「帰れ」
「来なくていい」
これらは、社長が新入社員Aさんに投げつけた言葉だ。
Aさんは「パワハラにあたる」として損害賠償を求める裁判を提起したが、裁判所は「パワハラにはあたらない」と判断した。
なぜ裁判所はパワハラ認定をしなかったのか?
以下、事件の詳細だ。(弁護士・林 孝匡)
事件の経緯
会社は、職業紹介事業を行っており、Aさんは入社後、管理部に所属し、社長や上司と同じ執務室で業務に従事していた。Aさんはわずか1か月で出勤しなくなった。6月1日に入社して24日(金曜)までは普通に勤務していたが、週明け月曜の27日に出勤した際、上司と話した後、勤務に就くことなく退社した。
その後、会社は「24日付けでAさんが自己都合退職した」ものとして、給与支払いや社会保険関係の事務処理を行った。
Aさんは「私は退職していない」等の主張をして労働審判を申し立て、その後、本件訴訟を提起した。Aさんの主張の中には「社長からパワハラを受けた」との内容が含まれていた。
というのも、社長は、Aさんの仕事ぶりに不満を抱いており、Aさんに大きな声でミスを指摘することがあった。Aさんが「パワハラである」と訴えたのは以下4つの行為だ。
- Aさんが社長に提出した応募者数人分の書類のうち、1つのホッチキス止めが漏れていたところ、社長はAさんを呼び出し「あほか!そんなものを分かるか」と叫びながら、すべての書類をAさんに投げつけ、書類が床に散乱した
- 社長が「B(従業員)に電話」という指示をした際、AさんがBさんに電話で「社長がお呼びです」と伝えた。しかし、社長の指示の趣旨は「Bさんに電話をかける取り次ぎをせよ」というものであったため、社長はAさんに対して「こんな日本語も分からないのか」などと怒鳴りつけ、経緯書を書かせた
- Aさんは総務および経理補助として採用されたが、入社後すぐ、人事担当が辞めるので、ほかの従業員と協力して人事業務を臨時担当するよう業務命令を受けた。さらに元の人事部担当が退職した後、社長はAさんに対して「すべての人事業務を1人でやれ。しないと給与を下げる」と怒鳴りつけた
- 原因は不明だが、社長がAさんに対して「帰れ」「来なくていい」と怒鳴りつけた
裁判所の判断
裁判所はAさんの損害賠償請求を棄却した。Aさんの敗訴である。■ 「あほか! そんなものを分かるか」
社長の上記発言に対する裁判所の判断は次の通り。
「書類のホッチキス止めについて、少なくとも社長の意向と異なるという趣旨でAさんのミスがあったことについては、双方に争いがないことからすると、社長がこの点についてAさんを注意し、その際、声が大きくなるなど、Aさんが圧迫感を感じる場面があったことは否定できない。しかし、その態様が、指示や指導として社会通念上許容されないようなものであったと認めるに足りる証拠はない」
今回の裁判官は「あほか!」との発言について違法とまではいえないと判断したが、筆者は、社長が「あほか!」という言葉を使う必要はなかったし、そのような指導は許されないと考えている。
他の裁判例では、社長が従業員に対して「バカじゃないの!」と吐き捨てた事件で、裁判所は会社に対して「慰謝料5万円」の支払いを命じている。(東京地裁 R6.6.18)
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■ 「帰れ」「来なくていい」
社長のこれらの発言に対する裁判所の判断は次の通り。
「社長がAさんに対して帰宅を指示した事実は認められるものの、その態様が“怒鳴りつける”もので指示や指導として社会通念上許容されないようなものであったことを認めるに足りる証拠はない」
仮に社長が怒鳴りつけていたのであれば、パワハラ認定されていた可能性がある。パワハラ体質の上司がいる職場に勤めている方は常時録音をおすすめする。
「こんな日本語も分からないのか(電話取り次ぎの件)」「すべての人事業務を1人でやれ。しないと給与を下げる」と発言した件については、裁判所は「証拠がない」としてパワハラ認定しなかった。録音などの証拠がなかったことが悔やまれる。
もし録音などの証拠があれば、前者については侮辱にあたると判断された可能性があるし、後者についても指示や指導として社会通念上許容されないようなものと判断された可能性があったと考えられる。
最後に
今回の裁判ではパワハラ認定はされなかった。しかし、録音などの証拠があれば結論は変わったかもしれない。「あほか」「帰れ」「来なくていい」といった発言はパワハラ認定され得る発言である。労働者側は録音の重要性を認識し、会社側も安易に上記のような発言をしないよう心掛けるべきだろう。