「母は #大阪市 #東成区役所 に虐待捏造されて拉致された
私は虐待冤罪、母が施設で死んだら私は母を追って死ぬ。
私が1週間に1つもX投稿が無かったら誰か警察に通報お願いします。

そして、私たち親子は東成区役所に殺されたことを知って下さい。
毎日、母の事を考えて、おかしくなりそう。」
このショッキングな投稿がX上で行われたのは、昨年2月28日。投稿の主は、大阪市東成区で、認知症を患う70代の母親シヅさん(仮名・70代)を介護しながら二人で暮らしていたマイさん(HN・40代)だった。
母は #大阪市 #東成区役所 に虐待捏造されて拉致された

私は虐待冤罪、母が施設で死んだら私は母を追って死ぬ。
私が1週間に1つもX投稿が無かったら誰か警察に通報お願いします。
そして、私たち親子は東成区役所に殺されたことを知って下さい。
毎日、母の事を考えて、おかしくなりそう。 pic.twitter.com/bkr5p82xx7
マイ (@Y2022857677188) February 28, 2024
ある日突然、東成区役所からの電話で、マイさんに虐待の疑いがあり、生命の危険があるためシヅさんをデイサービスから保護したと告げられたという。マイさんにはまったく身に覚えのないことだった。
マイさんは母親を返してもらうために奔走したが、何の説明も受けず、シヅさんの情報も得られず、行政訴訟も起こしたが、大阪市長の申立てによりシヅさんに成年後見人が付けられたため、マイさんには訴訟提起の資格がないとして門前払い(却下)。
ところが、昨年8月になって突然、シヅさんが帰されてきた。虐待が認定された経緯も、返された理由についての説明も一切行われないまま。
しかも、虐待の記録は削除されず残ったままだと説明を受けた。
高齢者の心身や財産を守るため、「高齢者虐待防止法」によって、家族などによる虐待が認められた場合は「やむを得ない事由による措置」として、行政が職権で家族からの分離等の手続をすることが認められている。
しかし、シヅさんとマイさんの親子の件からは、関わった福祉行政関係者の、介護に対する認識不足や決めつけ、当事者や家族とのコミュニケーション不足やおごりが浮かびあがるといわざるを得ない。(社納 葉子)

幸せだった家族に降ってわいた悲劇

今にも雨が降り出しそうな日曜の朝、大阪の下町に住むマイさんを訪ねた。通された居間では、ほぼ空になった朝食の皿を前にした母シヅさんがダイニングテーブルについていた。ふっくらとして血色のよい顔。「おはようございます」と声をかけると、「おはようございます」と穏やかな笑顔で返してくれる。その表情に陰りはない。安心して暮らしている人の顔だと感じた。
足元には犬。70代の母と50代の娘、そして小型犬の暮らし。しかしこの日常が突然、一方的に奪われた日々があったという。マイさんを訪ねたのは、その経緯を聞かせてもらい、背景を考えるためだった。

マイさんはこの家に生まれ育った。工場を営んでいた父と母、兄とマイさんに父方の祖母という5人家族。父は実直でまっすぐな性格。一方で自立心と責任感が強く、祖母が立ち上げた工場を育て上げ、一時は何人もの職人も抱えた。家族に経済的な不安を抱かせることは一切なかったという。自宅は玄関から広々とし、ゆとりある生活だったことがうかがえた。
どんな家庭も時の流れとともに変化する。シヅさんに認知症の兆候が現れたのは今から6年前、70歳の頃である。

父が亡くなり「施設嫌い」の母は…

認知症と診断された3年後には脳梗塞を発症し、認知症は急激に進行、そして右半身麻痺の体となった。しかしシヅさんは着替えや入浴など身の回りのことは自分でこなし、よく出歩き、山登りまで楽しんでいたという。「(体は)動かさないと動けなくなるから」とマイさんもシヅさんの身体機能が衰えないよう注意していた。
ちょうどその頃、父にがんが見つかる。すでに末期だった。

「父は自分もしんどいのに最期まで母のことだけを心配していましたね」
経理も自分で管理していた父は、シヅさんの老後を自分が守るつもりだったはずとマイさんは話す。自分が先に逝くとは想像もしていなかったのだろう。
父は自宅で最期の日々を過ごすことを望み、マイさんも受け入れた。「祖母も母を中心に家族で介護して自宅でみとりました。うちではそれが“あたりまえ”で、特別なことだという感覚は私にもないんです」
訪問看護や介護ヘルパー、デイサービスなど制度を利用しながら末期がんの父と重度認知症の母の二重介護を乗り切り、父は自宅で亡くなった。
「父も、母を施設になんてひと言も言いませんでした。まして母は施設嫌いで、デイサービスで出された食事もほとんど食べないぐらいでしたから。もちろん、家庭によって事情や考え方が違うのは当たり前やから、施設を否定する気はないんですよ。あくまで“うちは”という意味です」
そう話しながら、マイさんは言葉を継ぐ。
「でもね、介護って波があるんですよ。しんどいばっかりでもないけど、きれいごとだけでもない。しんどい時はドーンとくるんです」

泣きながらケアマネにかけた電話

父の葬儀を終えた夜のこと。認知症のシヅさんは疲れ果てたマイさんの状況を理解できない。
精根尽きたマイさんは、ふだんは受け流せるようなシヅさんの行動にプツンと糸が切れてしまった。
「それでケアマネに泣きながら電話をしたんです。夜に電話したのも、泣いたのも初めてですが、後から思えば、どうやらこの時に虐待を疑われたようです」
数日後、ケアマネージャーが大阪市社会福祉協議会の職員Aを連れてマイさん宅を訪問した。改めてマイさんの話を聞いたAは「また来てもいいですか?」と尋ねた。
「私の話したことが記録に取られたり問題になったりするんですか?」と確認すると、「マイさんのことが心配だから話を聞くだけです」と答えた。その言葉に「介護の愚痴を聞いてくれる」と理解し、喜んだ。
以降、職員Aの訪問は3、4回あり、さらにマイさんの了解のもと、シヅさんが利用しているデイサービス事業所の訪問もしている。
職員Aからは1泊2日のショートステイ利用を勧められた。しかし前述したようにシヅさんは施設嫌いである。マイさんがシヅさんの意向を確かめると、案の定「いや」と答えた。
マイさんは母の意思を尊重し、嫌がるのを無理やり車に乗せていくようなことはしたくなかったという。
こうしてシヅさんの意思を尊重しながら、利用できるサービスを使って心のバランスを保ちながら仕事と介護を両立していたが、マイさんの預かり知らぬところで、事態は思わぬ方向に進んでいた。

突然、身に覚えのない「虐待」の嫌疑をかけられ…

2022年2月10日、帰宅途中のマイさんのスマホが鳴った。大阪市東成区役所保健福祉課からの着信で、マイさんの名前を確かめるといきなり「お母さんに対する虐待の疑いがあります。命の危険があると判断し、シヅさんはこちらで保護しました」と告げられたのである。
思わず叫んでいた。意味がわからなかった。急いで区役所に向かったが、虐待の加害者とされたマイさんには「答えられない」の一点張りでシヅさんが保護されたという施設の場所も知らされなかった。
虐待の根拠とされたのは、シヅさんの額にできた痣(あざ)である。前日にシヅさんが居間で転倒、その時にヒーターで打撲してできたものだ。
年齢とともに皮膚が薄くなるため、高齢者は内出血を起こしやすい。脳梗塞を起こしたシヅさんは、血栓予防薬(クロピドグレル)を服用している。いわゆる「血液をサラサラにする」薬で、これも出血しやすい。家の中で転倒することも多いシヅさんにとって内出血は珍しいことではなかった。
しかし、この時は時間とともにいつも以上に内出血が広がった。
額ということもあり、心配したマイさんはシヅさんが脳梗塞で入院していた病院の夜間救急を自家用車で受診した。
MRI検査の結果、骨や脳に異常は認められず。当面は安静にして様子を見るようにと注意書きの紙を渡されて帰宅した。
翌日、デイサービス事業所から迎えに来た職員に、額の内出血の経緯と脳外科を受診したことを伝え、病院で渡された注意書きを渡し、「異変があればすぐに病院へ連れて行ってください」と頼んだ。
その時、シヅさんを迎えに来ていた職員は、シヅさんが職員を待たせて何度もトイレに入ったりし、それをマイさんが叱責(しっせき)するさまを隠れて録音していたのだった。
そして、マイさんの説明も聞かず、シヅさんを急いで車に乗せて走り去った。
とんだトラブルではあったが、マイさんにそれ以上の意味はなかった。

母の居場所も教えてもらえず

いったい何を根拠に「虐待」と判断されたのか。何の聞き取りもせずに「加害者」とされ、一方的に家族の暮らしをいきなり取り上げるような権利が行政にあるのか。いつ、誰が、判断したのか。
聞きたいことはいくらでもあったが、説明はまったくなされないどころか、施設の名前や場所もシヅさんの様子も教えてもらえなかった。
後に区役所職員から聞いた、シヅさんの施設での様子は、シヅさんが自宅に帰って来てから取り寄せた施設での介護記録とは全く異なっていた。
職員からは「施設では内出血一つありません」と説明を受けていたが、実際には何度も大きな内出血ができている写真があり、施設職員すら内出血の理由は分からず、と記載があった。
デイサービス事業所と「あなたが心配だから」と何度も訪ねてきていた大阪市社会福祉協議会の職員Aにも電話をした。デイサービス事業所は電話がつながった瞬間に切電された。
一方、電話が通じた職員Aに「なんでこんなことをするんですか!?」と抗議すると、「娘さん(マイさん)のためです」と言う。「どこが私のためなんですか!?」と重ねて抗議すると「私はこれ以上、答えることはありません」と電話を切られた。

「議員」の反応も鈍く

施設を嫌がり、出される食事も食べたがらないシヅさんがいきなり見知らぬ施設に連れ出されたのである。どれほど混乱して不安がっているだろうと思うと、いてもたってもおられず、マイさんは思いつく限りの手だてを模索した。
友人知人に相談し、弁護士など法律の専門家を紹介してもらう一方で、国会議員から市会議員まで党派を問わず連絡を取り、相談した。街頭演説の情報をキャッチすれば現地に出向き、議員に直接、状況を訴えた。
しかし、虐待加害者と行政から「認定」された形のマイさんに、議員たちの反応は一様に鈍かったという。「個人の案件には関わらない」と言うのが理由だったが、行政による虐待のレッテルが敬遠された面もあるのではないか。実際、ある議員には「もしマイさんが実際に虐待していたら、私も社会的信用を失います。本当に虐待はなかったんですね?」と念を押されたという。
「もちろん虐待は事実無根なので、自信をもって“はい”と答えました。その議員さんにはそこからいろいろと力になってもらいました」
そう話しながら、マイさんは分厚い名刺の束を見せてくれた。弁護士、市会議員、府会議員、国会議員…。優に50枚は超える名刺は、マイさんが懸命に手がかりを探し求めた証だ。

あずかり知らぬところで「成年後見」が開始

「虐待」のレッテルは、何重にもマイさんを苦しめた。
行政から一切の説明も受けられず、シヅさんの状況も知らされないため、マイさんは行政訴訟を起こす。虐待は事実無根であること、母親を自宅に帰すことを訴えたが、マイさんにはそもそも訴えを起こす原告となる資格(原告適格)がないとして門前払い(却下)されてしまう。
成年後見制度とは、認知症や精神・知的障害などで、法律行為を行うのが困難な人を法的に保護する制度である。いったん開始すると、本人が亡くなるまで続く。
シヅさんは「保護」された半年後、大阪市長の名で成年後見制度の利用開始の申立てがなされ、それを裁判所が認めたため、成年後見が開始されていた。そのため、マイさんは法的にも「蚊帳の外」に置かれたのだった。
それでも、シヅさんを取り戻すまであきらめるわけにはいかない。マイさんは弁護士に相談しながら手を尽くした。SNSでも窮状を訴える発信をすると、多くの人から情報が集まったという。やがてわかってきたのが「高齢者虐待防止法」の規定の存在だった。
冒頭で述べたように、同法では、家族などによる虐待が疑われた場合は行政が「やむを得ない事由による措置」を行うことが認められている。それには家族からの分離、老人ホームへの入所、成年後見人制度の利用申立てなどが含まれる。
シヅさんの場合も、この「やむを得ない事由による措置」だった。しかし、マイさんへの聞き取りや説明が一切ないままの「措置」は本来の法の趣旨にのっとったものなのか。

なんの説明もなく母が帰された

このまま母親は自宅に帰れないのか…。途方に暮れたマイさんだが、思わぬ展開となった。
シヅさんが施設で転倒し、骨折という大けがを負ったのだ。家族による手術の同意書が必要となったため、役所からマイさんに連絡があったのだが、当初はやはり病院名すら教えてもらえなかった。
ところが不可解なことに、ここから状況が急変する。2024年8月、リハビリを経たシヅさんが自宅へ戻ることができたのである。突然引き離されてから1年半がたっていた。さらに1か月後、役所から「やむを得ない事由による措置を終結する」という連絡が来た。
マイさんは言う、「母が骨折したら、東成区役所が主張していた私からの虐待はなくなるのか? そもそも虐待がなかったことは分かっていたのではないか?」
「マイさんの主張通り、虐待はなかったと認められたということですか?」
マイさんに訊いた。誰もがそう思うだろう。
「いえ、取り消しではなくて終結ですから、記録では虐待はあったことにされてるんです」
もちろんマイさんは納得していない。

「曖昧な内容で構わない」

マイさんは、今回の措置を職権として行使した大阪市に対し、その根拠となる記録の開示請求をした。
開示された膨大な記録を確認したところ、マイさんを「心配だから」と訪ねてきていた大阪市社会福祉協議会の職員Aが早い段階からマイさんの虐待を疑い、ケアマネージャーやデイサービスのスタッフにシヅさんに対するマイさんの言動をチェックし、記録や報告をするよう指示していたのがわかった。職員Aによって隠し録りされた音声データもある。
そうした「状況証拠」を積み上げたところに、シヅさんの転倒事故が起き、額に大きな痣ができた。
不可解なことに、東成区役所の元職員がマイさんに見せた専門家会議の記録によると、東成区役所の職員は弁護士に「前日のけがだけで保護が続行できるか?」と質問し、弁護士が「“やむを得ない事由による措置”(を行う根拠)は曖昧な内容で構わない」と回答していた。かくしてマイさんの「虐待」は認定され、シヅさんは「措置」されたのだった。
マイさんの声は低く、言葉はストレートだ。重度の認知症のため危険を認識できないシヅさんに対して、とっさにきつい言葉で制止や叱責することもある。
しかし、そんなマイさんに「そうですか」と返したり、しばらく静かにしてもまた同じことをしたりして、マイさんを苦笑させたりあきれさせたり怒らせたりするのがシヅさんなのだ。そして、それが介護というものなのだろう。
理屈ではない、矛盾と葛藤と現実。ほんの一部を恣意的に切り取り、「虐待」と決めつけるのはあまりにも乱暴で、誰も救わない。マイさんの話を聞き、つくづくそう感じた。

誰も一切の説明をせず、責任も負わない仕組み

大阪市社会福祉協議会の職員Aを始め、マイさんを「虐待加害者」として認定した人たちは、なぜマイさんと話をしなかったのだろう。何のために目の前にいるマイさんと向き合わず、コソコソと隠し録りなどしたのだろう。人の生活をぶち壊すような「措置」を行使しておいて、誰も一切の説明をせず、責任も負わない仕組みとはいったい何なのか。
マイさんの手元には開示された記録が詰まった段ボール箱が複数ある。パソコンにも記録ファイルのアイコンがびっしり並ぶ。仕事と介護の両立だけでも手一杯で「読み込む時間もなかなか取れない」と言いながら、シヅさんが戻ってきた今も多くの人と連絡を取り合っている。
「犯罪事件なら絶対に証拠が必要なのに、“やむを得ない事由による措置”なら証拠もいらない、曖昧でも家族を引き離せるっておかしいでしょう? 罪を犯した人でも面会はできるのに、それもできないんですよ。これは重大な人権侵害です。大変なことが起きているんだと広く知ってもらいたい」
「虐待を防げ! 高齢者を虐待から守れ!」のかけ声の下で、大きな間違いを犯していないか。
マイさんの体験と声を受け止め、検証する必要を強く感じる。


■社納 葉子(しゃのう ようこ)
1965年生まれ。大阪市在住のフリーライター。
人権問題に関心をもち、人物インタビューを得意とする。
現在は「シングルマザーの老後」について取材中。趣味は読書、観劇、人と話すこと。


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