筆者は、公判前に白石と面会し、裁判も継続して傍聴したが、東京地裁立川支部が死刑判決を言い渡した後は面会できなかった。
筆者が特に気になっていたのは、白石にはTwitter(現X)で出会った人の中に「殺していない相手」もいた点だった。(ライター・渋井哲也)
Twitterアカウント多数駆使し被害者と“つながり”
白石は事件を起こす前、女性を風俗店にあっせんする「スカウト」をしていた。2017年2月には職業安定法違反(有害業務の職業紹介)で逮捕され、同年5月に執行猶予付きの有罪判決を受けている。保釈後は、スカウトの際に女性とのやりとりに利用していたTwitterに新たなアカウントを作成。自殺をほのめかす書き込みをした女性らに「一緒に死のう」などとメッセージを送って自宅へ誘い込み、犯行に及んでいた。
白石が事件に使用したとされるTwitterアカウントについて、「死にたい」「首吊り士」の2つが主に報道されていたが、筆者が「事件に関連するアカウントはいくつあるのか」と尋ねた際に、白石は「5つ」と答えた。
「『_(アンダーバー)』『sleep』『さみしい』『死にたい』『首吊り士』。それぞれコンセプトが違います。日常生活の話をつぶやくもの、死にたいとつぶやくもの、自殺の情報や幇助をしているとつぶやくものなど、目的に応じて使い分けていました」
その中でもっとも多くの人とつながったアカウントは『死にたい』だったという。筆者が入手した情報によると、『死にたい』とやりとりしていたのは24人。一方『首吊り士』とやりとりをしていたのは5人だった。
スカウト時代からいくつものTwitterアカウントをマメに動かし、多くの女性たちと出会ってきた白石。
「スカウト時代、アカウントは10個ありました。(職業安定法違反での)逮捕時に警察から削除に同意させられたので、自分のだと(うわさ)されているものは、自分のものではない。また、当時スカウト目的で会った女性たちが(事件後に)取材されているようですが、彼女らは事件と関連はありません」
13人中9人を殺害「残る4人」は?
白石によれば、事件と関連する5つのアカウントを通じて、実際に会った人数は「13人」だったという。うち9人を殺害したが、残る4人はなぜ助かったのか。その理由を尋ねると、白石はこう答えた。「4人のうち1人は男性で、お金もなさそうでした。もう1人は、事件前の8月から10月まで付き合っていた女性。あとは部屋にあるクーラーボックスを見て逃げ出した女性と、10日間だけ一緒に住んでいた女性です」
しかし、殺害した9人のうち1人は男性だった。その男性から奪った金はわずか数千円で、経済的な理由で命を奪ったとは考えにくい。白石は1人目の被害者であるAさんについてこう説明していた。
「すぐに親しくなり、お金を持っていることがわかり、ヒモになろうと考えました。アパートの契約までしてくれましたが、彼女に他にも男がいることがわかりました。
この「他の男」こそ、後に3人目の被害者となる男性Cさんだ。一部報道等でも「カップル」 と言われていたAさんとCさんだが、白石はAさんが実際にCさんに恋愛感情を抱いていたかを確かめていなかった。これはあくまで筆者の推測だが、AさんとCさんは、白石の“思い込み”で殺害された可能性もあるのではないだろうか。
「後悔」と「謝罪」は、誰に向けられたのか
白石が自らの行為をどう受け止めていたのかは、裁判での発言から垣間見えた。弁護団の質問にほとんど答えなかった白石だが、最後の被告人質問で、弁護士から「一連の事件について後悔していますか?」と尋ねられた際、白石はこう答えた。
「結果として捕まってしまったので、後悔しています」
また、殺害した9人のうち4人の殺害については「後悔している」と口にした。その理由を検察官が問うと、「過ごした時間の長さ、被害者の家庭環境、逮捕につながったかどうかです」と述べた。
それを聞いた検察官が「遺族のことを想像するのが難しいようですが、もし、自分の母親や妹が殺害されたら?と想像したことがありますか」と続けると、こう答えた。
「あります。同じことをされたら、殺した人間を追い詰めて、殺しに行くと思います。一部の人には、しっかりと謝罪をしたかった。
検察官が「では今、謝罪してください」と促すと、白石はしずかに口を開いた。
「私が起こした行動により命を奪ってしまい、本当に申し訳ございませんでした。大人しく罪を認め、罰を受けます。以上です」
こうして“一部の人”に謝罪をした白石に対し、東京地裁立川支部は死刑を言い渡した。
弁護団は控訴したが、白石が控訴を取り下げ、控訴期限の2021年1月5日に死刑が確定した。その後、白石の身柄は東京拘置所へ移送され、2025年6月27日に死刑が執行された。
刑の執行を待つ間も手紙のやりとりをする相手はいなかったと言われている。
殺した人と殺さなかった人、謝罪した人としなかった人。白石の中でそこにはどんな選別があったのか。最後まではっきりとしなかったが、執行までの4年半、白石は自分なりに“反省”をしていたのだろうか。
■渋井哲也
栃木県生まれ。長野日報の記者を経て、フリーに。