日本人に古くから愛される日本酒。その数ある銘柄の中には、「○○正宗」という名前が多く存在する。

櫻正宗、菊正宗、鳩正宗、鷹正宗、笹正宗…。これら「正宗」と名のつく日本酒には、一体どのような関係があるのだろうか。
江戸時代後期に生まれた「正宗」という銘柄が、なぜこれほど多くの酒蔵で使われるようになったのか、その興味深い歴史とエピソードを紹介する。
※ この記事は、作家・友利昴氏の著作『江戸・明治のロゴ図鑑: 登録商標で振り返る企業のマーク』(作品社、2024年)より一部抜粋・構成しています。

「○○正宗」が数多くある理由

桜の花を背景にした「正宗」の文字。現在も同じデザインのロゴマークで清酒を製造販売する櫻正宗の初代登録商標である(冒頭【図】参照)。
ところで、我が国には、櫻正宗の他にも、菊正宗、鳩正宗、鷹正宗、笹正宗など、「○○正宗」を名乗る清酒は数多い。これらは互いに何か関係があるのだろうか。実はこの登録商標には、清酒の銘柄に広く使われる「正宗」に関する逸話が込められている。
寛永2年(1625年)に酒造りを始めた山邑家は、天保5年(1834年)頃に「正宗」の銘柄を採用している。その由来は、新しい銘柄名に悩んでいた6代目・山邑太左衛門が、親交のあった京都・伏見の瑞光寺の住職を訪ね、仏教経巻の『臨済正宗』の文字から取ったもので、「正宗」と「清酒」の語呂合わせから選ばれたものだという。
そうした経緯から、当初の読みは「せいしゅう」だったが、これが「まさむね」と誤読されて広まったことから、天保11年(1840年)頃には山邑家も正式にこの読みを採用したといわれている。
要するに、「正宗」はもともと山邑家の固有の酒銘、商標名だったのだ。
ところが、山邑家の「正宗」の評判があまりにも高まったことから、多くの酒造家も自家の上等の清酒を「正宗」と称して売り出したのである。
商標登録制度ができる前の時代にあって、これを止めることは難しかった。その結果、「正宗」は特定の家の銘柄としてではなく、「最上級の酒」「清酒の代名詞」程度の意味で世間に認知されてしまったのである。

商標登録制度ができ、いち早く出願したが…時すでに遅し

山邑家としても手をこまねいていたわけではなく、明治17年(1884年)に商標条例が制定されると、いち早く「正宗」を商標出願するとともに、無断使用が横行している現状を、商標制度を所轄する商農務省大臣で、西郷隆盛の弟として知られる従道に上申し、その保護を求めている。
だが、時すでに遅し。もはや「正宗」が多くの事業者に慣用されている状況下で、元祖とはいえ特定の事業者にこの銘柄の使用を独占させてしまえば、かえって社会に混乱を招くと判断され、「正宗」の商標登録は認められなかった。
この判断について、初代特許庁長官で、後に総理大臣も務めた高橋是清は以下の証言を残している。
「〔山邑家が〕酒の正宗も本家だと云って出願して来たが〔…〕方々の酒屋に就て実際に調べて見ると、何処の小売屋にも正宗と云う酒がある。〔…〕其の酒屋で最上等の酒を『正宗』と称して売って居るのである。即ち正宗とは商標の性質は失われて最上等酒と云う意味のものになったのであるから、『正宗』は登録が出来なかった」(※)
※高橋是清「特許局の思出」、『特許法施行五十年記念会報告』(帝国発明協会特許法施行五十年記念会)1936年、95頁
その代わり、当局は山邑家に対して、今後は「正宗」に国花の「桜」を付すことを提案したという。これを容れた山邑家は、以降自家の銘柄を「櫻正宗」と改称し、現在に至るというわけである。
そしてこれに倣い、「正宗」を名乗っていた他の多くの酒造家も、各々独自に「○○正宗」と改称し、酒票(ラベル)の「正宗」の背後に花や鳥などの図柄をあしらうことで、他の「正宗」との差別化を図るようになっていった。
当時の登録商標には、非常に多くの事業者による「○○正宗」の図柄を見ることができる。これが、今日までに「○○正宗」の清酒が全国津々浦々に広まった経緯である。
なお、現在、“元祖”正宗の「櫻正宗」よりも知名度で勝る菊正宗酒造の「菊正宗」は、後発の「正宗」のひとつで、やはり「正宗」が商標登録できないと分かったあとに改称したもの。
隠居していた先代当主が、庭先の一輪の白菊に目を留め、「菊が霜雪をしのいで香気馥郁(ふくいく)たるように、人は万難を排して意気ますます軒昂たるべし」と言ったことに由来するという。
■友利昴
作家。企業で知財実務に携わる傍ら、著述・講演活動を行う。ソニーグループ、メルカリなどの多くの企業・業界団体等において知財人材の取材や講演・講師を手掛けており、企業の知財活動に詳しい。『江戸・明治のロゴ図鑑』『企業と商標のウマい付き合い方談義』『エセ著作権事件簿』の他、多くの著書がある。1級知的財産管理技能士。


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