、法律が許容すれば、多選制限を設けることは可能と解する余地があるかもしれない。
しかし、三葛弁護士は、その意義に疑問を呈する。
三葛弁護士:「多選自粛条例の多くは、施行時の首長のみを自粛の対象としています。首長自らが制定することが多いですが、議会の側から突きつけることもあり得ます。後の首長をも対象として守らせることは、住民の理解を得ることも含め、簡単ではないでしょう。
また、あくまで『自粛』なので強制力がなく、最終的にそれを守るかどうかは完全に任意です。結局、最後は有権者である住民の判断に委ねられるということです。
実際に、埼玉県で2004年に当時の県知事が『知事は連続して3期を超えて在任しないよう努める』との条例を議会に提案し成立させたにもかかわらず、それを自ら破り、2015年に4選出馬して当選したことがあります。
住民の支持があればこそ、ではありますので、それも民主主義の過程です。
その是非はともかく、現実問題として、厳格な期数制限を設けることは困難で、合理性に疑問を抱かせるものといえます。議員についても同じことがあてはまるでしょう」
多選制限の必要性の是非は、石丸氏ないし「再生の道」が新たに提起した問題ではなく、かなり古くから論じられてきている。そして、その都度、「権力の固定化の防止」「新陳代謝の促進」等の抽象的な概念が挙げられてきた。石丸氏が述べた「政治屋の一掃」もそれらとまったく同じ趣旨とみられる。
しかし他方で、それらの概念が仮に実質を伴ったものだったとしても、期数制限によってしか実現できないものなのか、また、逆に期数制限が課されることによって生じる弊害、失われるメリットがないのか、実態も踏まえ、慎重に考える必要があるだろう。