2023年10月、大阪府茨木市の元福祉事務所職員が、生活保護受給者を貧困ビジネスの業者に紹介し、見返りに金品を受け取っていた容疑で逮捕されました。
また、2024年3月には、男性ケースワーカーが受給者11人を引っ越し業者にあっせんし、計61万3000円を受け取っていた事実も報道されました。

公判では、不要な転居を強いられた受給者が自死したことも明らかになり、受給者を「金を引き出す手段」として扱っていた証拠が、次々と示されました。
同時期に、同じ茨木市の福祉事務所で生活保護を受けていたシングルマザーのリカさん(仮名・40代)は、そのニュースを目にして、思わず「やっぱり」とつぶやいたそうです。
リカさんは今年の春、生活保護を卒業しましたが、ケースワーカーから人としての尊厳を踏みにじる理不尽な罵倒を受け、心身を病むなど、耐えがたい苦しみを味わいました。その背景には、間違いなく、生活保護に対する深刻な偏見や誤解があります。
そのリカさんの体験から、等身大の生活保護利用者の姿を描くことで、「明日はわが身」として、誰もが社会のあり方を見つめ直すきっかけになればと思います。(行政書士・三木ひとみ)

DV被害者の一時保護施設から再出発

リカさんは、一人息子のミチオくんと二人暮らしです。ミチオくんが幼い頃、元夫によるたび重なるDVに耐えかね、家を出ました。
DV被害女性用の一時保護施設に身を寄せ、夫と物理的に距離を取ってから、なんとか離婚を成立させ、その後、女手一つで子どもを育てるため、休む間もなく働き続けました。
非正規での仕事を掛け持ちし、昼は就労継続支援事業で支援員として、夜は運送業者で働く日々。複数の仕事を抱えながら子育てをする現実は、過酷そのものでした。
就労施設の利用者によるストーカー被害に遭い、やむなく支援の仕事を離れざるを得なくなりましたが、その後はスーパーのレジ打ち、配送センターでの肉体労働、業種も時間帯も問わず、働ける場所があればどこへでも出向き、ひたすらに働きました。
少しでも就職の可能性を広げようと、フォークリフトの免許も取得しました。
そうして、ミチオくんを大学に進学させることもできました。

「生活保護なんて受けたくない」心療内科で号泣

しかし、無理を重ねて働き続ける生活は、リカさんの心身をむしばんでいきました。
食事をとる暇もなく、栄養失調に陥り、トイレに行くことさえままならなくなったある日、リカさんは「このままだと本当に死んでしまう」と、這(は)うようにして病院を訪ねました。
2020年の労災保険法改正によって、ようやく、副業や兼業をする労働者にも労災保険が適用されるようになりました。しかし、リカさんが昼も夜も休みなく働き詰めていた当時は、まだ、「一つの会社で働くこと」が前提の法律でした。
複数の仕事を兼ねる労働者の労働時間は会社ごとに分断され、膨大な労働をしても労災認定されず、泣き寝入りをせざるを得なかった時代です。
「今は、とにかく生活保護を受けて、体を休めましょう」
医師から診察室で告げられたリカさんは、生活保護なんて受けたくないと声を上げて泣いたといいます。
医師は、まるで幼い子をあやすように言いました。
「じゃあまず、働けるようになるために、食べて、寝て、休みましょう」
ようやくリカさんは我に返り、生活保護の受給を決意しました。
心のどこかに、働き続けてきた自負と、生活保護に対する世間の偏見が根を張っていたのでしょう。
リカさんに限らず、生活保護を受けることが、自分の人生や選択を失敗だと認めるようで、怖かったという声はよく聞きます。そのような意識が、社会に根強く存在する、生活保護への誤解と偏見に影響されたものであることは明らかでしょう。
助けを求めることさえためらう人が、いまこの瞬間も、日本のどこかで静かに追い詰められています。

働きながら生活保護を受けることに

リカさんは生活保護を申請し、受給が始まりました。ミチオくんは「世帯分離」をし、大学へ通い続けることができました。
もともと母子家庭で学費の減免を受けており、かつ奨学金も利用して、なんとか学業を続けることができていたのです。
しかし、リカさんの心は「休むこと」に慣れませんでした。体力を取り戻したら、もう一度働きたい。少しずつでいい、自分の力で生活を立て直したいという思いは消えることがなかったといいます。
そんなとき、大阪府茨木市が独自に実施していた「就農支援」制度の存在を知りました。いつか自然の中で、自分のペースで働く夢がふと胸をよぎりました。
その助走のため、まずは体力づくりを兼ねて、派遣で単発の日雇い労働を始めることに。しかし、肝臓の数値が悪化し、医師からは繰り返しドクターストップがかかりました。
やがて、通院治療と両立可能な理解ある職場にも恵まれました。資格を取得し、地道に就労を続け、月々の収入も必ず申告。法にのっとり、まっとうに生活保護制度を活用していたリカさん。
ところが、ここでもまた、試練が訪れます。

4月のある日、新しく担当になったケースワーカーから、突然、電話がありました。
「来月から、通勤定期代1万円も収入として認定し、保護費を減額します」
着任したばかりのケースワーカーとの最初の会話で、絶望の淵に。納得できず、「仕事に出るために必要な交通費まで収入扱いですか?」異議を唱えると、返ってきたのは大声での責(しっせき)でした。
「一度決まったことなんだから文句を言うな! この対応は問題ない!」
さらに、その後もハラスメントともいえる対応は続きます。

「子どもを大学に行かせるなんて、ぜいたく」ケースワーカーの暴言

ある日、通院移送費の相談で役所を訪れたリカさんに、ケースワーカーは矢継ぎ早にハラスメント発言を繰り返しました。時には意地悪そうなニヤニヤ顔で暴言を吐いたといいます。
「駅前に出るバス代すらないんなら、子どもに大学をやめさせればいい。生活保護世帯なのに大学に行かせるなんてぜいたく」
「生活保護を受けていたら、子どもが大学に行きたがっても、あきらめさせて高校卒業後に働くように説得するのが普通の親。子どもも、高校卒業後の進路で就職を選ぶのが普通」
「あなたたち親子は、親子そろって非常識で厚かましい!」
「そんなに大学に行かせたいなら、生活保護をやめたら~?」
「生活保護世帯でありながら、就職せずに大学に行ったような子どもなんて、見捨てたらいい」
「通院バス代を捻出できないなんて、無駄遣いが多くて金銭管理能力がないってことなんだから、施設に入ってもらうことになる」
母として、絶対に譲れない一線を越えた暴言の数々。
真夏の節約生活の中、氷枕でしのぎながら勉強を続け、家事も担って、働く病気の母を助けてくれた自慢の息子。大学の先生から「この調子で頑張れば、卒業式に成績優秀者で表彰されるよ」と言われていたともいいます。その息子を、非常識と一蹴されたことだけは、どうしても許せませんでした。
その怒りさえも必死に飲み込んで、押さえ込みながら生活をしていたある朝、リカさんは文字通り、プスン…と、電池が切れたように、起き上がることも指一本動かすこともできなくなっていました。

傷病手当金を申請しようとしたら…役所の“異常な対応”

再就職を果たした矢先、再び襲った体調不良。血尿、急性腎盂(じんう)腎炎――原因は、明らかでした。あのケースワーカーからの、執拗(しつよう)なハラスメントです。
医師の勧めもあり、リカさんは給与額の約3分の2を受け取れる「傷病手当金」の申請を決意します。
リカさんは派遣労働者だったので、雇用保険制度が適用され、2か間に通算26日以上、または6か月間に78日以上働いていたため、傷病手当金の受給資格がありました。
傷病手当金の申請には、診断書代、通院費、申請書類の印刷代や郵送費等の実費がかかります。
リカさんは役所に、それらの実費を傷病手当金から支払うために、全額を収入として認定しないでほしいと、極めて常識的な要望を行いました。しかし、役所の対応は異常でした。
「なんでもかんでも認めるわけにはいかなーい!
大切な税金の濫給にあたる!
受給者の生活や健康なんかより、生活保護費削減!
生活保護費削減が第一優先や!」
リカさんは、怒声を浴びせられました。そのときすでに、彼女の体はストレスにむしばまれ、肝機能障害を起こし、黄疸(おうだん)まで出ていたのです。
「もう、限界。傷病手当金はあきらめようか」
そう思いかけたとき、ケースワーカーはさらに追い打ちをかけてきました。「傷病手当金を申請しないなんて、生活保護法違反です!」
体調は悪化の一途。
傷病手当金の申請にかかる経費は自己負担。バス代を払いながら、何度も何度も窓口に足を運ぶ。そうしているうちに、ある日突然、リカさんは役所の帰り道で迷走神経反射を起こし、道端で意識を失って倒れました。
もう、心も体も限界でした。

すべての被害を記録に残して自衛

「あのケースワーカーとの会話中に、私はDVをした元夫と同じ匂いを感じていました。声のトーン、詰め寄り方、否定の仕方」
最初は「この人だけが異常なんだ」と思っていたリカさん。しかし、頑として経費控除を認めない役所の対応を、ある市議会議員に相談したところ、あっさりとこう言われました。
「それは、役所の常とう手段、組織の文化ですよ。日常茶飯事です」
議員からは、「会話の録音をとること」「日記をつけ、新聞の日付と一緒に証拠化すること」など、自衛の方法をアドバイスされました。
リカさんは、行政の理不尽な対応に泣き寝入りしたくないと決意し、「記録を残す」ことを始めました。
「私はちゃんと法令を守っている。だからこそ、公的機関にもそれを求めたい」
そう思い、毎月の収入申告書の余白に、ケースワーカーから受けた言動や対応の矛盾を書き続けました。
「通勤定期代を“収入”とみなして減額されたのは納得できません。
法律を守れというなら、まずそちらが守ってください」
静かな抵抗は、やがて実を結びました。何の説明もないまま、突如として、通勤定期代が以前のように経費として控除されるようになったのです。理不尽な力に対して、声を上げ、証拠を残し、あきらめなかったからこそ勝ち取れた一歩でした。

「頑張っても報われない」から、壊れていく人たち

「私も、あの北新地の放火殺人事件の犯人と同じだったんです」
リカさんはそう語ります。2021年12月、60代の男性が大阪・北新地のビルに放火し、26人が亡くなった事件のことです。被疑者は事件から2週間後に死亡。社会的に孤立し、犯行前に生活保護申請をしていたにもかかわらず受給に至らなかったことが判明しています。
病気、年齢、職歴、地域。さまざまな条件が重なれば、就職や転職は難しくなるのが今の日本です。意欲がある人ほど、もがき、あがき、苦しむ。そして、限界を超えたとき、自暴自棄になる。
「働く意欲があるのに働けないという状態で、『求職活動をしていたなんて嘘』と福祉の現場から切り捨てられたら、人は壊れますよ」
「『生活保護に甘んじて仕事をする気なし』というレッテルを、福祉事務所から安易に貼られてしまうんです。そういう目で見て理不尽な扱いをしてくるケースワーカーと闘いながら、求職活動をするわけです。いやが応でも、ストレスレベルも一気に上がってしまいます」
「『甘えている』なんて言われるけど、むしろ逆です。他の誰にも甘えられないから、最後のセーフティーネットを利用するしかないんです」

「一緒に生活保護を卒業しよう」大学生の息子との約束

そんな日々のなかでも、リカさんが折れずにいられたのは、勉強熱心なミチオくんの存在があったからでした。
「僕もがんばって大学を卒業するから、お母さんも一緒に、生活保護を卒業しよう」
その言葉を胸に、どれだけ傷ついても、倒れても、何度でも立ち上がってきました。
2025年3月。リカさんは、福祉事務所に最後の申請書類を提出したその足で、ミチオくんの大学の卒業式に向かいました。
会場でミチオくんと目が合った瞬間、目の奥に涙がにじみました。
「お母さん、壇上で名前を呼ばれてさ、周りから拍手されて、変な感じだった。成績優秀者で表彰された。やっと、ここまで来たよ」
そう言って笑ったミチオくんの顔を見て、リカさんは、何年も張り詰めていたものが、一気にほどけていくのを感じました。
リカさんは人目もはばからず、声をあげて泣いてしまいました。親子で決めた「ダブル卒業」の約束が、とうとう叶ったのです。

何があっても、生きていてほしい

リカさんは、自分自身が「死んでしまえたら楽なのに」と思うほどの苦しみを味わったからこそ、伝えたいことがあるといいます。
「自殺は、あまりにももったいない。
この世にひとつだけ絶対に決まっていることは、『いつか人は死ぬ』ということだけです。
だからこそ、それまでは、どんな形でもいいから、しぶとく、生きていてほしい。
たとえ、暇つぶしみたいな気持ちでも。泣いたり、笑ったり、怒ったり、つまずいたり。そんな感情を味わえること自体が、生きている証だから。
同じ環境にいても、穏やかに笑える人のほうが、きっと幸せ。でも、その幸せを決めるのは、誰でもない、自分自身なのです。
今日を、ただ生き延びるだけでも、それは立派な一歩です。
明日もまた、どうか、生きていてください」


三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に「わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)」(ペンコム)がある。


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