防衛省は7月18日、NBC兵器(核、生物、化学兵器)への対処等も任務とする陸上自衛隊特殊武器防護隊・化学防護隊の一部部隊への女性自衛官の配置制限を解除。
なぜこれまで制限があったのか、そしてこの歴史的転換の背景には何があったのか。配置制限が解除された職域・部隊で働く女性たちの思いとは。防衛省担当者と、陸・海・空の3人の女性自衛官に取材した。(ライター・榎園哲哉)
「母性の保護」理由に女性が選べなかった職域
自衛隊は1954年7月に創設され、67年に陸上自衛隊、74年には海上自衛隊と航空自衛隊で、それぞれ婦人自衛官(当時)の採用を開始。1986年4月施行の男女雇用機会均等法は職域開放の追い風になり、92年4月には、防衛大学校に女子1期生も入学した。防衛省は、隊内のさまざまな職域・職種のうちの①直接戦闘地域、②戦闘部隊を直接支援する職域、③肉体的負荷の大きい職域、については女性自衛官を配置しないとしていたが、1993年、全職域を女性自衛官に開放することを決定した。
しかし、母性の保護(女性の子どもを産み育てる機能の保護)、男女間のプライバシーの保護等を勘案し、一部については配置制限を残していた。
その後、さらなる女性活躍の推進等のため、2015年に空自で、2018年には海自ですべての配置制限が撤廃された。
なぜ今、制限が撤廃されたのか? 転機は東日本大震災
そして今回、最後に制限解除されたのが、NBC兵器等の対処も担う陸自の特殊武器防護隊・化学防護隊の一部部隊だ。この職域が開放されるきっかけとなったのは、2011年3月に発生した東日本大震災だという。
防衛省人事計画・補任課ワークライフバランス推進企画室の長町学哉室長は、震災に伴って発生した福島原発事故への「原子力災害派遣」でのことを振り返る。
「女性の被災者に薄着になってもらった上で除染を行う必要があったが、被災地での除染は男性自衛官のみが実施可能で、女性自衛官の配置制限の見直しが課題とされていた」
有毒化学剤や放射能などで汚染された地域で活動する可能性がある部隊については、労働基準法64条の3第1項(※)等を踏まえ、配置制限が継続されていた。
※使用者は、妊娠中の女性及び産後一年を経過しない女性(以下「妊産婦」という)を、重量物を取り扱う業務、有害ガスを発散する場所における業務、その他妊産婦の妊娠、出産、哺育等に有害な業務に就かせてはならない
しかし、災害時に女性自衛官の重要性が明らかになったこと、「個人防護装備や車両等の装備品の性能向上等により、これまで以上に安全に偵察、除染活動ができる態勢を確立可能」(防衛省資料より)であり、母性の保護と業務を両立し得ること。
「ここで倒れたら誰も助けられない」訓練に挑む女性たちの覚悟
中央特殊武器防護隊第102特殊武器防護隊に所属する今田香穂3等陸曹も、化学科部隊を志願した一人だ。「小学生のころから、有事の際に人の命を守る仕事に就きたいという思いがあった。自衛隊の化学科は原発事故やサリン事件のような放射性物質や化学・生物剤、さらには核兵器といった特殊な脅威に対応する部隊。人々がもっとも不安を感じる状況で、冷静に、そして確実に対応できる専門性を持った部隊の一員になりたいと思い、迷わず志望した」
猛暑の中で、防護衣と防護マスクを装着して行う訓練もあり、「まさに極限状態。汗が止まらず呼吸すら苦しくなる中、『ここで倒れたら(有事の際に)誰も助けられない』と、歯を食いしばって乗り越えた」という。
「(男性自衛官には)体力は劣るかもしれないが、その分『繊細さ』『丁寧さ』『観察力』を武器に訓練に取り組んでいる」(今田3曹)
潜水艦教育訓練隊で潜水艦幹部としての知識・技量を磨く竹之内里咲1等海尉も、「性別を問わずいろいろな立場の人間がいたほうが、組織として多角的な視点から物事を捉えることができると思う」と女性自衛官の重要性を語る。
空自初の女性戦闘機パイロットとなった伊藤美紗3等空佐(現・航空幕僚監部総務課渉外班勤務)は、教育・訓練について、「体力面等においては、女性だからといって特別大変だということはなかった」と振り返る。
長町室長は、「性別にかかわらず、必要な教育訓練を行いながらそれぞれの部隊の任務を遂行している。入隊後、体力を向上させるための訓練が段階的に行われる」と語る。
女性自衛官の中には、陸自の中でも特に“精鋭無比”と称される第1空挺団の教育課程(基本降下課程)を修了した隊員もいるという。
「後輩たちの見本、モデルになりたい」女性自衛官らの思い
制限解除された職域で勤務する3人。今田3曹は任務への使命感を、竹之内1尉と伊藤3佐は女性のキャリア開拓への意志を語った。「放射線や生物・化学剤、核兵器といった脅威は、目に見えないからこそ判断が難しく、一瞬の対応が命運を分ける場面もある。その中で冷静に行動できる『最後のとりで』のような存在になれるよう日々の訓練に真摯(しんし)に向き合っていく」(今田3曹)
妊娠・出産でしばらく部隊を離れていた竹之内1尉は、「女性潜水艦乗員の数は増えて各艦で活躍しているが、出産後に復帰した人はまだいない。私が復帰することで、モデルケースを提示できればいいなと思う」と話す。
伊藤3佐も「女性の戦闘機操縦士が続いてくれている。後輩たちが組織で活躍し続けられるように、見本、一つのモデルになれたらと思っている」と語る。
男女雇用機会均等法が施行されて、来年で40年を迎える。社会にはまだ性別による役割の線引きが残る職業が多いのも事実だが、彼女たちのような先駆者が道を切り開くことで、その変化はさらに加速していくのではないだろうか。
■榎園哲哉
1965年鹿児島県鹿児島市生まれ。私立大学を中退後、中央大学法学部通信教育課程を6年かけ卒業。東京タイムズ社、鹿児島新報社東京支社などでの勤務を経てフリーランスの編集記者・ライターとして独立。防衛ホーム新聞社(自衛隊専門紙発行)などで執筆、武道経験を生かし士道をテーマにした著書刊行も進めている。