
非正規雇用のシングルマザー・ナツミさん(40代・仮名)の生活は“たった一度の交通事故”で音を立てて崩れ落ちました。
長女・ヒマリさん(中学2年生・仮名)と長男・カナタくん(小学4年生・仮名)の2人の子と支え合いながら公営住宅でつつましく幸せに暮らしていました。
毎朝まだ暗いうちから朝食と弁当の用意、昼はスーパーのレジ、夜は清掃のアルバイト。慌ただしい日々でしたが、子どもたちが笑顔でいてくれるだけで十分でした。
けれど、その日いつものように自転車を漕いでいた通勤途中、背後から突然、車がぶつかってきました。後に警察が「完全に相手の不注意」と判断するような事故でした。
右足の骨は折れ、靱帯(じんたい)も傷つき、医師からは「しばらく歩けません」と告げられました。
ナツミさんが体験したのも、そんな「よくある事故」でした。そこから待ち受けていたのは、過酷で理不尽な現実でした。(行政書士・三木ひとみ)
保険会社の冷たい“兵糧攻め”に追い詰められて
「…おなかすいた」事故から数週間がたったある夜。布団の中で、小さな声が闇に響きました。中学生で成長期のヒマリさんが寝ぼけて本音をつぶやいたその言葉に、ナツミさんの胸は痛みで裂けそうになりました。
ナツミさんは、交通事故に遭うまでは、2人の子どもを育てるため、昼も夜も、働きづめの日々を送っていました。パートとアルバイトを掛け持ちし、わずかな収入をかき集めながらも、子どもたちにだけは不自由な思いをさせたくない。それが彼女のたった一つの願いでした。
それなのに、あの日の事故から、仕事に行けなくなってしまいました。
「加害者の過失は明らかだし、労災も、加害者側の自動車保険もあるから大丈夫」そう信じていました。
しかし現実は、想像以上に冷酷でした。
まず、すべての通勤中の事故が労災保険の通勤災害と認定されるとは限らないこと。
通勤災害の適用となるには、合理的な経路及び方法でのルートでなければなりません。運悪く、交通事故に遭った日は、スーパーのレジ打ちアルバイトは遅出の日でした。カナタくんを小学校の校門まで見送ったあと、まだ少し時間があったため、ナツミさんは普段立ち寄ることのない場所へ向かってしまいました。
目的地は、勤務先と反対方向の、駅をまたいだ大型100円ショップ。ハロウィーンが近かったので、子どもたちを喜ばせるため、家の中を飾る安価なハロウィーングッズを購入したいと思っていたのです。
それでも、必ず救済されると信じ、まずは体を治さなくてはと通院を継続していたところ、加害者側の自動車保険会社の担当者から電話が頻繁にかかってくるようになりました。
「通院頻度が高すぎませんか」
「もうこれ以上、保険会社は病院の立替払いはできません。通院を続けるのは自由ですが、自分で払ってください」
まだ痛みはひどく、立ち上がることさえ難しいのに、通院費用は出せないと突き放され、ナツミさんはぼうぜんとしました。
その日から、残り少ない貯金を切り崩しながら、子どもたちの食事をなんとか用意する日々が続きました。しかし、貯金はすぐに底をつきました。
料理も買い物もままならず、おかずなしご飯だけの日もありました。その米さえ、ナツミさんとお姉ちゃんは小学生の長男を優先し、空腹の日々。病院に行く手段も足代もなく、ただただ空腹を抱えたまま、家で寝ているしかなくなってしまいました。
生活保護申請をしようとしたが…役所の容赦ない「水際作戦」
「もう、お金がない。どうしたらいいんだろう」とうとう電気代も滞り、冷蔵庫の中は空っぽになり、子どもたちの前では必死に笑顔を作りながらも、夜中にひとり声を殺して泣く日々が続きました。
思い切って役所の生活保護担当窓口に電話をすると、「交通事故なら弁護士さんに相談したら」「ご親族に頼れませんか」と冷たい返事が返ってきました。
しかし、ナツミさんは子どもたちを守るため、諦めるわけにはいきませんでした。行政書士事務所に送られてきた相談メールから切迫した状況を感じ取り、私が即日自宅訪問したところ、ナツミさんとヒマリさんが青ざめて座り込んでいました。
イラストは、そのときの様子を、同行した事務所スタッフに忠実に再現してもらったものです。私が忘れられない光景の一つです。
著者がナツミさんの家を訪問した時の様子(画:行政書士法人ひとみ綜合法務事務所スタッフ)
小学生のカナタくんは元気で動けていましたが、目は不安の色でいっぱいでした。
あまりの状況に、私はすぐに役所に電話し、親族にも頼れず、成長期の子どもたちのご飯もないこと、空腹で切迫した状況にあることを強く訴えました。そして、当日夕方には、ケースワーカーに訪問してもらいました。
米、缶詰、レトルト食品を抱えた支援員は、玄関先に置き「では、書類は後日持ってきて・・・歩けないですね、今日はもう遅いので、明日取りに行くので書いておいてください」。残業時間が増えてしまうことを気にしてか、そそくさと帰っていきました。
長らく空腹だったナツミさんは、米袋を抱えたまま、玄関先で膝をつき、声を殺して泣きました。
2週間後、生活保護の決定通知が届きました。医療費も免除され、タクシーを利用してリハビリにも通えるようになり、子どもたちに「もう大丈夫だからね」と伝えられました。不安と恐怖が、ようやく少しだけ遠のいた瞬間でした。
それと同時に、困窮を極めた状態で明らかに生活保護を必要としているナツミさんのような人でさえ、私のような「士業」の者が付き添わなければ生活保護申請がすんなり通らなかったという現実に、やるせなさを覚えました。
事故現場での「大丈夫」は危険
交通事故は、見た目に大きなケガがないように見えても、後になって痛みや障害が現れることがあります。実際に、自転車で優先道路を走行中、脇見運転の車に跳ね飛ばされたナツミさんは、周囲の人々に「大丈夫です」と言って立ち去ろうとしました。しかし警察や救急隊から「いま病院で診てもらわないと、後から痛みが出ても事故との因果関係が立証できなくなる」と説得され、ようやく救急車で運ばれました。
事故直後は興奮やショックで痛みに気づかず、骨折や重傷を負っていても「大丈夫」と言い張る人が少なくないのです。腕が損傷していたり、折れた骨が皮膚を突き破って露出していたりしても、気づかないまま立ち去ろうとする人もいます。
事故の現場では、恥ずかしさや仕事の都合から「平気です」と無理をしてしまいがちです。しかし後になって症状が悪化し、保険や賠償の申請が難しくなるケースもあります。救急隊員や警察官の指示に従い、必ずその場で医療機関を受診することが、自分の体と生活を守るために大切です。
事故で困窮するのは被害者だけではない
交通事故は、必ずしも「被害者」だけを苦しめるものではありません。加害者の立場になったときも、人生は大きく変わります。タケシさん(仮名・40代男性)は、通勤途中に高齢の歩行者をはねてしまいました。視界の死角から突然飛び出してきた歩行者に反応できず、結果として重傷を負わせてしまったのです。被害者は、その後、病院で亡くなられたそうです。
それからしばらくして、弁護士相談に行き、今後どうなるのか話を聞いた時点では、仕事は裁判までは、解雇されないだろうという話だったものの、事故後、2週間であっさり解雇連絡がありました。雇用主ではなく、作業上の管理者から携帯に連絡がきて解雇通達を受けたといいます。
その後も、病気の妻を養うため再就職をしようと行動したのですが、事故当日の夕方、テレビで複数の交通事故報道がされ、新聞にも実名掲載されていました。そのため、報道を覚えていた人が多数いたことで、就職ができない状態になってしまったのです。
警察の取り調べが終わり、裁判を待つ身となったタケシさん。事故の責任を強く感じ、罰金や賠償金がのしかかり、収監の可能性もある中で、もっとも気がかりだったのは、自宅で待つ妻のことでした。
妻は重度の精神障害があり、働くことができず、日常の家事もままならない状態です。これまでタケシさんが支えてきたため、妻は生活を続けられていたのです。
「私が収監されたら、妻はどうやって生きればいいんでしょうか。せめて生活保護を受けられるようにしてあげたいんです」
相談の時点で、タケシさんも無収入で友人から借り入れをしている状態でした。すぐに夫婦で生活保護申請をし、無事に生活保護の決定がされました。
声を上げる勇気が未来を守る
交通事故は、ある日突然、誰の身にも起こり得ます。被害者にも、加害者にもなる可能性がありますし、残された家族が困窮することもあります。たとえ事故の責任が自分にあっても、親族も頼れず、誰にも助けを求められなくても。それでも、生きるために頼れる制度が、この国にはあります。それが生活保護です。
担当ケースワーカーがついて、定期的に家庭訪問をしてくれるので、障害や高齢により独居が困難となっても、気付いてもらうことができ、放置されることはありません。安心して生活できる介護施設等への転居費用や移動費用も、公費で支援してもらえます。
事故をきっかけに家庭が破綻しても、残された家族に「最低限の暮らし」を保障するのが、生活保護の役割なのです。
申請の場で、冷たい言葉をかけられたり、質問攻めにされたりしても、決して「自分が悪いのだから仕方ない」と思い込まないでください。生活保護は、困窮した人が人間らしい生活を営むために用意された、国民一人ひとりの権利です。
そして、迷っている時間にも、子どもや家族の空腹や痛みは待ってくれません。声を上げることをためらわず、役所の窓口に行けなくても、電話で「助けて」と伝えてください。
「いつか誰かが助けてくれるだろう」という未来は、待っているだけでは来ません。自分の口で、自分の権利を主張することが、未来を守る第一歩です。
あなたやあなたの大切な人が困難の中にいるなら、迷わず生活保護制度を頼ってください。それが、あなたの未来を守る力になります。
■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に「わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)」(ペンコム)がある。