
父と血縁関係があるのに親子と認められないのは「違憲」
日本人の親が戦後に帰国し、フィリピンに残されて無国籍状態となった「フィリピン残留日本人2世」の人々と支援者らは、以前から国籍の取得を求めて活動を行ってきた。5日に都内で会見を開いた申し立て代理人の河合弘之弁護士は、これまで、約300人の就籍を実現させてきた。
同じく代理人の青木秀茂弁護士によると、日本国籍の取得を強く希望しているフィリピン残留日本人2世は50名残っており、そのうち32名が非嫡出子である。
今回申し立てを行った4名は、DNA鑑定や親族との対面などの証拠から、日本人の父親と血縁上のつながりがあることは明白であるという。しかし、父親と母親が婚姻していたことを示す書類がない、または父親と母親が法律上は婚姻してなかったなどの事情から、非嫡出子となった。
4名が生まれた当時に施行されていた「旧国籍法」の1条では、子が日本国籍を取得する要件として「出生の時に父親が日本人であること」と定められていた。
そして、これまで、裁判所は条文上の「父」とは「法律上の父」であると限定して解釈し、認知されていない非嫡出子が日本国籍を取得することを認めてこなかった。
今回提出された4名分の申し立て書のいずれでも、旧国籍法上の「父」は法律上の父に限定されず「生物学上の父」を含むと解釈すべきである、と主張されている。
また、国籍の取得は基本的人権に関する問題であるにもかかわらず、自らの意志や努力によって選択できない「嫡出子であるか非嫡出子であるか」という基準によって国籍取得の可否を決定することは憲法14条1項の「平等原則」(法の下の平等)に反するため違憲である、とも主張されている。
「(旧)国籍法の条文だけを見れば自然的血縁関係だけでも足りるはず。それに裁判所が余計な要件を加えたのは、法解釈の誤りであり憲法違反である、というのが今回の申し立てにおける主な主張だ」(河合弁護士)
フィリピン残留日本人が受けてきた「差別」
明治以降、多くの日本人がフィリピンに行き、現地の人々と結婚し家庭を築きながら、日系人社会を作り上げてきた。しかし太平洋戦争が起こり、当時の大日本帝国がフィリピンに攻め込む。日系移民は兵士として徴用され、フィリピン人との戦闘を強制された。結果、フィリピン国内における対日感情は悪化。戦後、日系人はフィリピン国内で差別を受けるようになる。
会見に参加した北村賢二郎弁護士は「小学校に行けば『首を切り落とせ』と言われるなど、フィリピン残留日本人2世は、子どもの頃から命の危険にあってきた」と語る。
「身分を隠しながら生きてきたが、日本国籍を求めて、ようやく声を上げることができた人々。
それが、血縁上は日本人の子であるにもかかわらず、『法律的な親子関係』を理由にして日本人と認められない」(北村弁護士)
また、戦時中に日本軍が市街戦を行ったことで役所が燃え、各種の証明書が焼失したことも、法律上の親子関係を証明することが困難な一因になっているという。
河合弁護士も「日本国籍を取れないということは、参政権や職業の自由、表現の自由などの重大な人権が制限されるということ」と語る。
「現在では、相続においても非嫡出子に対する差別はなくなっている。それなのに『国籍』という一番大事なところで差別がある。
実際の事案を見ると『どうして、こんな差別をするのか』という気持ちが抑えられなくなる」(河合弁護士)
当事者らの平均年齢は84歳
就籍を求めるフィリピン残留日本人2世らの平均年齢は、84歳。そして、これまでに約1800名が、国籍取得を希望したまま亡くなってしまったという。河合弁護士は「このままでは(高齢の当事者らが亡くなることにより)問題が『解決』するのではなく『消失』してしまう。すでに1800人が望郷の思いを抱きながら亡くなってきた。
青木弁護士は、今回の申し立てが認められた場合、同じく非嫡出子である28名も国籍を取得できる可能性が高くなり、事態が大幅に改善されると説明する。
申し立てを受けた那覇家庭裁判所/裁判所ホームページより
なお、申立人4名のうち3名は、父の本籍が沖縄県にある。そもそも、戦前にフィリピンに移り住んだ日本人には、沖縄県と広島県の出身者が多いという。
沖縄県内ではフィリピン残留日本人2世についての報道も多々されており、県全体で、この問題に関する意識が高い。4名中3名の家事審判の申し立て先を那覇家庭裁判所にしたのも、他の裁判所よりもスピーディーな対応が期待できる点が理由のひとつであるという。
家裁で申し立てが認められなかった場合には高裁に抗告を行い、高裁でも認められなかった場合には最高裁に特別抗告を行う予定。結果が出るまで、半年から1年ほどの期間がかかる見込みだ。