日本国憲法にはこう記されているが、実際、ひとりの子どもを公立小中学校に9年間通わせた際の保護者負担は数十万円に上る。
「隠れ教育費」とも呼ばれる、この“見えない支出”について、保護者が声をあげれば「子どもにかかるお金は親が払うのが当然」という言葉が飛んでくる。
しかし、「隠れ教育費」を支払うことは、本当に誰もが納得している事象なのか――。
この連載では、本来無償であるはずの義務教育において、実質的に保護者が負担している支出の実態に迫る。第2回では、学校はどのような「お金」で運営されているのかに注目する。(連載第1回はこちら/全5回)
※この記事は栁澤靖明氏・福嶋尚子氏による書籍『隠れ教育費 公立小中学校でかかるお金を徹底検証』(太郎次郎社エディタス)より一部抜粋・構成。
義務教育における公費と私費
ここで、学校運営を支えるお金として、大きく二種類があることを紹介しておこう。まず 「公費」とは、ひと言で説明するなら、市区町村の予算から学校に令達される(使ってよいと命令される)予算のことである。財源はもちろん税金。
学校を管理するためのモノ(会議用テーブルやイス)の購入費用や、授業を円滑に進めるためのモノ(巨大な三角定規やコンパス)の購入費用、文字どおりの水道光熱費、学校給食を実施するための費用(食材料費は保護者負担)、保健室の消耗品(湿布や傷テープ)を買うための費用、壊れたものや施設を直すための費用……といった予算がある。
小学校では、ウサギなど飼育動物のエサ代や治療費もある。これらを一般に総称して「学校運営費」と呼ぶ。また、教職員の給与や学校を建てる費用も、基本的にすべて「公費」だ。
もう一種類が「私費」である。
こう説明すると、公費と私費の区分は明確なように感じるが、じつはその区分方法は複雑だ。
水泳の授業をするための、水着は私費だが、水は公費だ。調理実習の授業でブリの照り焼きをつくるとき、ブリは私費だが、ガスは公費だ。この区分は、個が身につける(お腹に入る)モノと、公で使うモノという分け方が考えられる。しかし、公費が潤沢にあれば、水着やブリを公費で購入しても問題がない気もしてくる。
こうした公費と私費の区分を検討するうえで参考にしなければならないのが、憲法や法律に示されている考え方だ。
憲法上に示された義務教育の無償
わが国の最高法規、読者のみなさまもご存知のように日本国憲法には「義務教育は、これを無償とする」(第26条第2項後段)と書かれている。そして、憲法は国家が国民に守らせる法規範ではなく、主権者である国民が国家に守らせる法規範である。条文にあるとおり、すべての国民には教育を受ける権利があり、保護者には子どもに教育を受けさせる義務がある。そして、国民に貧富の差がある場合でも、国民がだれでも教育を受けられるような体制の確保を国家に要請している。
普通教育を受けさせる義務とは、いわば国家の義務と考えられる。
しかし、文部科学省が調査している長期欠席者(年間30日以上の欠席者)の欠席理由として、毎年「経済的理由による」という回答が、ごく少数だが報告されているという事実がある。
学校教育法では、経済的理由によって就学が困難な子どもの保護者に対して、市町村は必要な援助(一般に「就学援助」という)を与えなければならないと定めている(第19条)。
それにもかかわらず「経済的理由」が長期欠席の事由として報告されているこの状況は、憲法の定める「教育を受ける権利」が保障されていない子どもの存在と、国や自治体の義務怠慢を露呈しているとも考えられるだろう。
一方で、第1回でも述べたように、義務教育段階における保護者の費用負担が増加している問題もある。
だれでも安心して義務教育を受けられる体制を確保するには、就学困難な子どもに対して援助を広げていくだけではなく、保護者が負担する費用を限りなくゼロに近づけていくこと――すなわち「無償」への接近が必要だ。
義務教育の完全無償化は「到達しなければならないゴール」
学校教育法にはもうひとつ重要な条文がある。それは「学校の設置者は…〔中略〕…その学校の経費を負担する」というものだ(第5条)。ストレートに読めば、公立小中学校の設置者である市町村と特別区(以下、市町村)は、学校の経費を負担する義務があるのだ。このことを「設置者負担主義」という。ただし、教職員の給与については、市町村立学校職員給与負担法という法律にもとづいて、設置者負担主義からは除外されている。もちろん、保護者が払っているわけでもなく、支払い者は都道府県・政令指定都市である(ちなみに、教職員給与を保護者が支払うことは地方財政法で禁止されている)。
念のため書いておくが、「入学時に必要な学用品の購入にかかる費用は保護者が負担するものとする」ということは、学校教育法ほかの法律には書かれていないし、特段の定めもない。そのため、設置者負担主義の原則に照らしても、義務教育の完全無償化は到達しなければならないゴールでもある。
(#3に続く)