近年、障害者雇用は進み、働く障害者の姿は珍しくなくなってきました。法定雇用率の引き上げなど制度整備も進みましたが、それでもすべての人が働けるわけではありません。重い障害や複雑な事情で、どうしても自立が難しい人もいます。
特に、親に支えられてきた子どもが、親を失った後どう生きていくのかという不安は、多くの親の胸に重くのしかかります。そこで、重要な役割を果たしうるのが、生活保護の制度です。
世の中には、わが子の将来を心配しながらも、「生活保護に頼るのは恥ずかしいこと」「まだ自分たちで何とかできる」と、申請をためらう家庭は少なくありません。けれども、本来は、生活保護を受給するのにそうした迷いや遠慮を抱える必要はないはずです。
今回は、障害者雇用の現状を踏まえながら、それでも支えが必要な人々にとって生活保護がどのように役立つのか、親がどんな準備をしておけるのか、そして社会としてどのように向き合うべきかを考えます。(行政書士・三木ひとみ)
親がいなくなった後、どうすればいいのか? ある家族の選択
最初に、私のご近所さんで、以前、ブラック労働と生活保護についての記事を執筆した際に社労士業務に関する部分を監修していただいた、社労士・行政書士の山田六郎先生のご家族の話を、山田先生のご了承を得たうえで紹介したいと思います。山田先生には妻のミキコさんと2人の息子、長男のタクトくんと次男のアユムくん(いずれも仮名)がおり、アユムくんは重度の知的障害を伴う自閉症です。
山田先生ご一家は、アユムくんが障害の診断を受けてから、家族ぐるみでケアをしてきました。ミキコさんは、アユムくんの自立の可能性を少しでも広げるために、あらゆる療育法を試し、自身も40代に入ってから特別支援学校の教員免許を取得。また、長男のタクトくんも、幼い頃から弟の世話をしながら家事を手伝いました。
アユムくんが原因でタクトくんがいじめられたり、タクトくんが学校からアユムくんの世話をさせるため呼び出されたりすることがないよう、小学校の時から兄弟の進学先を別にしたそうです。
そのようにして、あえて兄弟の間に距離を設けることで、関係が良好に保たれてきた面があるといいます。
山田先生の家庭における対策にはもう一つ、印象的なものがありました。孫の行く末を案じた山田先生のお父さまが、孫のタクトくんとの間で、遺産の一部を譲渡する契約を結んだのです。法定相続人である山田先生を飛ばす形です。
将来、タクトくんがアユムくんの生活の面倒を多少なりとも見ることになるので、その原資にあてるためです。
このように、アユムくんが幸せな人生を送れるよう、山田先生とご家族が一丸となって努力を重ねてきているのを、私は長年、隣人として目の当たりにしてきました。
その山田先生がある時、ふと発した言葉が、私の胸に突き刺さりました。
「私たち親が元気なうちはいい。でも、親が死んだあと、この子が幸せに一生を終えられるのか、それが心配でならないんです」
ご自身がこの世を去った後のことについて、家族ぐるみで経済的な手当てを講じた後でも、なお、当事者でなければ理解できない苦悩があることを、痛感しました。
ましてや、世の中では、山田先生のご家族のような経済的なフォローが難しい家庭も多いのが現実です。そもそも、さまざまな障害のある子が一生に必要とする、すべての費用の準備を、親に求めることは酷です。
“障害とともに”生きる権利
医療の進歩や教育の普及とともに、障害への理解や支援が進んできました。今では、障害のある人を軽視するような言葉を公然と口にする人は減り、社会全体も多様性を尊重する方向に歩み始めています。また、自治体の福祉制度や乳幼児健診、発達支援の仕組みが整いつつあります。発達障害なども早期に発見されるケースが増え、療育や支援によって社会的な自立や適応が可能になる子どもも少なくありません。
さらに、この10年で障害者の雇用は大きく伸び、民間企業や公的機関で活躍する障害者は約2倍に増えました。制度整備や社会の理解が進んだ成果です。
学校でも、教員・事務職・技術職などで障害者が幅広く活躍するようになり、企業や公的機関では「障害者職業生活相談員」が配置され、安心して働ける仕組みが整えられつつあります。こうした取り組みは、単なる数合わせではなく、職場の意識改革や生産性向上にもつながっています。
しかし、どれほど制度が進んでも、障害の特性や重さによっては、支えを必要とする場面が残るのも現実です。また、重い障害や複雑な事情で、どうしても就労が難しい人も少なくありません。
特に、親に支えられて生活してきた障害のある子どもが、親を失った後にどう暮らしていくかという問題は、深刻で避けては通れない現実です。
障害のある人の中には、日常生活に支えを必要とし、完全に一人で生活するのは難しい人も少なくありません。そのため、多くの人は障害者グループホームや、特別養護老人ホーム、入所施設などで、支援を受けながら暮らしています。
障害のある人の未来は決して他人事ではありません。誰もが当事者になる可能性があるからです。けれども実際には、誰もが自分の生活で精いっぱいで、気づいた人だけが行動しているのが実情です。そして、その気づいた人が背負う負担はあまりにも大きいのです。
だからこそ、個人の問題にとどめず、社会全体で解決していくべき課題として向き合う必要があります。
「親亡き後」の不安を抱える家庭は多い
特別支援学校や作業所の保護者会でも、親たちの最大の悩みは一様に「自分たちが先に亡くなった後、この子はどうなるのか」というものだといいます。作業所の保護者会を見渡せば、利用者が中年を過ぎ、その親御さんたちは後期高齢者というケースも珍しくありません。子が40代・50代になっても、70代・80代の親が毎日送り迎えをし、身の回りの世話を続ける——そんな光景が現実にあります。
そして、親が亡くなった後のことは、自分たちの力だけではどうにもできない問題です。命が尽きる前に、できる限りの準備をしておかなくてはならない、と多くの親が重い責任を感じています。
障害のある子どもに兄弟姉妹がいた場合も、彼ら・彼女らやその配偶者に、親亡き後のすべてを背負わせるわけにはいきません。
こうした、いずれ必ず訪れる困難は「自己責任」で済ませられるものではありません。しかし現実には今もなお、本人やその家族だけの問題として放置されているからこそ、保護者会では同じ悩みが何度も繰り返し語られるのです。
年金や共済では届かない現実もある
障害者雇用が進み、厚生年金に加入しながら自分の力で生活を支える人が増えています。法定雇用率の引き上げや企業の取り組みにより、障害のある人が社会の一員として活躍する姿は、いまや珍しいものではありません。こうした人たちは、自ら納めた保険料によって老後や障害時に年金を受け取り、他の支援に頼らずに暮らしていくことができます。それは、社会が目指してきた、理想的な姿の一つです。
しかし、すべての人が同じように働けるわけではありません。重い障害や複雑な事情のため、どうしても就労が難しい人もいます。そのような人たちを支える仕組みとして、障害年金や共済制度がありますが、それだけで十分とは言えないのが現実です。
たとえば、20歳前に障害を負った人が受け取る「障害基礎年金(1級)」は、年額約104万円、月にすると9万円にも届きません。親が掛け金を積み立てる「障害者扶養共済制度」もありますが、給付は月2万円程度で、生活費の一部を補うにとどまります。
さらに、親亡き後に施設へ入所する場合は、月7万~15万円ほどの費用がかかるうえ、成年後見人をつければその報酬も必要になります。親が残せる資産や年金だけで、長期にわたり安定した暮らしを支えるのは、実際には難しいケースが少なくありません。
生活保護が守る「親亡き後」の安心
そこで、生活保護をはじめとする公的な支援制度が用意されていることを、改めて認識していただきたいのです。健康保険や失業保険と同じように、社会が用意した仕組みの一つであり、「いざというときに使うためにあるもの」です。家族の未来を守るために生活保護制度を利用することは、当たり前のことであり、責任ある選択です。
生活保護を利用することで、施設利用料や福祉サービス費の心配がなくなるだけでなく、成年後見人がつく場合も、その報酬は公費で賄われます。さらに、ケースワーカーが担当として付き、後見人と連携しながら、日常の見守りや支援をしてくれる体制が整っています。
親が願うのは、子どもが安心して暮らし、尊厳をもって生きていけること。生活保護は、その親の切なる願いを支えるために、社会が用意した、温かい制度の一つです。
自分の力で働き、社会保険を納め、自立して暮らす人もいれば、どうしても働けず、制度のはざまで困難を抱える人もいます。どちらも、社会が守るべき大切な存在です。
親が元気なうちに現実を見つめ、制度を知り、必要に応じて支援を頼る準備をすること。それが、子どもにとって何よりの贈り物になるでしょう。生活保護は、誰もが社会の一員として無差別平等に利用できる権利です。
生活保護があるからこそ、日本では、誰もが安心して子どもを産み育てることができるのです。生活保護は、日本の未来を守る力です。
障害のある人を「見えない存在」にしてはならない…相模原事件の教訓
こうした不安を抱える親にとって、胸がつぶれるような事件がありました。犯人は、障害があるという理由だけで「生きる価値がない」と決めつけ、彼らの命と尊厳を踏みにじりました。これは、特定の人々を憎み攻撃する「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」であり、人を選別して排除しようとする「優生思想」が根底にありました。
今もなお、犠牲者の多くが名前を公表されず、社会の中で「見えない存在」のままにされていることが、この問題の深さを物語っています。障害のある人を社会の外へ、山奥の施設へと隔離してきた日本の歴史とも無縁ではありません。
あれから9年。世界でも日本でも、人の命や尊厳が軽んじられている空気が強まっています。ウクライナでの戦争、ガザでの無差別攻撃、災害や飢餓に無関心な政治。SNSやメディアでは差別や偏見が簡単に広まり、人権が踏みにじられる出来事も後を絶ちません。
犯人一人の狂気による事件として片付けるのではなく、私たち一人ひとりの無関心や偏見が生んだ問題なのではないか、見つめ直す必要があると感じます。
■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に「わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)」(ペンコム)がある。