
同声明では「ゼロプラン」を「外国人に対する不安や偏見、差別につながりやすく、多文化共生の理念に反する」、非正規滞在者の中には「人身売買の被害者であったり、DVを受けていたりするなど、本人の責めによらない事情で在留資格を得られていない者・失う者も多数存在する」などと指摘しつつ、「ゼロプランは国際人権法に反する」と結論付けている。
入管では人権侵害が横行しているとの指摘は、以前から国内外でなされてきた。今回はジャーナリスト・記者の平野雄吾氏の著書『ルポ 入管――絶望の外国人収容施設』(2020年、ちくま新書)から、収容施設内で行われた被収容者が行ったハンガーストライキと、それに対する入管側の対応について書かれた内容を抜粋して紹介する。
6人部屋に17人、24時間続いた「監禁」
居室は人いきれでむせかえっていた。室温は高まり、シャツが汗でにじむ。紫陽花の候(こう)、芒種(ぼうしゅ)の蒸し暑さは囚われの人間たちには残酷でさえあった。不快感が増してゆく。「暑い」。1人の男が大声を出した。「早く出してくれ」。扉を叩く者もいる。だが、扉は開かず叫び声がむなしくこだました。2018年6月、大阪入管で最大6人用の居室に収容者17人が入ったまま、職員が24時間以上にわたり施錠を続ける事件が発生した。収容者たちは「狭い部屋への監禁だ」と非難した。
2018年6月17日午前11時半。ほかの居室への訪問が許される自由時間が終了しても17人は集まったAブロック一号室で議論していた。ひげそりなどの共有問題、不十分な医療、長期収容……。収容者たちの不満は尽きることなく、話し合いは終わる気配を見せない。
職員が一号室を訪れ自室に戻るよう命令したが、17人が無視すると、職員は施錠、翌日まで解かなかった。大阪入管は「保安上の理由」として明らかにしないが、当事者によると、一号室の広さは約20平方メートルで、二段ベッドが3台置かれている。当時は4人が生活していた。
7人は当初、午後1時半に始まる午後の自由時間には解錠され、それぞれ自室に戻れると考えていたようだ。だが、午後1時半すぎに現れた職員が「明日まで扉は開けない」と宣告、緊張感が高まった。
17人全員が体を横たえる空間もない。照明を除き、電気は遮断された。通常は使用できる電気ポットも使えなくなり、お湯さえ沸かせなくなる。エアコンも止められ、熱気が増していく。「暑い、暑い」。多くの収容者が口にし始める。ドアを叩いて懇願する。「早く出してくれ」
午後6時25分、「飲料水を飲ませてほしい」。職員に求めたが、要求は拒否された。午後7時24分、「それぞれの部屋に戻して眠らせてほしい」。
17人のうちの1人、ナイジェリア人のオルチ(53)が記したメモには具体的な時刻と職員への要求、その対応が記されている。
17人をさらに驚かせたのが一号室外の廊下の様子だった。入り口の扉を塞ぐために無数の畳が積み上げられ、収容者らが力尽くで扉を開けた場合、それでも退出を防ごうとバリケードを築いていたのである。職員数人がその周囲で警戒する。
「一体これは何なのか」。絶望感が一号室を包む。18日午前2時以降、誰もドアを叩かなかった。硬いフロアに座っている人、わずかな空間に横になる人、立ったままの人……。
翌朝、6月18日午前7時58分、9階建ての大阪入管の建物が揺れた。大阪北部地震の発生である。大阪府を中心に大きな被害となり、計6人が犠牲となったこの地震で、気象庁によれば、大阪入管のある大阪市住之江区は震度4だった。
「早く出してくれ」。一号室は再び騒がしくなった。扉を叩く人、叫ぶ人……。意識がもうろうとしていた収容者たちも一気に覚醒し、解錠を哀願する。しかし、職員は17人の痛切な訴えを言下に拒否した。余震を警戒しベッドの下に身を隠す。全員が横たわる空間さえない狭い部屋で17人ができる避難行動は限られていた。
一号室が解錠されたのは午後0時45分。
収容者と入管職員との間にある絶望的な距離感
「換気不足で気分の悪くなる人も出てきて、何度も扉を開けてほしいと求めましたが、だめでした。私自身、極度の疲労から、めまいすらありました。地震は最悪のタイミングで発生し、部屋の中はパニックです。私ももっと大きな地震が起きるのではないかと思い、心臓がどきどきでした」オルチは2018年10月、大阪入管から電話で筆者に訴えた。「部屋の中にある備品を破壊することもなく、破壊しようとの議論さえありませんでした。なぜ入管はここまで私たちを苦しめるのでしょうか」
一方、あくまで「収容者が立て籠もった」と主張する大阪入管。17人が狭い居室に立て籠もる理由は客観的には見当たらないが、次のように説明する。
「立て籠もった収容者らは職員の度重なる説得に全く応じることなく、帰室を拒否して立て籠もりを継続、罵声を発して居室扉を激しく叩く、蹴るなどの行為を繰り返し、職員の看守業務を著しく妨害したことから、解錠すれば逃走や器物損壊などの保安上の事故が発生する恐れがあったため、施錠を継続した」
電気を止めた理由については「電気コンセントを悪用した発火工作等を防止するため」と強調し、「収容者らが居室扉を叩いたことで緩みが生じたため、居室扉が破壊される可能性が高まったため、緊急的に畳で扉を補強した」としている。
ここから浮かび上がるのは収容者と入管職員との間にある絶望的な距離感である。監禁は立て籠もりと認識され、扉を開けてほしいとの訴えは「罵声」と捉えられる。扉を叩き解錠を求める行為が「保安上の事故が発生する恐れ」と結びつけられ、収容者が電気ポットでお湯を沸かせず途方に暮れていた間、大阪入管が懸念したのは「コンセントを悪用した発火工作」だった。
入管当局の都合のよい正当化ともとれるが、見事なまでに認識は食い違い、対話が成立する余地はない。収容者は職員の指示に従えばよいとする父権主義。収容者の主張は疑ってかかるべきという猜疑(さいぎ)心や不信感。制圧や隔離、あるいは医療放置と同様、ここに収容者と職員とのトラブルに通底する入管体質が表れているようにも見える。
入管問題に詳しい弁護士の仲尾育哉は「入管当局側に収容に関する一定の裁量があったとしても、長時間17人を閉じ込める必要性があったのかは疑問です。裁量の範囲を逸脱した疑いが強いと言えます」と大阪入管の対応を非難した。
入管難民法は施設内の処遇を巡り、「被収容者には、入国者収容所等の保安上支障がない範囲内においてできる限りの自由が与えられなければならない」と規定する。ほかの施設でも大同小異だが、大阪入管では居室の外に出られるのは午前2時間と午後3時間(2017年時点)。
一日19時間は居室内で過ごさなければならず、果たして5時間の自由時間ーー入管当局は「開放処遇」と呼ぶーーが「できる限りの自由」に該当するのかどうか。「保安上支障がない範囲」の解釈と合わせ、検証する時期に来ている。
広がるハンスト
脆弱(ぜいじゃく)な立場に置かれた人々が自らの要求を社会に訴えかける示威行動の一つにハンガーストライキがある。インドの反英闘争で非暴力不服従運動を繰り広げたマハトマ・ガンジーのハンストが知られているし、英国で1900年代、女性参政権獲得のために活動した女性たちも抗議手段としてハンストを利用したと伝えられている。中国当局が学生らの民主化要求を弾圧した1989年の天安門事件でも、多くの学生がハンストに訴えている。
そうした権利なき者たちの最終手段とも言えるハンストが2019年、長期収容に対する抗議の意味を込め全国の入管施設で広がった。東日本センターや大村センター、東京入管、大阪入管……。呼応する形で指数関数的に全国に波及、長期収容の終焉(しゅうえん)と早期解放を求め、収容者たちは当局から支給される食事の提供を拒否した。
入管庁によると、2019年6~9月の間にのべ198人が決行、9月以降も続きのべ数百人規模になったとみられる。
入管施設でのハンストの歴史は古く、大村入国者収容所では1950年代にも実施されている。毎年のように散発的に抗議のハンストは繰り返されるが、2019年のそれは近年まれに見る大きな規模で、長期収容に苦しむ収容者の絶望感の表れだった。
「食べたい。いいにおいがする。でも食べたら負けだ……」。ある収容者は同室の収容者が口にする食事のにおいに胃が刺激され、つらかったと話す。「日中、突然ふらふらして壁に額をぶつけて倒れ込んだ」。別の収容者は消耗した体力で歩くことさえままならなくなった現実を語った。また、ある者はこう振り返る。
「ハンストをしたら胃が食事を受け付けなくなり、摂食障害になりました」
最低限の水やスポーツドリンク、お茶での水分補給を継続したが、多くの参加者が1~2か月の間に10~15キロの体重を落とした。入管当局は「食事をとらないからと言って要望が通りやすくなることはない」(東日本センター)との立場で、早期解放という要求を撥ね付けた。
餓死者が出た事例も…
餓死者の出た大村入国管理センター(2018年3月長崎県大村市/『ルポ 入管』より転載)
しかし、一つの事件をきっかけに態度を軟化させる。大村センターで発生した餓死である。
大村センターで2019年6月24日、ハンストが原因で40代のナイジェリア人男性が死亡した。入管庁が同年10月に公表した内部調査の報告書によれば、センターが男性のハンストを把握したのは同年5月30日。職員は食事を取るように促すと共に、庁内の医師や外部の病院で受診させるなどの対応をとったが、男性は診療を拒否した。
職員は男性を単独室に移し監視カメラで動静監視を続けたが、6月24日午後2時11分、搬送先の病院で死亡が確認された。死因は飢餓死。司法解剖時の測定では、身長171センチ、体重46.6キロという。2018年10月の記録では71キロで、ハンスト開始直後の2019年5月30日時点で60キロだった。
「亡くなる数日前に入院させることができれば死亡という結果にはならなかったのであろうが、医療の素人である職員には、やせているのを見ても死亡の危険がどれだけ切迫しているかは判断しにくいだろう」
報告書はそう指摘し「対応が不相当だったと評価することは困難」と結論づけた。体調不良の収容者に対する措置と同様、容体の急変に備えるために監視したはずだが、「医療の素人」を理由に責任を問うことはなかった。
入管当局は2001年、「拒食中の被収容者への対応について」との通達を発出、主に東日本センター、西日本センター(現在は閉鎖)、大村センターに対し、原則ハンスト開始から22日以降、収容者を強制的に治療するよう指示を出している。
今回、大村センターは強制治療をしなかったが、報告書は「2013年以降、常勤医師が確保できない状態となっており、本件において通達に従った強制治療の実施に至らなかったことが不相当であったと評価することは困難」とも言及した。常勤医師の確保を怠ったのは大村センターだが、入管庁は常勤医師がいないという現状を追認、餓死の責任を不問に付している。
報告書によれば、男性には窃盗罪などの前科があり、2015年11月から収容されている。日本人の元妻との間に子どもがおり、本人は子どもの存在を理由に送還に応じなかった。ナイジェリア政府も男性へのパスポートや渡航文書の発給をせず、事実上、強制送還は不可能な状態だった。
前科者に仮放免を出さないとする仮放免運用指針に従い、センターは男性の収容を3年半以上続けた。
「仮放免許可を得ることを目的としたほかの収容者の拒食を誘発する恐れがあり、拒食で健康状態が悪化した者を仮放免の対象とすること自体、極めて慎重でなければならない」。報告書は仮放免の不許可判断は正しかったと結論づけた。
餓死はまた、ほかの収容者や収容者の面会活動を続ける日本人ボランティアにも喪失感をもたらした。面会を続けながら、月に一回センター内で礼拝を行う長崎インターナショナル教会の牧師、柚之原(ゆのはら)寛史はこう語る。
「餓死は、防ごうと思えば防げたはずです。ここでは、人間が人間にしてはならないことが実際に行われています。無期限の身体拘束、肉体的精神的な虐待、基本的人権の侵害。超長期収容の中で、三重苦が収容者に押しつけられています」
柚之原によれば、男性の死亡が伝わった6月25日の夜、全収容者約120人(当時)がセンター提供の夕食を拒否し、喪に服したという。その後、拒食するハンスト参加者が増加した。柚之原が言葉を継ぐ。
「礼拝に行くと、やせすぎて歩けなくなったため車いすを使う人が増えたのがわかります。自主的に送還に応じた収容者が何人かいますが、入管当局は送還という目的が達成されたと考えているのでしょう。収容者の多くは帰るに帰れない事情を抱えています。
送還する前に保護しなければならないはずですが、実際には日々、こつこつと精神的な拷問でプレッシャーをかけ続けているのです」