警察の全力の捜査にかかわらず、いまだ解決していない事件は多数ある。有力な手掛かりがあっても決め手がない、そもそも謎だらけで解決の糸口すらない…。
さまざまなケースが考えられるが、36年前に愛知県名古屋市で親子ら3人が行方不明になった事件は不可思議な点が多い。それでも重要参考人は明確だったが、その人物も姿を消してしまい、事件は迷宮入りし…。
※ この記事は、『読んで震えろ!世界の未解決事件ミステリー』(鉄人社、2024年)より一部抜粋・構成しています。
親子と知り合ってほどない同居人の3人が消息不明に
1989年7月26日、愛知県名古屋市千種区城山町に住むルメイヤス・科乃さん(当時30歳)と長男のダライくん(同3歳)の行方がわからなくなり、その後、親子と同居している長尾宣卓さん(同34歳)も消息不明となった。この日の午後、科乃さん親子は同市東区にある父親の職場に8月分の生活費をもらいに行っている。
その際、 「明日(27日)の夜から4~5日間、四国へ自然食関係のイベント『塩の祭り』を見に行く。私のワゴン車で長尾さんに連れて行ってもらい、向こうではキャンプをする予定」と話し、その日の夜にも隣の敷地に住むニュージーランド人夫婦に四国行きの件を知らせていた。
ところが、科乃さんらが祭りに姿を現すことなく、そのまま姿を消してしまう。
科乃さんはオランダ人男性と結婚して長男ダライくんを授かったが、夫と不仲になり1988年4月にオランダから帰国。正式に離婚が成立する前に別居という形をとり、地元の名古屋で暮らし始める。
そんな科乃さんが心を寄せるようになったのが、1989年初め、キャンプ場で偶然知り合った長尾さん。彼は大学中退後にデザイン関係の仕事に就き、当時は無職だったが、自然食や環境保護問題など関心分野が同じことから意気投合し、同年3月から千種区にある科乃さん宅(賃貸の一軒家)で同居を始める。
生活費は、会社社長である科乃さんの父親がほとんど負担していた。
失踪直前に同居人が不可解な行動
後の調べで、長尾さんが27日、科乃さんの自宅の大家に「家賃を振り込みたい」と電話をかけていたことが判明する。大家が「今すぐには口座番号がわからない」と答えると、長尾さんは「明日また電話する。(科乃さんとダライくんの)2人は先に旅行に出発した。自分もこれから追いかける」と話しており、電話の声は非常に急いだ様子だったという。
月の家賃はいつも、父親から受け取った生活費の中から科乃さんが支払っていた。なぜ、このときは長尾さんが自分で振り込むよう伝えてきたのか。わざわざ、大家にしばらく留守にすると連絡する必要があったのか…。
ちなみに、長尾さんは28日の昼ごろに科乃さん宅に1人でいるのを、前出のニュージーランド人夫婦に目撃されている。その際、夫婦は「あなたの運転で四国に行ったんじゃないの?」と問いかけ、長尾さんは「後で合流する」と返答したそうだ。
連絡がつかないことを不審に思った父親が警察に捜索届
8月末、科乃さんが生活費を取りに来ないことを不審に思った父親が娘に電話をかけるも、一向につながらない。自ら心当たりを探すも消息がつかめなかったことから、9月11日に警察に捜索届を提出。さっそく警察が科乃さんの自宅を調べたところ、いくつか不審点が見つかる。まず、2階6畳間に量にして約200ミリリットルの血痕が付着していた。1ヶ所は畳に20センチ四方のもの、もうひとつは押し入れの布団に付着した2センチ四方の血の染みで、血液型は科乃さんと同じB型と判明。
これを知った父親は長尾さんを疑う。実は7月半ば、父親は科乃さんから「長尾さんとの関係が上手くいっていない」と相談を受けている。その際、「彼からプロポーズされたが、受けるつもりはない。1週間くらいしたら出ていってもらう」とも聞かされていた。
愛憎をめぐるトラブルから、長尾さんが科乃さんとダライくんに危害を加え連れ去ったと考えても何ら不思議ではないところだ。
警察の捜査で宗教の影もちらつく
警察は科乃さんの本棚にオウム真理教の複数の書籍やポスターが置かれていたことにも着目する。失踪前、科乃さんら3人がオウムの道場に出入りしていた事実を突き止め、事件との関連を追ったが、それを裏づける証拠は出なかった。さらに、自宅のカレンダーにも不可解なメモが記されていたことも引っかかった。
他の月日はほとんど空白だったにもかかわらず、7月20日と30日に荒れた筆跡でオランダ語の走り書きがあったのだ。
26日には「逃走・脱走・脱出・飛行」を意味するワードに加えて認識できない単語が1つ、30日には「出発・出港」「空港」 「午後2時」の文字が。これらを単純に読み解けば、7月26日に逃走を開始し、30日午後2時の飛行機に乗るとも予想できる。
かつてオランダで暮らしていた科乃さんが、長尾さんにわからないようオランダ語で彼からの逃走スケジュールを記したものだろうか。しかし、後の鑑定で、カレンダーの文字と科乃さんの筆跡が一致しないことが判明。ならば、誰が何の目的でカレンダーに意味深な言葉を書き残したのか。
失踪から約3ヶ月後の10月10日、科乃さんのワゴン車が名古屋空港近くの駐車場に預けっぱなしになっていることが判明する。
車内には旅行で使うはずだったと思われるキャンプ用品や食料を入れるための発泡スチロール、科乃さんのサンダルなどが残っていた。
ガソリンはほぼ空の状態で、最後に給油されたのは7月20日。科乃さんは普段運転をしないため、ガソリンは26日から29日にかけて消費されたと推測され、最大で130キロ圏内を移動したものと考えられたが、警察が範囲内の関係箇所を調べたものの、手がかりはなかった。
駐車場の担当者によると7月29日に男性(長尾さんと同一人物かどうかは不明)が1人で来て、8月10日までの料金9000円を支払い、福岡に行くと話していたという。
また、警察は国内線の旅客名簿も調べたが、3人とみられる乗客は見つからなかったそうだ。失踪からすでに36年。彼らの消息と、事の真相が明らかになる日は来るのだろうか。