竹澤さんはかつて、職を転々とし、ギャンブルにはまり、5年間で3度服役。
タイでは違法薬物が比較的容易に入手できる一方、タイ政府は違法薬物犯罪を厳しく取り締まっており、その結果、竹澤さんはタイでヤーバー1250錠の密輸容疑で逮捕され、一審でまさかの「死刑」を求刑されてしまう。
近年、「大麻」「覚醒剤」などの薬物事犯が若年層を中心に広がりを見せている。また、高収入をうたう「闇バイト」から、薬物などの密輸に手を染めてしまう事例も発生している。
だが、竹澤さんは「(ドラッグに)手を出せば待っているのは地獄だ」と語る。本連載では警鐘を鳴らす意味も込め、竹澤さんが収容された、タイの「凶悪犯専用刑務所」での出来事などを紹介。
裁判の結果、終身刑となり、死刑囚や長期刑囚の集まるバンクワン刑務所に収容された竹澤さん。第6回ではトラブルの絶えない塀の中で、竹澤さんが見聞きした「変わった罪状の服役者」や「狂気の所業」について取り上げる。
※ この記事は竹澤恒男氏の書籍『タイで死刑を求刑されました』(彩図社)より一部抜粋・構成。
ケンカは日常茶飯事…ギャンブル・麻薬も横行
日本の刑務所と同様、タイの刑務所でも服役態度に応じ、囚人に等級が設定されていた。等級は全部で4段階あり、上にあがれば面会の機会が増えるなどの特典を受けられたが、最大のポイントは特赦の量が増えることだった。だが、バンクワン刑務所は服役者の半分が終身刑以上という特殊な状態。特赦を1、2回もらったところで、出所の見通しがない者が大半だった。
そのため、懲罰を受けて等級が下がることをなんとも思っていない者がたくさんおり、問題ばかり起こして一般房と10番ビルディングの懲罰房(編注:竹澤さんが収容されていた頃のバンクワン刑務所は、14の区画に分かれており、囚人は基本的に各ビルディング内で生活する。なかでも10番ビルディングは独居房しかなく、懲罰房として使用されていた)を往復する不良グループもいた。
麻薬の密売を手掛けるマフィア一派のボスは、携帯電話を持ち込み、塀の中から外に指示を送っていた。所内では密造酒が造られ、ヘロインやヤーバー等の麻薬が驚くほど簡単に手に入った。囚人の中には先の見えない人生に絶望し、それらの麻薬に手を出す者もいた。日本人の受刑者もヘロインの所持で捕まっていた。
所内ではギャンブルが盛んに行われていた。ロッカールームの中には常設のギャンブル場があり、サッカー賭博、タイボクシング賭博、サイコロ賭博、麻雀、トランプ、宝くじのナンバーズなど何でもありの状態だった。
私がバンクワン刑務所に移送されてきた当時は、超過密状態のため、金を払えば廊下で寝ることが可能で、大きいレートのギャンブルをする囚人はみな廊下組だった。
当時は現金の使用も黙認されており、ギャンブル場ではテープで補修だらけの1000バーツ札が飛び交っていた。刑務官に寺銭を払えば、トランプやサイコロまで持ってきた。寺銭徴収係の刑務官付きの囚人までいたほどだ。
金の貸し借りを巡って、囚人同士でしばしばトラブルが発生した。ケンカは日常茶飯事で、毎日、どこかで殴り合いや怒鳴り合いが発生していた。
料理用に包丁やナイフを所持することができたので、小競り合いが簡単に刃傷沙汰になる。
たとえば、韓国人受刑者同士が金の貸し借りで揉めて、1人がもう1人のノドをナイフで切り裂いたこともあった。切られた方は命に別状はなかったが、囚人たちはそれを見てもたいして騒がなかった。それぐらい当たり前だったのだ。
服役者の中にはタイの元国会議員や殺し屋も…
バンクワン刑務所では、囚人の多くが薬物関連の犯罪で収容されていたが、なかには変わった罪で服役している者もいた。私が見聞きしてきた中で、特に印象に残っている囚人を何人か挙げてみよう。殺人罪で服役している囚人の1人は、殺し屋だった。彼は金で殺しを請け負ってきたプロの殺人者で、長期服役によって60歳を超えていた。なかなか洒落のわかる性格で、釈放されると刑務所に隣接した高層マンション(このマンションの上層階からは刑務所内部が丸見えだった)の上に登り、こちらに向かって手を振っていた。
釈放から2か月後、この囚人は再び事件を起こして逮捕されたと聞いている。
銀行強盗を起こした者もいた。
教え子を強姦して懲役30年の刑を受けた中学教師もいた。このタイ人は生徒と愛し合っていたし、冤罪だと言っていたが、本当のところは私たちにはわからない。
強姦と言えば、自分の寺で運営していた児童養護施設の子どもたちを何人も強姦したという、坊さんもいた。刑期は30年くらいだったが、どういうわけかいまだに信者がいるらしく、しょっちゅうバスに乗って面会にきていた。信者からは毎回高額の差し入れがあるらしく、面会が終わると刑務官がたかりにきていた。
変わったところでは、偽造カードでATMから現金を引き出して、40年の刑を受けたカザフスタン人もいた。一件一件の罪は軽かったが、不正カード1枚につき何年ということで、合計40年にもなったらしい。
同じようにタイ人の窃盗犯で懲役50年の者もいた。こちらも窃盗一件につき何年という計算だったようだ。
大物では、タイの元国会議員もいた。
不敬罪で服役中の元王室警備員も
珍しいところでは、不敬罪で服役している者もいた。ご存知の方も多いと思うが、タイは王室を非常に大切にしており、その権威を傷つけるような行為をすると、不敬罪で逮捕される。服役していたのは王室の元警備員で、王族の水着写真を外部に流したというのが理由で、不敬罪に問われたということだった。この囚人に対する刑務官の当たりは厳しく、毎日、空き地に穴を掘ってはまた埋め戻すという、嫌がらせのようなことをさせられていた。
不敬罪は一件で最高15年と聞いていたので、きっと2、3件の罪で起訴されていたのかもしれない。
麻薬と集団心理が掛け合わさった、塀の中の惨殺事件
バンクワン刑務所では、囚人同士の小競り合いが絶えなかったが、ときおり、大規模な乱闘が勃発することもあった。私が入所中には、こんな凄惨な事件もあった。ある囚人が麻薬の密売を行っている囚人を注意したところ、ケンカになった。報告を受けた刑務官が現場に急行、2人を事務所に連れていき、事情聴取を行った。すると事務所を密売グループの仲間数十名が襲撃。注意した囚人をナイフでめった刺しにして、事務所に立てこもった。
刑務官は窓から逃げ出し、応援を呼んだ。総勢20人ほどの刑務官が駆けつけ、麻薬密売グループとにらみ合いになった。最後は1人ずつ事務所から密売グループを引きずり出し、ようやく騒動は収まった。
刺された囚人はすぐに病院に運ばれたが、すでに死亡していた。密売グループはその後、刑務官から警棒でボコボコに殴られ、重傷者も出たという。
この事件があった日、『DACO』(私が獄中記を連載していたタイの日本語フリーペーパー)の読者の面会があった。面会が終わり、差し入れ品の受け取り窓口に向かったところ、窓口の真向かいにあるオフィスの前に、事件を起こした囚人数十名が引き据えられているのが見えた。
手錠が足りないためか、全員後ろ手にプラスチックのバンドで縛られており、刑務官が10人ほど付き添って見張っている。囚人たちの何人かは腕を吊ったり、包帯を巻くなどしており、刑務官から暴行を受けたというのは本当だったと思った。
差し入れを待っていた囚人たちが、ワイワイやりながらこの状況を眺めていると、見張りの刑務官がやってきて、「こっちを見るな、むこうを向いていろ」と注意してきた。しばらくして数珠つなぎになって懲罰房のある10番ビルディングに連行されていくのを横目で数えたところ、囚人たちは全部で37人もいた。
その後、伝わってきた話では、実行犯は集団で襲えば誰が殺したのかわからない、罪もその分、軽くなるなどとうそぶいていたらしい。