白石は2017年、Twitter(現X、以下同)を使用して自殺願望を持つ女性らを誘い出し、神奈川県座間市の自宅で性的暴行を加えたうえ殺害していた。
行方不明女性(被害者の1人)を捜索していた警察が、白石の自宅で切断遺体を発見したことですべての事件が発覚。被害者数は男女9人に上った。
座間事件以降、インターネットを介して知り合った相手を巻き込む事件が後を絶たない。なぜ、このような事件がなくならないのか。こうした事件は社会に何を問いかけているのか。
『「死にたい」とつぶやく 座間9人殺害事件と親密圏の社会学』の著者で、立教大学文学部社会デザイン研究科准教授の中森弘樹氏に話を聞いた。
座間事件が世間に衝撃を与えたワケ
まず、座間事件の特殊性について教えてください。
中森氏:インターネットで自殺願望や希死念慮を持つような人たち、あるいは精神が不安定な人たちが知り合い、“集団”で亡くなる事件は、2000年代頃から問題視されていましたが、インターネットやSNSを利己的な殺人に使ったことが、世の中を震撼(しんかん)させた大きな要因だと思います。白石の犯行はパターン化、ルーティン化されていました。SNSを使って自殺願望を持つ人を呼び出しては殺害を繰り返し、さらに被害者のほとんどを、会ったその日に殺害していた。当時の社会の盲点をついたような犯行でした。
また、被害者全員の行方不明届が出されており、事件の報道後には「被害者は私の家族ではないか」という問い合わせが警察に殺到したそうです。
大きな事件が起こると模倣犯が現れてしまうことがありますが、座間事件でもありましたか。
中森氏:はい。座間事件から8年が経過していますが、その間にも類似の事件が「起こり続けている」と言ってもいいと思います。2020年にはTwitterで出会った女子高生を1か月間監禁し逮捕された男が「座間市の事件に影響された」と供述しました。
また、白石の刑が執行される直前にも、自殺願望のある若い人を誘い出し自殺をほう助した、あるいはその疑いがあるとして男が逮捕・起訴される報道が立て続けに2件ありました(※1、2)。
※1 山梨県の青木ヶ原樹海で10代女性の遺体が見つかった事件で、女性を連れ去り誘拐した疑いで21歳の男が逮捕された。被疑者は犯行前にスマートフォンで「自殺仲間募集」などと検索しており、警察は男が女性の自殺を手助けした可能性もあるとみて調べている(6月22日)。
※2 SNSで知り合った山形県内の10代女性の自殺を手助けしたなどとして、福島市の36歳の男が自殺ほう助などの罪で起訴された。被告人はこれまでに福島県内でいずれもSNSを介して出会った4人の自殺をほう助したとされている(6月23日)。
現行の「再発防止策」では不十分?
座間事件以降、SNSにおける自殺に関する書き込みへの対策はとられてきていると思いますが、効果は出ていないのでしょうか。
中森氏:座間事件を受けて、2017年に内閣官房長官を議長とする「座間市における事件の再発防止に関する関係閣僚会議」が開催され、再発防止策が取りまとめられました。たとえば、総務省・経済産業省は、SNS事業者に対し「自殺誘引情報」等の書き込みの禁止を利用規約に明記し、適切な運用(削除など)をするよう要請しています。
座間事件の舞台となったTwitterでは、この要請を受けて、自殺に関連する語句を検索したユーザーには自殺防止センターの連絡先を表示する機能を追加しました。
こうした対策はおそらく一定の効果を上げていると考えられますが、一方で先ほど挙げたように類似の事件が後を絶たないこともまた事実です。自殺に関する投稿を検索した人に対する声かけだけではどうしても限界があるのではないでしょうか。
なぜそうした対策、声かけがあっても、類似の事件を防ぐことができないのでしょうか。
中森氏:本人たちが「本当に死にたいと考えているのか」という問いはあまり意味がなく、むしろ「死にたい」と言うことは、ある種のコミュニケーションと捉えるべきだと思います。当事者たちが「死にたい」と声をあげた時、自殺を対策する側は、医療者、ソーシャルワーカー、あるいは政府・自治体でも、基本的に「自殺を止める」ことを前提に動きます。
もちろん現場のプロたちは、そういった人たちの話を傾聴するテクニックを身につけていますが、当事者たちは、支援者や援助者とは異なる、自分と同じように「死にたい」と言い合えるような仲間を探しているのではないでしょうか。
たとえば自殺に関連する語句を検索したユーザーに対し、Xが表示するメッセージはとてもよく練られています。ただ、連絡先に「東京自殺防止センター」と書かれていますよね。
「死にたい」と考えている人が、自殺を止められることが分かっている施設に相談する。これを、矛盾していると感じる当事者たちもいるようです。
もちろん、こうした「死にたい」という人たちを受け止め、死なせないようにする現在の包括的な取り組みは続けていくべきですが、今後は「死にたい」仲間に会おうとする人たちに何を伝えるかを考えていく必要があると思います。
死にたい人にとっても「殺人鬼に殺されることは、痛くて怖い」
具体的に何を伝えればいいでしょうか。
中森氏:これは白石が裁判で供述していたことですが、被害者たちは殺害されるさなか、ものすごく抵抗したようです。被害者たちの「死にたい」が言葉だけだったのか本心だったのか、今となってはわからないですし、抵抗したからその人は死にたくなかったと言いたいわけではありません。そうではなく、たとえ「死にたい」「殺してほしい」と思っていた人でも、殺人鬼に殺されることは、痛くて怖いということです。
あなたが会おうとしている「死にたい」と話し合えるはずの相手は、望んだ通りに話を聞いてくれるのか、一緒に自殺をしてくれるのか。それとも性的な暴行を受けるのか、殺人鬼に豹変して襲ってくるのか。会うまで相手がどんな人かはわからず、一歩間違えれば暴力の被害に遭う可能性があるんだということをていねいに伝えていく必要があると思います。
親が子どもに「知らない人について行っちゃダメだよ」と伝えるのと同じような話ではありますが。
インターネットで変わった、人との「距離感」
インターネットを介して「知らない人に会う」ハードルが下がっている可能性はあるでしょうか。
中森氏:かつて90年代はインターネットを通して知らない人と会うことは「オフ会」と呼ばれ一大イベントでした。どんな人が来るかお互いおっかなびっくり。それが今では、元から知っているクラスメイトや友人とSNSを交換するというように順番が逆になっていて、インターネットと現実が地続きになっています。SNSやメッセージアプリ等によって、人と人の距離感もここ10年で急速に変わっています。極端に言えば、インターネットの先にいる知らない人のイメージが、自分の周りの友人と同じレベルになっているんだと思います。
そういう状況ですから、インターネットを介して見知らぬ人と会うことのハードルも、以前と比べれば段違いに下がっているでしょう。
他者への信頼感が高まっているとも言えますが、無防備とも感じます。
中森氏:そうですね。ライブ配信中に配信者が殺害された事件がありましたが、今は配信者やインフルエンサー、そして普通の学生さんでも、インターネット上で不特定多数の人に向けて自分の場所や情報を開示していますよね。一方で、犯罪に巻き込まれないために、インターネット上の不審人物といかに距離を取るかという知識は教わる機会がほとんどありません。そのことに対して、改めて警鐘を鳴らす必要はあるのではないでしょうか。