
生活保護基準の引き下げの違法性を訴え、全国で戦われてきた「いのちのとりで裁判」の上告審が6月27日、最高裁判所で開かれた。
最高裁第三小法廷(宇賀克也裁判長)は、引き下げを理由とする保護変更決定処分は違法であるとして、各処分の取り消しを認める判決を言い渡した。
引き下げが開始された2013年以来、10年以上もの長期間にわたる訴えは、原告を支えてきた弁護士たちの“戦い”でもあった。(ライター・榎園哲哉)
自民党「公約」受け生活保護基準引き下げへ
強い日差しが照り付ける最高裁の正門前。原告らがその時を待ちわびていた。裁判を終えた原告代表と弁護士およそ10人が勝訴を伝えるかのように、大きく手を振って出てくると、一斉に歓声が起きた。裁判の大本は、自民党の一つの“公約”が発端だった。ある芸人の母親が息子から扶養を受けられるのに生活保護を受給しているとの報道を機に、生活保護バッシングが発生。自民党は2012年12月の衆議院議員総選挙に際し、「生活保護給付水準の10%引き下げ」を掲げた。
この公約・政策に連動するように厚労省が2013年8月から2015年4月にかけて、3度にわたり生活保護のうちの生活費にあたる「生活扶助費」の基準額を平均6.5%引き下げた。削減額は総額670億円に上った。
これに対し、引き下げの違法性を訴え、2014年2月の佐賀地裁を皮切りに、全国29地裁で提訴がなされた。これまでに43の判決(地裁31、高裁12)が言い渡され、原告側の27勝16敗(地裁20勝11敗、高裁7勝5敗)となっている。このうち、大阪訴訟(2023年4月、大阪高裁で逆転敗訴)と愛知訴訟(同11月、名古屋高裁で逆転勝訴)について、最高裁へ上告がなされ、5月27日に原告と被告双方による弁論が行われていた。
上告審では、「生存権」を定めた憲法25条を受けた生活保護法の8条2項(※)等の解釈などが争点とされた。
※(保護基準及び程度の原則を定めた)前項の基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであって、且つ、これをこえないものでなければならない。
厚労省の“物価偽装”をいかに明らかにするか
本訴訟は、厚労省の恣意(しい)的判断により生活保護基準の引き下げが実施されたことを明らかにする戦いでもあった。同省が行ったのは、独自に算出した生活扶助相当CPI(消費者物価指数)による大幅な「デフレ調整」だった。2008~11年に物価が「4.78%」下落し、その分自由に使える可処分所得が増えたと主張し、生活扶助基準が「4.78%」引き下げられた。
しかし、独自に算出された生活扶助相当CPIは“偽装”されていた。
算出起点を原油高で一時的に物価が高騰した2008年とし、計算方式も総務省統計局が用いる国際基準の方式(ラスパイレス方式)とは異なり下落率が大きくなる方式(パーシェ方式)を混用していた。
また、生活保護世帯はテレビ・パソコンなどはほとんど買わないのにもかかわらず、それらの価格の下落率も反映されていた。これらにより、本来であれば2%ほどである下落率が3%ほど“盛られて”算出されていた。
さらに、生活保護世帯と低所得世帯の消費水準を合わせるとして行われた「ゆがみ調整」でも、低所得世帯の消費水準指数が2分の1に設定されていた(2分の1処理)。
デフレ調整「違法」5人の裁判官全員一致
集会で最高裁判決について報告する小久保弁護士(右から4人目)ら(6月27日 参議院議員会館/榎園哲哉)
6月27日、最高裁で原告勝訴の判決が言い渡された後、大阪・愛知両訴訟を担当する弁護士らは参議院議員会館に場所を移し、報告集会を行った。
大阪訴訟弁護団の伊藤建弁護士は、第三小法廷の「デフレ調整」と「ゆがみ調整」についての判断を語った。
「デフレ調整は全裁判官が一致して違法だと判断した。他方で、ゆがみ調整における2分の1処理は、多数意見(4人の裁判官)は適法と認定し、(行政法学者出身の)宇賀裁判官は違法との反対意見を付した」
さらに、争点の「主戦場」(同弁護士)でもあったデフレ調整については、多数意見は「違法と判断した理由を『専門的知見との整合性がない』こととし、これまでの(原告勝訴の)裁判で主たる理由となった統計など客観的数値の問題、数字の不合理性については踏み込まなかった」と語った。
デフレ調整に関する最高裁の多数意見の違法判断については、愛知訴訟弁護団の渥美雅康弁護士も補足した。
「(被告国側は、算定の指標として)『物価変動率』を用いたことの合理性を十分に説明しなかった。
生活扶助基準については、1983年の中央社会福祉審議会(現・社会保障審議会)の「昭和58年意見具申」で『賃金』や『物価』ではなく『消費』を基準とすべきとされ、それ以降、ずっと水準均衡方式(※)が採用されてきている。
最高裁は、『物価』は、あくまで『消費』と関連付けられる諸要素の一つにすぎず、物価変動が直ちに同程度の消費水準の変動をもたらすものとはいえない。と判示した。
『生活扶助相当CPIの数値のつくり方が正しかったか』という検討に入るまでもなく、国が指標として『物価』を用いたことを違法と判断したということだと考えられる。行政に対し、『消費』ではない別の指標を用いてデフレ調整を行うことは許されない、と示していることは注目される」
※消費実態との均衡上ほぼ妥当であるとの評価を踏まえ、当該年度に想定される一般国民の消費動向を踏まえると同時に、前年度までの一般国民の消費実態との調整を図るという方式。
半世紀にわたる弁護士生活の「最後の戦い」
政治の“介入”による生活保護基準引き下げに対し、見直しを求めてきた一連の裁判。続けて弁護士らは、勝訴にあたっての手応えを語った。高齢の原告女性に寄り添うように戦ってきた大阪訴訟弁護団の脇山美春弁護士は、「最高裁判所は原告の皆さんの苦しみをくみ取り、判断してくださった。司法は生きていた、と感じた」と語った。
同弁護団の一人で、「いのちのとりで裁判全国アクション」事務局長を務める小久保哲郎弁護士も「長い戦いだったが、最高裁が勝たせてくれた。この国の司法が生きているか問われる裁判だった。
「(病身だった両親が田舎で)生活保護を受けたおかげで大学を出られた」と明かしていた弁護士歴55年で86歳の内河恵一弁護士(愛知訴訟弁護団)はこう語った。
「これが弁護士生活の最後の大事件だという思いで裁判に臨んできた。引き下げは選挙公約に掲げていた自民党が政権に就くと同時に、学者(厚労省・生活保護基準部会)の意見も聞かずに実行に移した。決定的に欠陥があった政策だった。国はこれまでの裁判の中で主張を変えてきた。変えたのは最初の検討を十分に行っていなかったからだ」
「判決で勝ったから終わりではない」
愛知訴訟原告団の一人、稲垣智哉さんは集会で「国の人たち(議員、省職員)にも謝罪してほしい」と、引き下げで困窮する生活を強いられているつらさを改めて訴えた。引き下げから10年以上続く裁判の間、最大1027人だった原告のうち2割を超える232人がすでに亡くなっている。
また、報告集会では「私たちは、最高裁判所が『少数者の権利保護を含む法の支配、法による正義を実現する』という司法の本質的役割を果たしたものとして、本判決を高く評価する」ことなどを盛り込んだ「声明」が小久保弁護士によって読み上げられた。
さらに、福岡資麿厚労大臣に宛てた「要請書」も伝えられた。内容は「被害の回復」と「再発防止」の大きく2項目。
このうち「被害の回復」では、①すべての生活保護利用者に対する真摯な謝罪、②2013年改定前基準との差額保護費の遡及(そきゅう)支給、③生活扶助基準と連動する諸制度への影響調査と被害回復など3点の実施を求めている。
このうち、遡及支給については10年以上前にまでさかのぼるため、その総額は多大な額になり、政府には、支払いの事務を速やかに行うことが求められる。
厚生省(当時)職員の経歴をもつ尾藤廣喜弁護士(大阪訴訟弁護団)は、「判決で勝ったから終わりということではない。要請書の内容を現実のものにしなければ、勝利したことにはならない」と力強く決意を示した。
■榎園哲哉
1965年鹿児島県鹿児島市生まれ。私立大学を中退後、中央大学法学部通信教育課程を6年かけ卒業。東京タイムズ社、鹿児島新報社東京支社などでの勤務を経てフリーランスの編集記者・ライターとして独立。防衛ホーム新聞社(自衛隊専門紙発行)などで執筆、武道経験を生かし士道をテーマにした著書刊行も進めている。