レッテルを貼られて「超法規的殺害」される危険性
本訴訟の原告はフィリピン人男性のヴィレーナ・エドセル・ジョバンニ・マウリーロさん。2005年に来日する前、エドセルさんはフィリピンで「トライシクル」と呼ばれる三輪タクシーの運転手をしており、組合に所属して労働運動にも携わっていた。
当時、フィリピンでは反政府的な活動家に「共産党」のレッテルを貼り、政府機関による捜査や攻撃の対象とする「赤タグ付け」が行われていた。同国では、警察や軍などが司法の手続きを経ずに市民を殺す超法規的殺害が横行しているが、赤タグ付けされた人もその対象となる。
エドセルさんの同僚も殺害されたという。そして自身も赤タグを付けられてしまい、身の安全を守るため、親族や知人がおり人権擁護団体の支部もある日本に亡命した。
当初は90日間の短期ビザで来日し、その後、在留資格を更新するため弁護士らに相談していくうちに難民条約や難民認定制度の存在を知り、自身の状況は難民に該当すると考え、2016年に初めての難民認定を申請。
2020年、入管はエドセルさんを難民と認定しない旨の処分を行う。審査請求も2022年に棄却されたため、処分の取り消しを求めて国を提訴した。
裁判所は「客観的な証拠がない」として棄却
原告側は、エドセルさんは「政治的意見により迫害を受けるおそれがある者」に該当するため難民と認められるべき、と主張している。しかし、一審の東京地裁は原告の主張のほとんどを「客観的な証拠がない」として退けた。
今回の二審では、一審の際に提出した証拠に加え、組合員活動をしていた時の組合員証や、当時の紛争が現地で刑事事件として起訴された際の無罪判決文などの証拠を新たに入手し、裁判所に提出。
だが、高裁はエドセルさんが活動家であることすら、はっきりとは認定せず。難民と認めることはできないとして、原判決を維持し、控訴を棄却した。
難民認定者に求められる「証拠」のハードルは高い
判決後に会見を開いた原告代理人の笹本潤弁護士によると、エドセルさんは来日後も、フィリピン政府を批判する活動を日本で行ってきた。しかし、その事実も裁判所は認定しなかったという。「難民認定に関する裁判では、原告側に過度な立証責任が課されることが多い。しかし、そもそも難民とは命からがら逃げてくるのであり、自分が難民であると証明するのに十分な証拠を集めてから来日するわけではない」(笹本弁護士)
これまで、アフリカ諸国で逮捕状を出された反政府活動家が難民認定されたケースはあった。しかし、フィリピンの「赤タグ付け」は警察と軍が一体になって暗黙のうちに行うものであり、公式な書類が発行されるわけではない。
警察内部に赤タグのリストが存在する可能性はあるが、それを入手することは実質的に不可能であると、「客観的な証拠」を入手するためのハードルの高さを笹本弁護士は強調した。
「私としては、断じて、許せない判決。国際基準にも合致していない。
難民は着の身着のままでやってくることを考慮すべきという点は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が発行している、難民認定基準のガイドラインにも記されている。それすらも、守られていない。
日本の難民認定率は、ヨーロッパやアメリカに比べても著しく低い。日本の鎖国性が表れている」(笹本弁護士)
難民を追い返すなら「日本は違法な政府の共犯」
エドセルさんが亡命した当時、フィリピンではグロリア・アロヨ大統領が政権を担っていた。「赤タグ付け」に象徴される活動家への弾圧は当時から行われていたが、エドセルさんが難民認定を申請した2016年にはロドリゴ・ドゥテルテ大統領が就任。ドゥテルテ大統領は「麻薬撲滅」の名目に乗じて反政府活動家も多数処刑するなど、弾圧はますます激しくなっていた。
また、エドセルさんが在住していたラグナ州は開発特区であり、日本も含めた外国企業が多数進出している。反面、労働者の賃金は安いため、組合活動も盛ん。そして、企業を誘致したい思惑からフィリピン政府は組合活動を弾圧する構図があるという。
エドセルさんは「裁判所は、私が提出した証拠は偽物だといった。しかし、どうすれば証明できるというのか。来日前に迫害や嫌がらせを受けていたという事実は、書類でも明らかなのに…」と語る。
「もし私に何かが起きたら、その責任は日本の入管、そして日本の政府にもある。そのことを忘れないでほしい。同じことは、他の何千もの難民たちにも当てはまる。
いま世界はかつてないほどの危機に直面している。日本のような、平和な場所に逃れようとしてくる人々は増えている。
笹本弁護士によると、最高裁への上告も検討するとのことだ。