
そのため裁判官は、他の公務員のように「上命下服」の関係にはない。
……しかし、裁判官たちも人間。他の公務員たちや会社員などと同じように、懇親会、つまり“飲み会”を開くこともある。そしてその場で上司から非公式な「根回し」をされることで、判決にまで影響が生じる場合もあるという。
本記事では、裁判官を20年務めた経験があり今は弁護士として活動している井上薫氏の著書『裁判官の正体 最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音 』(2025年、中公新書)から、裁判官たちが行う「懇親会」の実態について書かれた内容を、一部抜粋・再構成して紹介する。
懇親会に出席するのも裁判官の「仕事」
裁判官会議(※)というのは裁判官全員が集まりますが、そういう機会は一年通してもあまりないので、会議の後ちょっとした勉強会みたいなもの、あるいは懇親会のようなものが開かれる場合がほとんどでした。※各裁判所が、裁判官や裁判所職員の人事、または会計経理など司法の運営にかかわる「司法行政権」を行使するにあたって開かれる、その裁判所に所属する全ての裁判官が出席する会議。
その勉強会の一つとして講演会が開かれ、それに私も出席したことがあります。これは必ずしも裁判に直結する内容ではなくて、一般的な社会勉強みたいなことも取り上げられています。外部から専門の講師を招いて講演会をしていただきます。聴衆は裁判官だけです。そういう特殊な講演会です。
講演会の後、よく懇親会がありました。
会場にもよりますが、畳の大広間で一人一膳を用意されて所長に乾杯の音頭をとっていただいて、それから宴会が始まるということもありましたし、立食みたいなこともありました。それはまあいろいろ形式はあると思います。
この懇親会というのも、仕事といえば仕事なんですね。嫌だよというわけにはいかないので、全員出席し、夜になるまでやってます。これは会社勤めしていても皆さんそうだろうと思います。3月であれば転勤していく人の送別会を兼ねているし、4月以降の懇親会であれば新しくやってきた人の紹介を兼ねた歓迎会という趣旨も加わります。
この辺は会社でもどこでも同じだろうと思います。一般の会社と同様なことを、裁判官もやっているということです。
「見えない序列」によって保たれる秩序
宴会・懇親会も含め、裁判官だけの場合を想定します。そこで立食パーティー形式であれば席次ということはありませんが、和室の大広間でやる場合には席次が決まっています。地裁の裁判官全員が集まっての宴会となると、所長が一番上座に座ると、所長から見て右の列、左の列に、ずらっと縦に並びます。席次はその所長の次に偉い人ということで順番に並んでいくんです。司法修習の期別になってるところが多いです。そうするとかなりの長い縦の列ができるわけです。これはちょっと壮観でした。
三国志演義の映画を見るとやはり君主が一番上座に座って二列向かい合う形で人々が集まる。その席次も君主に近い人は偉い人とそういう順番になってます。日本でもそうでしょう。たとえば徳川家康という時代劇番組があったとして、それで集まってなんか宴会をやるとなったら、やはり同様な並び方になるだろうと思います。
したがって、宴会の席次というのが座敷でやる場合は自由席ではありません。
みんなでがやがや仲良くやっているというのとは違います。そういう意味では司法修習の期による見えない序列というのがありますので、戦前の陸軍士官学校の期別みたいな、同期の桜みたいな枠組みでしっかりしています。そうなるとむやみにその秩序を乱すことは考えません。
「あうんの呼吸」で上司に忖度…
最高裁の「意向」が、懇親会を通じて裁判官たちに伝えられている?(キャプテンフック / PIXTA)
司法行政関係、特に懇親会とか宴会とか、そういう場面でいろいろと裁判官同士が会話をすることがあります。所長から直接話をされることもあります。所長というのも裁判の仕事をしていると用事がないものです。別に所長のところに行ったからって裁判の仕事がはかどるわけでもないので、用がなければ会うこともありません。
ところが、懇親会になると話す機会がやってきます。そうすると、非公式で本音を言われることがあります。これは裁判所だけじゃなくて、会社も含めて日本の伝統的なやり方ではないかと思います。仕事の本来の場ではなくて宴会の場で本音を言うということですね。
たとえば仕事にしてもちょっとお前遅いぞ、その割には毎日5時に帰っているそうじゃないかとか、何か嫌味を言われたりすることもあります。ですから、この非公式の本音というのは結構きついものがあります。裁判官には響きます。
裁判官の独立というのも、こういうところで怪しい点があるのです。本来独立しているから、所長は裁判の中身に一言も関与することができない建前ですが、懇親会のところで遠回しに一言を言うだけでもあの事件のことをいっているのだなとわかることもあります。
当然、それを所長の方もわかっていていっているのではありますが。そういう見えにくいやり方で裁判官の独立が危うくなっているという現実があります。
繰り返しですが、所長は裁判官に個々の事件の判決をこうしなさい……などと命じることはありません。
ここで事件担当の裁判長と司法行政権を担当する所長との接触が生まれるのです。そんな最中に宴会があれば、ほんの一言いうだけでピンときます。
「君もまだ若いんだから」
「まあひとつ、穏便に頼むよ」
「チャンスはまだあるよ」
「判決は遅くしないでほしい」
所長がこう一言いえば、ああ、あの事件で、画期的な判決を出してほしくない、最高裁の意向に沿ってほしいということだな……とあうんの呼吸でわかります。そして、所長の「指導」は証拠も残りません。こうして裁判官の独立は、陰に陽に危うくなっているのです。