国家賠償は認められなかったが、原告たちの主張がおおむね認められた形である。
しかし、実際の判決文を目にして、筆者の気持ちは晴れず、「手放しで喜ぶわけにはいかない」と感じた。
原告らは、長年にわたって国の違法な行為により痛めつけられただけでなく、「裁判をするなら働け」などの理不尽な「生活保護叩き」にさらされてきた。にもかかわらず、判決を読めば読むほど、原告らの救済・損害の回復が本当に実現されるのか、不安を抱かざるを得なくなる。(みわ よしこ)
歴史的な最高裁判決への喜びと、“不吉”な予感
2025年6月27日午後、最高裁判所正門前には、数百人の人々が集まっていた。2013年、生活保護基準の引き下げによって「健康で文化的」と言える最低限度の生活を営む権利を侵害された制度利用者たち。貧困状態の人々の暮らしを多様な形で支える支援者たち。引き下げの撤回を求める全国での集団訴訟をサポートした法律家たち、そして多数のメディア。
誰もが、15時から第三小法廷で言い渡される判決を待っていた。この日、愛知県と大阪府の原告たちに対して、初めての最高裁判決が言い渡される。
26席しかない傍聴席に入れなかった私は、判決が知らされるのを正門前で待ちながらカメラのチェックをしていた。すると、背後でスマホを手にしていた人々から「勝った」という声が漏れた。画面を見せてもらって原告勝訴を知ると、思わずうれし涙が漏れた。
2013年以後、生活保護世帯は、生活費分の引き下げに加えて家賃補助や冬の暖房費の引き下げ、その他の小さな引き下げ多数、そしてインフレやコロナ禍によって、じわじわと生存を削られ続けていた。
私は、取材者の立場ではあるが、経済的DVやモラル・ハラスメントを面前で見続けていたようなものだ。それに対し、最高裁は「国が誤っていた」と明確に示してくれた。
しかし、「うれしい」「ホッとする」……どのような形容詞も、しっくり来ない。まさに、英語の「beyond description(言葉にできない)」そのものだ。
数十分後、判決文を確認してみた。心の中に「喜んでいいのかな?」という不安と不吉な予感が湧き上がってきた。
「専門的知見」が、生活保護基準の決定において果たす役割とは
一連の訴訟で争われたのは、厚生労働大臣による生活保護基準の設定が適法・妥当であったか否かである。2013年の保護基準見直しは、生活費分である生活扶助費が総額で670億円(全体の6.5%)の引き下げとなった。このうち580億円分を占めたのが物価下落を理由とする「デフレ調整」であったが、数か月のうちに、根拠のない“非実在デフレ”であることが明らかにされた。
残る90億円分は「ゆがみ調整」であった。これは、生活保護世帯の暮らしの実情に含まれる「都市部の方が地方より相対的にラク」「子どものいる世帯の消費は、そうではない世帯の消費より活発」といった差異を平準化するものであった。
生活保護基準は、憲法25条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」を実現するために必要な費用であり、生活保護法8条1項に基づいて厚労大臣(実際には厚労省)が定める。
国会の議決を経ずに厚労大臣が定めることが認められている理由は、たとえば急激な物価高騰など予算策定時には予測できなかった事態に対しても、迅速に保護基準を引き上げることによって、生存権を保障し続けるためである。緊急引き上げ措置は、オイルショック下の1973年と1974年に実際に行われた。
そして、生活保護基準を定めるにあたっては、生活保護法8条2項によって「要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、かつ、これをこえないものでなければならない」との縛りがかけられている。
とはいえ、厚労大臣と厚労省職員のみでは法律にのっとった正しい判断が可能とは限らないため、科学的・専門的知見を参照して決定することとされてきた。
具体的には、政府や厚労省が設置してきた「専門家らの合議体」の数々が行う答申や報告を踏まえ、厚労省が生活保護基準を決定する。
2011年以後は、社会保障審議会・生活保護基準部会(以下、基準部会)が常設され、保護基準の検討を続けている。
2013年1月、当該年度の保護基準見直しを前に、基準部会は報告書を取りまとめた。そこには、「ゆがみ調整」の根拠と取れる記述はあったが、「デフレ調整」については全く述べられていなかった。
さらに「ゆがみ調整」にあたり、厚労省は「2分の1」を乗じていた。増額分も減額分も「2分の1」になるため、増額となる世帯を大幅に減少させることができるわけであったが、この「2分の1」という数値には何の根拠もなかった。
「玉虫色」「大人の事情」では済ませられない、最高裁判決の“危うさ”
6月27日に示された2本の最高裁判決は、名古屋高裁判決と大阪高裁判決に対応するものであった。原告勝訴の名古屋高裁判決は大枠において支持され、原告敗訴の大阪高裁判決については国の上告が退けられた。本裁判で争われてきた論点は大きく7点あり、今回、最高裁判決で判断された論点は以下の5点である。
- 専門的知見の軽視
- 物価の直接参照
- デフレ調整
- ゆがみ調整において「2分の1」を乗じたこと
- 国家賠償(慰謝料支払い)請求の可否
判決において原告勝訴の根拠となったのは、「専門的知見の軽視」「物価の直接参照」「デフレ調整」の3点である。
特に「デフレ調整」に関しては、判決文に「物価変動率のみを直接の指標としてデフレ調整をすることとした点において、その厚生労働大臣の判断に裁量権の範囲の逸脱またはその濫用があり、生活保護法3条、8条2項に違反して違法というべき」という厳しい批判が述べられている。
しかし、「ゆがみ調整において『2分の1』を乗じたこと」については、「(基準部会の)意見等は同大臣(厚労大臣)を法的に拘束するものではなく、その考慮要素として位置付けられるべき」に過ぎず、「大臣の判断の過程及び手続に過誤、欠落」があったとは言えないとされている。
根が理系の筆者は、「なぜ、これが過誤や欠落にならないのか」という疑問を消すことができない。むろん、現在までの裁判の経緯の中で、「2分の1」という謎の係数の妥当性は争われてきたのだが、国は意味と必要性を示せていない。それでも過誤や欠落と判断されないのは、いったい、どういうことなのか。
最高裁判決に埋め込まれた「政府へのヒント」の数々
悲観的に解釈すると、「基準部会が示した専門的知見の拡大解釈で90億円の引き下げを行うことに対して、最高裁はお墨付きを与えた」ということになる。当時の厚労省にとって「ノルマ」であったと見られる670億円の引き下げを行うためには、580億円足りない。それで導入されたのが「デフレ調整」であったと考えられるが、あまりも粗雑かつ稚拙であったため、今回の国側敗訴の原因となった。
言い換えれば、今回の最高裁判断は、厚労省に対する「基準部会の報告書の内容を踏まえつつ、90億円程度以下の小さめの削減を重ねるようにすれば、行政訴訟で負けないかもしれない」というヒントやメッセージとして機能してしまう可能性がある。
また、「原告である生活保護受給者たちの苦痛」についての判断はない。国家賠償については、当時の厚労大臣が「職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と本件改定をした」というわけではないため認められないとしている。
問題となった物価の直接参照についても、2004年まで厚労省に設置されていた委員会の検討に含まれていた「可能性としては考えられる」といった記述から「物価を直接参照したから不適切とまでは言えない」と述べ、国家賠償を認めない根拠としている。
この部分も、「根拠らしいものがあれば、敗訴させずに済んだのだけど」という厚労省へのメッセージとして機能する可能性が皆無ではないだろう。
今回の判決には、林道晴裁判官による補足意見、そして宇賀克也裁判官による少数意見がある。
林裁判官補足意見は、生活保護基準決定に関して「被保護者のみならず、国民一般の理解も得られるよう」に丁寧な手続きによる検討と十分な説明を求めている。
宇賀裁判官少数意見は、原告の主張をおおむね全面的に認めており、特に精神的苦痛に関しては「違法に引下げ幅を拡大して、その結果、上告人らが『最低限度の生活の需要を満たす』ことができない状態を9年以上にわたり強いられ」たとし、国家賠償を認めるべきと述べている。
しかし、それらの箇所からさえ、「こうすれば裁判になっても敗けないだろうから、うまくおやりなさい」というヒントを読み取ることはできる。無理筋ではあるが、「国民一般の理解のもとで、違法とされない範囲で引き下げ幅を拡大し、結果として被保護者が苦しむことは致し方ない」という解釈も成り立つ。
最高裁判決の前後に、何が起きているのか
最後に、悲観的な視点からの読み取りに基づく内容を念頭に置き、最高裁判決の前後の国側の動きを見てみよう。【6月10日~6月20日ごろ】
通例に従い、最高裁から厚労省へ判決予告が送付されていたとみられる。
【6月18日】
生活保護基準部会の再開が告知された。
【6月24日】
生活保護基準部会が再開された。2022年12月以来、2年半ぶり。2027年に予定されている生活保護基準見直しを検討する。
生活保護受給者の生活を悪化させない観点からの発言を続けてきた阿部彩氏・山田篤裕氏の残留はなかった。女性委員は、前回の2人から4人へと倍増。なお、委員の退任および新任は、判決予告よりも前、遅くとも2024年度内に決定されていたはずである。
【6月27日】
午後、最高裁判決。
夕刻、厚労省と原告団の面談。原告団は謝罪・補償・経緯の調査および検証を求めた。厚労省からは、保護課の課長補佐が出席。原告・支援者・弁護団からの申し入れに対する応答は「真摯(しんし)に受け止め、精査のうえ検討し、適切に対応します」に終始。
尾藤廣喜弁護士(左)が厚労省保護課課長補佐(右)に「申し入れ書」を手交(6月27日 厚生労働省/みわよしこ)
【6月30日】
午前中、福岡資麿厚生労働大臣が定例会見を行い、最高裁判決に関して「真摯に受け止め、判決の趣旨及び内容を十分精査のうえ、今後の対応について検討してまいります」と述べた。今後については、対応に関して専門家の審議会を設けるという方針を述べた。
記者から謝罪・補償・2013年の基準改定の、経緯の調査および検証の予定に関する質問があったものの、前述の内容が繰り返されるのみであった。
午後、原告団から厚労省への2回目の申し入れ。原告団は謝罪・補償・経緯の調査および検証を求めた。厚労省からは企画官が出席。課長級ではあるが、生活保護に関する決裁権はない。
厚労省からの応答は、前回と同様に「真摯に受け止め、精査のうえ検討し、適切に対応します」に終始し、厚労大臣が述べたばかりの専門家による審議会については言及しなかった。なお同時間帯、立憲民主党が厚労省に対するヒアリングを行っており、保護課長はそちらに出席していた。
【7月2日】
立憲民主党ウェブサイトで、6月30日のヒアリングの様子が公表された。立憲民主党は、謝罪・補償・経緯の調査および検証を求めるのに加え、2013年の生活保護基準引き下げが2012年の衆議院選挙において公約されていたことに言及し、自民党総裁である石破茂首相もコメントすべきとした。
【7月7日】
午後、原告団から厚労省への3回目の申し入れ。原告団は謝罪・補償・経緯の調査および検証に加え、専門家による審議会の設置予定を撤回するよう求めたが、厚労省からは回答といえる回答はなかった。
【7月20日】
参議院議員選挙
【7月25日】
原告団から厚労省への4回目の申し入れ(予定)
参院選前に「政権与党の誤り」を認めるわけにいかない?
現在の政権与党は、選挙を控えた時期に「生活保護基準の引き下げは誤っていた」と認めるわけにはいかないのかもしれない。厚労省としては、参院選の結果と新政権の発足を待たずに謝罪や補償に関する考えを表明することはできないのかもしれない。まして、経緯の調査や検証を行って結果として自民党を批判にさらすことは、何としても避けたいのかもしれない。
いずれにしても、参院選の結果やその後を予想しつつ、数通りのシナリオに基づく戦略や戦術がすでに立てられているものと推測される。
とはいえ、最高裁が確定させた判決を軽く扱うわけにもいかない。特に専門的知見の軽視は、判決文で厳しく批判されたばかりである。専門家による審議会を新設し、そこでの審議と答申を待ってから今後の対応を行えば、社会に「専門的知見を重視した」と示すことができる。
なんといっても、生活保護基準部会も、新設されるかもしれない審議会も、委員や構成員の人選を行うのは厚労省である。7月20日の参院選でどのような政権が成立しようとも、「その時の厚労省にとっての最適解になるように人選を行えばよい」ということになる。
そのような「大人の事情」に翻弄(ほんろう)されている間にも、暑さや空腹や貧困に伴うストレスが、生活保護を利用する当事者たちを苦しめつづける。酷暑の夏は、もう到来している。
■みわ よしこ
フリーランスライター。博士(学術)。著書は『生活保護制度の政策決定 「自立支援」に翻弄されるセーフティネット』(日本評論社、2023年)、『いちばんやさしいアルゴリズムの本』(永島孝との共著、技術評論社、2013年)など。
東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了。立命館大学大学院博士課程修了。ICT技術者・企業内研究者などを経験した後、2000年より、著述業にほぼ専念。その後、中途障害者となったことから、社会問題、教育、科学、技術など、幅広い関心対象を持つようになった。
2014年、貧困ジャーナリズム大賞を受賞。2023年、生活保護制度の政策決定に関する研究で博士の学位を授与され、現在は災害被災地の復興における社会保障給付の役割を研究。また2014年より、国連等での国際人権活動を継続している。
日本科学技術ジャーナリスト会議理事、立命館大学客員協力研究員。約40年にわたり、保護猫と暮らし続ける愛猫家。