
もとはある画家が描いた1枚の絵画だったこのデザインが、いかにして国際的なブランドを象徴する「商標」としての価値を獲得してきたのか――。
本記事では、時代を超えて愛されるこのロゴマークの誕生秘話から、日本における普及の歴史、そして国際的な商標権の変遷までをひも解く。
※ この記事は、作家・友利昴氏の著作『江戸・明治のロゴ図鑑: 登録商標で振り返る企業のマーク』(作品社、2024年)より一部抜粋・構成しています。
犬が聴いているのは「亡くなった飼い主の声」
犬が蓄音機をのぞき込んで首をかしげているこの愛らしいイラスト(冒頭【図1】参照)に馴染みのある方は多いだろう。ビクター(Victor)ブランドの音響機器やCD等に使われるロゴマークである。このマークは、蓄音機が欧米で普及しつつあった明治32年(1899年)に描かれたある絵画が元になっている。英国の画家フランシス・バラウドが、死んだ兄から譲り受けた蓄音機と、ニッパーという名のフォックス・テリア犬を描いたものだ(【図2】参照)。
兄は生前、自分の声や歌声を録音していた。これを弟が蓄音機で再生すると、ニッパーが駆け寄って座り、亡き主人の声に耳を傾けるのだ。このいじらしい様子に感銘を受けたフランシスは絵筆を執り、「His Master’s Voice(この子の主人の声)」とタイトルをつけた。
【図2】フランシス・バラウドによる「His Master’s Voice」
この絵画が、円盤式蓄音機を発明したエミール・ベルリナーの製品を扱う英国の販売会社の目に留まる。
ベルリナーと彼のビジネスパートナーであるエルドリッジ・ジョンソンは、絵画の諸権利を買い取ったうえで明治33年(1900年)に英国で商標出願している。そしてこの二人が翌34年(1901年)に設立したのが、ビクターブランドの祖である米国ビクター・トーキング・マシーン社である。
ちなみに、レコード・CD店の「HMV」は、もともとベルリナーの会社(ベルリナー・グラモフォン)の製品の販売子会社であり、「His Master’s Voice」の頭文字を由来とする。
日本ではJVCケンウッドが、英国ではHMVが商標権を保有…そのワケは?
さて、日本での商標登録はその5年後の明治38年(1905年)と比較的早い。ビクター社の蓄音機は、明治36年(1903年)頃から横浜のF・W・ホーン商会が輸入販売を開始している。なお、このホーンは、後に東京で日本最古のレコード会社、日本蓄音器商会(現・日本コロムビア)を設立する。明治39年(1906年)には、邦楽の録音も本格開始されている。歌舞伎で使われた長唄や、それまで口伝でしか聴けなかった俗謡・民謡が、これにより初めて固定化され、流行歌として成立するようになったのだ。
だが明治時代の日本では、録音できる蓄音機は輸入できても、レコードをプレスする工場はなかった。そのため、録音した原盤を一度アメリカに持っていって、レコードにして再輸入するという、かなり迂遠な手法でレコードを作っていたようである。
ともあれ、その後、レコードはわが国でも販路を拡大していき、ラジオの登場、録音技術の向上と、音楽を楽しむ環境が徐々に整ってきた。
さらに大正12年(1923年)の関東大震災を契機として、輸入レコードにはぜいたく品として100%の関税がかけられたことも追い打ちとなり、日本でレコードを生産する日本ビクター蓄音機株式会社(現・JVCケンウッド)が設立されたのは昭和2年(1927年)のことである。
なお、音楽業界における企業グループ再編の激動さゆえ、首をかしげる犬の商標権の所有者は各国で異なる。米国では、後にソニー・ミュージックエンタテインメントの傘下となるRCAが昭和4年(1929年)にビクターを買収したため、長年、RCAが商標権を保有していた(現在はブランド管理会社のタリズマンが保有)。
日本では、平成23年(2011年)に日本ビクターを吸収合併して成立したJVCケンウッドが商標権を保有。英国やEUではHMVが保有している。このため、レコード店のHMVにおいて、英国では犬のロゴマークが使われることがあるが(【図3】参照)、日本の店舗では使われていない。

【図3】英国のHMVの一部店舗で使用されるニッパーロゴ
■友利昴
作家。企業で知財実務に携わる傍ら、著述・講演活動を行う。ソニーグループ、メルカリなどの多くの企業・業界団体等において知財人材の取材や講演・講師を手掛けており、企業の知財活動に詳しい。『江戸・明治のロゴ図鑑』『企業と商標のウマい付き合い方談義』『エセ著作権事件簿』の他、多くの著書がある。1級知的財産管理技能士。