この状況を放置しておくと何が起こり、誰が損失を被るのか。70年代米国で一大センセーションを巻き起こした「福祉の女王」の事件とその後の経緯には、現在の日本が学ぶべき数多くの教訓がある。(みわ よしこ)
80種類の偽名、30種類の住所、架空の「亡夫」たち…すべては“福祉不正受給”のため
1976年の米国大統領選挙に向けた共和党内での候補者選挙に際し、候補の1人だったロナルド・レーガンは、演説において1人の女性を「福祉の女王(welfare queen)」と呼び、彼女の驚くべきエピソードの数々を語った。なお、「welfare queen」はレーガンの造語ではなく、1975年にメディアが使用しはじめた用語である。レーガンによれば、その女性はイリノイ州シカゴに住んでおり、偽名80種類、住所30種類、電話番号15種類、実在しない元軍人の亡夫4人を巧みに使い分け、フードスタンプや社会保障給付を不正に獲得してきた。不正受給の金額は年間15万ドル(現在の80万ドル(1ドル=150円として1億2千万円))に達していたという。
別の演説では、偽名が127種類、住所がシカゴだけで50種類、さらに子どもが14人おり、高級新車3台を持ち、ミンクのコートを着こなし、心臓外科医と名乗っていたという。
レーガンは、「福祉の女王」の人種について明確には語らなかった。しかし、居住地などの情報を交えることによって、聴衆に「黒人」と思い込ませた可能性はあると考えられている。
多数の子どもを抱えた戦争未亡人として福祉給付を不正受給しつつ、女性外科医として羽振りよく振る舞っていたという女性像に対し、特に共和党支持者が激しい反感を覚えたことはいうまでもない。
この時、レーガンは共和党の大統領候補にならなかった。しかし1980年の選挙では「Make America Great Again」をスローガンとして選挙戦を戦い、大統領となり、福祉削減政策の数々を実現した。
名目上は削減ではなく、福祉受給に値すると考えられる人々を対象にした自立支援であったが、実際には利用抑制策として機能した。
しかしながら年々、貧困状態にある子どもたちの苦難、地域コミュニティーの荒廃、地域の健康状態悪化などの問題が無視できなくなった。このため、特に民主党政権下において、さまざまな軌道修正が図られてきた。
レーガンが「福祉の女王」のふらちな生活ぶりに過度に注目させて福祉削減の必要性をアピールし、政策として実現したことは、2025年現在は必ずしも成功例とは考えられていない。むしろ米国の幅広い層に、「“大衆受け”する扇動は深刻な人権侵害を引き起こす可能性があり、結果として社会を害する」という教訓として受け止められている。
福祉不正受給の影で忘れられた本人、そして余罪の数々
「福祉の女王」に関するエピソードが語られる時、彼女の偽名や住所や電話番号や社会保障カードの数、子どもや「亡夫」の数、そして詐取した給付の総額はさまざまであった。しかし、彼女はレーガン陣営が作り上げた架空の人物ではなく、「リンダ・テイラー」の名で知られる実在の人物だ。ただし、当時のメディアやレーガン陣営は、かなり話を“盛った”ようである。レーガンが演説の中でリンダの実名を出さなかったのは、出してしまうと「盛りすぎ」という批判を免れなかったからもしれない。
リンダの生年は不明確だが、1925年~1927年と推定されている。1974年に逮捕され、1977年に禁錮3年~7年の有罪判決を受けた。起訴事実として最終的に認められたのは、証明書等の偽造と8000ドルの福祉詐欺だった。小さな金額ではないが、レーガンが語っていた金額に比べると桁違いに少ない。高級車の新車や毛皮のコートは、量刑にあたっては問題にされなかった。
1978年に収監されたリンダは、1980年に仮釈放され、その後は特に注目されず、2002年に70歳台後半で死去した。
警察は福祉不正受給だけではなく、リンダの重婚・暴行・窃盗・保険金詐欺・児童誘拐・殺人などについても疑惑を抱き、捜査を行っていた。しかし福祉不正受給が注目され、メディアで盛んに報道されて選挙運動に活用されるようになると、捜査は中断された。
リンダの釈放後も、周辺では不審死や謎の死亡保険金の支払い、そして資産の消滅が続いた。しかし、刑事事件として追求されることはなかった。被害者たちは復讐(ふくしゅう)を恐れ、関わることを避け、あるいは「死人に口なし」であった。
新生児連れ去りが明らかにした家族の闇と虐待の闇
ただ1人、真相の追求を諦めなかった当事者がいる。やや長くなるが、リンダ・テイラーと関係があると考えられているため、詳しく述べる。1964年、シカゴに住むフロンチャク夫妻に男児が生まれ、ポールと命名された。ところが母親の入院先で、看護師を装った女が生後1日のポールを連れ去った。警察は徹底した捜索を行ったが、ポールは行方不明のままだった。
2年後、FBIが夫妻に「ポールと思われる男児が遺棄されていた」と知らせた。夫妻はその男児を引き取り、ポールとして育てた。
成長したポール・フロンチャクは、自分の出自に疑問を持ち、本物のポールと自分自身の生物学的な両親を探し始めた。本物のポールは2019年に見つかったが、2020年に病死した。2017年に他界した父親は、再会できないままであった。母親は2024年時点では生存しており、ポールとは良好な関係にある。しかし、本物のポールと再会したかどうかは定かでない。
ポールの生物学的な両親は、2015年に判明した。父はPTSDに苦しむ朝鮮戦争帰還兵、母はアルコール依存症に苦しむ女性だった。両親はポールを含む子どもたちを虐待していたことが記録・記憶されていたが、いずれも1990年代に死去していた。
さらに、ポールには双子の姉がおり、ポールが遺棄されるのと同時に行方不明になったままであることも判明した。
ポールは、現在も姉を探し続けている。姉が生存している可能性は低いのだが、ポールは「姉は生きている」と信じている。
看護師を装って生後1日のポールを連れ去った女性は、リンダ・テイラーではないかと考えられているが、真相は不明のままだ。
わが子も、よその子もすべて自分の資金源
リンダは10歳代だった1941年(1927年生まれとすれば14歳)に最初の子どもを産み、1950年代までに息子3人と娘1人の母となり、放浪生活を送っていた。子どもたちの外見は似ておらず、息子1人の肌は黒く、他の3人の肌は白かった。また、リンダは子どもたちを虐待していたという。黒い肌の息子は特に激しく虐待され、後に養子に出された。このことにより、リンダの一家から黒人が排除された。
リンダ自身の人種的特徴は、不明瞭だった。また変装の達人であったため、数十個のウイッグを使い分け、外見を自在に操ることができた。「福祉給付を必要とする、白人シングルマザーと子どもたちの家庭」という外面を装うのは、極めて容易だったようだ。
しかし、子どもたちが14歳を超えてしまうと、利用できる福祉給付は激減する。リンダが主な現金収入源としていた制度は「Aid to Families with Dependent Children(AFDC、1996年に廃止)」、直訳すれば「扶養児童のいる家庭への援助」である。利用し続けるためには、幼少の子どもが必要だ。
リンダの息子の1人は、家に見知らぬ赤ん坊や幼児が現れては消えたことを記憶している。誘拐の罪に問われなかったのは、最終的にその子どもたちを親のもとに返したからだった。
いずれにしても、こんな母親が敬愛されるわけはない。リンダの子どもたちは、思春期になると母親を嫌悪して家出を試みた。するとリンダは、「誘拐された」と警察に届け出を行い、メディアに報道させた。被害者としての自分自身を演出する“毒親”は、現在の日本にもありふれている。
福祉詐欺の後も他者から奪い続けた一生
冒頭で述べた通り、1980年に刑務所を出所した後も、リンダの悪行は止まらなかった。一例を挙げると、夫を亡くした高齢女性に「行方不明だった娘」として取り入り、家財や現金や所有していた土地を奪った後、虐待しはじめた。彼女の死後、リンダは死亡保険金を受け取ったと見られるが、死因には不審な点が多く、リンダが殺害した疑念もある。彼女の子どもたちは母親を救出しようとしたが、リンダに殺害をほのめかされて断念していた。
リンダを最終的に変えたのは、体調の悪化と認知症だった。4人の実子のうち息子の1人と娘が、2002年にリンダが死亡するまでケアを続けた。その経緯について、母ゆえに苦難の人生を歩んできた息子は「自分の母親ですから」と語った。
虐待する母親であり犯罪者だったけれど、最後には子どもに見捨てられなかった生涯。
不正受給の摘発強化は「誰得」だったのか
1978年、リンダが有罪判決を受けた後、イリノイ州では「福祉詐欺対策チーム」が設置された。福祉詐欺通報に特化した窓口が設置され、福祉詐欺疑いの認知件数は10倍に増加した。米国全土でも、福祉詐欺疑いの認知件数は7倍に増加した。同時に、過剰に受け取った福祉給付が犯罪化され、それまでの「行政の費用処理として返還させればよい」という扱いではなくなった。米国における低所得層向けの福祉給付は、世帯単位では減少した。
この経緯を「『福祉の女王』に見られる通り福祉詐欺が増えたから、摘発件数が増え、結果として福祉給付が減少して贅沢ではなくなった」と理解すると、見せかけの因果関係のわなに落ちることになる。
福祉詐欺が増えたように見えるのは、それまで犯罪として扱われていなかった類型まで犯罪化されたからである。福祉給付水準の減少は、政策によるものである。福祉詐欺の摘発件数は、政策推進に活用されただけである。
この事実を確認するためには、数字を見るのが最も手早いだろう。リンダが主に利用していた「Aid to Families with Dependent Children(AFDC)」制度の給付総額(インフレ調整後)は、1970年~1995年(最終年の前年) の期間では概ね17億ドル~20億ドル(1996年基準)で推移している。
受給世帯数は、「福祉の女王」が注目されていた1976年に360万世帯であったが、80年代の「レーガノミックス」のもとでも大きな減少はなく、概ね横ばいが続いていた。1990年代に入ると不況の影響で激増し、制度終了の前年の1995年には480万世帯に達した。
総額がおおむね変わらず、受給世帯数が増加したのであれば、個々の世帯に対する給付水準は低下しているはずだ。インフレ調整後の給付月額を確認してみると、1995年は1970年の53%となっている。1995年の給付水準は、連邦の貧困線の40%程度にとどまっていた。
フードスタンプ・メディケイド・公営住宅または家賃補助・自治体や民間団体による各種支援などを組み合わせれば、貧困線より若干低い程度の水準に達する可能性はあったが、厳しすぎる生活であったことは確かだ。
福祉詐欺および行政の過誤を合計すると、過払いは総額の3~5%と推計されている。17億ドル~20億ドル(1996年基準)という総額に対しては、0.5億ドル~1.0億ドルとなる。
その金額を「本当に困っている人」に割り振れば、貧困の解消に役立つのであろうか? 答えは「否」であろう。行政が不況や雇用状況の悪化を改善できないため、社会保障へのニーズが増加しつづけている事情は、その金額では全く埋め合わせられない。「焼け石に水」だ。
決して水に流すわけにはいかない「一大センセーション」の代償
ジャーナリストのジョシュ・レヴィンは、2010年代に一連の事件を徹底的に再検証し、その結果を2019年に書籍として出版した。レヴィンは、もしも1974年に福祉詐欺以外の、リンダによる犯罪の全貌が解明されていれば、リンダが「welfare queen」として注目されることはなかったと考えている。さらに、リンダが福祉削減の必要性を訴えるためのアイコンとして利用されなければ、福祉削減政策によって多数の人々が生存を脅かされることもなかったのではないかと指摘する。
筆者は、レヴィンの見解の多くに同意するが、同意できない点や疑問を抱く点もある。
リンダは確かに、稀に見る凶悪犯罪者であった可能性が高い。「福祉の女王」としての“キャラ立ち”ぶりは、犯罪者としての小さな一面、それも社会に比較的受け入れられやすい氷山の一角に過ぎないのであろう。さらに背景には、生まれ育ちの不運もありそうだ。
しかし、それらが明らかにされた場合、「福祉受給者は不幸な生まれ育ちであることが多いため、凶悪犯罪予備軍として疑いの目を向けなくてはならない」といった別の偏見を助長し、結局は福祉削減政策の実現に利用されたのではないだろうか?
リンダがメディアとレーガンに見出されて「福祉の女王」にされる成り行きがなかったら、おそらく、別の誰かや何かが福祉削減のアイコンとして利用されただけだ。結果は、さらに有害なものだったかもしれない。
ともあれ、「福祉の女王」に関する再検証と反省は、米国のあちこちで連綿と続けられている。簡単に水に流してしまわない執念深さは、日本が米国から最も学ぶべきものの一つであろう。
「失敗への道」と知っていて、わざわざたどる必要はない
筆者には、2010年代以後に生活保護をめぐって日本で繰り広げられている動きの数々は、1970年代以後の米国を後追いしているように見える。もしかすると、米国流の福祉削減を展開したい人々が、1970年代からずっと機会をうかがい続けてきており、2010年代に「チャンス到来」と勢いづいたのかもしれない。
「福祉の女王」騒動を受けたイリノイ州が摘発を強化したのと同様に、2012年、大阪市の橋下徹市長(当時)は警察OBらによる「生活保護不正受給調査専任チーム」を設置した。
同年7月、厚生労働省は、通知によって「不正受給」判定の原則を変更した。それまで、悪意や故意が確認できない場合は生活保護法63条(不正受給ではない場合の費用の返還)が適用されていたところを、「明らかに不正受給ではない」という場合以外は同法78条(不正受給の場合の費用の返還)を適用するものとしたのである。
この、いわば「疑わしきは罰せず」から「疑わしきは罰する」への取り扱い変更によって、不正受給件数は大きく増加した。同時に、1件あたりの金額は減少した。また、「収入申告の義務を知らなかった高校生のアルバイト収入が不正受給としてペナルティの対象となる」といった悲劇も発生した。
唯一の救いは、「日本のリンダ・テイラーが出現する可能性は低い」ということだ。リンダの福祉詐欺の手口のそれぞれに関しては、日本にも若干の類似例が存在する。しかし、長期間にわたって大規模に継続することは、日本では不可能だろう。日本では既に、生活保護の不正受給が極限まで抑止されているからだ。
とはいえ、感情を刺激する表象を活用した生活保護叩きは、手を変え品を変えて出現する。現在のトレンドは、「生活保護における外国人の優遇」だ。もちろん、そんな事実はない。
生活保護費総額を増加させず減少させる目的での給付水準削減や項目ごとの利用抑制も続いている。行き着く先は、米国において1996年にAFDCが廃止され、より厳しい制約を課すTANF(Temporary Assistance for Needy Families、貧困家庭一時扶助)に移行したのと同様の成り行きであろうか。2010年代、自民党の片山さつき氏は、米国のTANFを日本の生活保護が向かうべき方向性として強調していた。
米国流の福祉削減、特に共和党流の福祉削減に、明るい未来はあるのだろうか?
まずは米国の福祉改革の経緯と結果を知り、日本と重ね合わせてみよう。米国貧困層の血で描かれた失敗パターンをなぞらないために、何をすれば良いのだろうか。現在の日本には、まだ、考えて意見を表明する自由がある。
■みわ よしこ
フリーランスライター。博士(学術)。著書は『生活保護制度の政策決定 「自立支援」に翻弄されるセーフティネット』(日本評論社、2023年)、『いちばんやさしいアルゴリズムの本』(永島孝との共著、技術評論社、2013年)など。
東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了。立命館大学大学院博士課程修了。ICT技術者・企業内研究者などを経験した後、2000年より、著述業にほぼ専念。その後、中途障害者となったことから、社会問題、教育、科学、技術など、幅広い関心対象を持つようになった。
2014年、貧困ジャーナリズム大賞を受賞。2023年、生活保護制度の政策決定に関する研究で博士の学位を授与され、現在は災害被災地の復興における社会保障給付の役割を研究。また2014年より、国連等での国際人権活動を継続している。
日本科学技術ジャーナリスト会議理事、立命館大学客員協力研究員。約40年にわたり、保護猫と暮らし続ける愛猫家。