
しかし、引き下げ開始から10年以上が経過し、生活保護受給者へ支払われるべき引き下げ前基準との差額(減額)分の遡及(そきゅう)支給額は総額4000億円を超えるとも見込まれる。
原告ら「勝訴」の判決を踏まえ厚労省へ訴え
27日の原告勝訴判決を受けて、30日、東京・霞が関の厚労省前に、「いのちのとりで裁判」を戦ってきた生活保護受給者らが並んだ。都内在住の女性は、同省が入る庁舎を見据え切々と声を上げた。
「今年ほど生活に困ったことはありません。お米がない、電気代が非常に掛かる。電気を止められ、(春先まで)寒くて寒くて、今も不調が続いています。厚生労働省の皆さんにはそういうことをちゃんと考えていただきたい」
街頭宣伝行動に続いて、原告代表と弁護士ら約10人が厚労省幹部に対し交渉を行った。前もって判決後に手渡していた「要請書」への対応を問うためだ。
「要請書」は福岡資麿厚生労働大臣に宛てたもので、「被害の回復」と「再発防止」を求めている。
このうち「被害の回復」については、①すべての生活保護利用者に対する真摯な謝罪、②2013年改定前基準との差額保護費の遡及支給、③生活扶助基準と連動する諸制度への影響調査と被害回復の3項目を要望。
「再発防止」については、①検証委員会の設置による事実経過と原因の調査・解明、②生活保護基準改定方法の適正化、③権利性の明確な「生活保障法」の制定など3項目の実施を求めている。
福岡大臣は、最高裁判決が言い渡された6月27日に、プレスリリースで「厚生労働省としては、司法の最終的な判断が示されたことから、今回の判決内容を十分精査し、適切に対応してまいります」とのコメントを出している。
交渉に臨んだ厚労省社会・援護局保護課企画官も福岡大臣のコメントを“踏襲”した答えに終始した。
生活保護基準が引き下げられた政治的“事情”
立憲民主党のヒアリングに臨んだ弁護士ら(左テーブル)と厚労省幹部(右テーブル)(6月30日 衆院第2議員会館/榎園哲哉)
ヒアリングの中で、長妻昭党代表代行は、民主党(当時)政権で厚労相を務めていた当時を振り返り、自民党が生活保護費基準引き下げを選挙公約に掲げた政治的事情も語った。
「(基準引き下げは)野党だった自民党が(民主党)政権を追い落とすという狙いがあった。リーマン・ショック(2008年9月に起きた世界的金融危機)が起きたことで生活保護受給者が増えていたにもかかわらず、自民党は『民主党政権が生活保護受給者をやみくもに増やした、けしからん』と政治的争点の一つに持っていった。
そして、(生活保護給付水準を)原則1割カットするということを何の根拠もなく乱暴に公約に入れた。自民党が政権に返り咲くと、厚労省としては忖度(そんたく)せざるを得なくなったのだろう。政治の責任も非常に大きい」
旧厚生省職員から法曹界へ転じた尾藤廣喜弁護士は、職員時代には生活保護訴訟(藤木訴訟(※))で国の代理人の一人だった。原告の代理人として挑んだ今回の訴訟と両方の経験を踏まえ、次のように語った。
「最高裁判決で、当時の大臣が行ったことは違法だと確定した。それを踏まえて、原告に謝罪すること、(給付水準を)元に戻すこと、二度と今回のような引き下げを行わないことを、事務当局として大臣にご進言申し上げるべきだ。失敗は速やかに認めるというのがかつての(厚生省の)省風だった」
※ 妻と、夫および夫と同棲中の女性とを同一世帯と認定し、別居して入院中の妻の生活保護申請を却下した処分をめぐる訴訟。東京地裁は公序良俗に反する世帯認定だとして保護申請却下処分を取り消した(昭和47年(1972年)12月25日確定)。
困難を「制度周知の転機にしてほしい」
「要請書」に記された通り、原告代表と弁護士らは福岡大臣、さらには引き下げを公約に掲げた自民党の総裁である石破茂首相の謝罪も求めている。さらに、2013年の引き下げ前基準との差額(減額)分の遡及支給を求めているが、これには大きな困難が伴う見通しだ。
会見にオンライン参加した立命館大産業社会学部の桜井啓太准教授の試算などによると、遡及支給の総額は4000億円を超えるという。制度の不備であり、原告のみならず、制度を利用していた受給者全員(現在約200万人)に支給しなければならないためだ。
原告の支援組織「いのちのとりで裁判全国アクション」の事務局担当は、支給する全国各自治体窓口の対応について、こう語る。
「(引き下げが始まった2013年時点で)誰がどれくらい受給していたのか完全には分からない状況だ。当時の世帯人数や年齢などを考慮し、(引き下げで)被害に遭った金額を査定しなければならないが、正確に査定するにはかつての記録を見て調べなければならない。実際に事務作業を行う自治体窓口からは『本当に大変な作業だ』という言葉があふれている」
生活保護は、病気などで働けなくなった場合、誰もが利用する可能性のある制度だ。また、ナショナル・ミニマム(生存権保障水準)として、最低賃金をはじめとする国民生活にかかわる他の47の制度とも連動している。
「いのちのとりで裁判全国アクション」事務局長も務める小久保哲郎弁護士は「(今回の判決を機に)国には、生活保護受給は国民・市民の権利であり、最低賃金や就学援助、国民健康保険料の減免基準などいろいろな制度に連動している大切な制度であることを伝える転機にしてほしい」と訴えた。
■榎園哲哉
1965年鹿児島県鹿児島市生まれ。私立大学を中退後、中央大学法学部通信教育課程を6年かけ卒業。東京タイムズ社、鹿児島新報社東京支社などでの勤務を経てフリーランスの編集記者・ライターとして独立。