
時代は冷戦下。宇宙飛行士のニール・アームストロングとバズ・オルドリンが月面に立てた星条旗は、ソ連との宇宙開発競争を繰り広げていたアメリカの勝利を世界に知らしめる象徴的な出来事だったろう。
日本でも、NHKが衛星生中継の特別番組を放送し、この歴史的な出来事を伝えている。アポロ計画によって、人類は6回にわたり月面へ降り立ち、合計400キログラム近い石を持ち帰った。宇宙飛行士たちが月面を歩行した姿も、当然のことながらフィルムに収められている。
しかし、2015年9月、東京大学で非常勤講師を務める左巻健男氏が講義中に「アポロ宇宙船は月面に着陸したか?」と質問したところ、中高理科の教職免許取得を希望する理系の学生7人のうち4人が「月面着陸はなかった」と回答した。
その背景にあったのは、テレビ番組などでも取り上げられた「陰謀論」だった。
科学的な事実に基づかない言説は、時として社会に混乱をもたらす。特にSNS時代の今、安易な発信や拡散は法的リスクをともなう可能性もあり、注意が必要だ。
※ この記事は、東京大学非常勤講師、元法政大学生命科学部環境応用化学科教授の左巻健男氏による著作『陰謀論とニセ科学 - あなたもだまされている -』(ワニブックス【PLUS】新書、2022年)より一部抜粋・構成しています。
いかにテレビの影響が大きいか
「月面着陸はなかった」と思った学生たちに理由を聞いてみると、テレビの影響が強いようです。彼らは、アポロ宇宙船の月面着陸の映像は、ハリウッドのスタジオで撮影されたもので、ないことをあるように偽ってつくりあげた陰謀論なのだという「アポロ月着陸陰謀論」のテレビ映像を観て、ある程度納得していたのです。「米国とソ連との間の冷戦のさなかに、米国がソ連を出し抜くためにでっち上げた当時のニクソン大統領の陰謀だ」「スクリーンに登場する宇宙飛行士たちはただの役者なのだ」というストーリーです。
世界的に影響を与えた「アポロ月着陸陰謀論」を扱ったテレビ番組としてとくに有名なのは、2001年に米国のケーブルテレビ局のFOXテレビで放送された「疑惑の理論──人類は月に行ったのか?」と題された番組です。この番組が世界中に配信されることで、世界全体を巻き込む疑惑へと発展し、多くのアポロ月着陸陰謀論者を生み出しました。
日本でも2002年にこの映像がバラエティ番組で放送され、さらに関連書籍などが出ることで一気に広がりました。しかもこの関連の番組はその後もときどき放映されてきたのです。
月面上で旗が揺れた理由
「月面着陸はなかった」と思った学生たちの胸中を捉えたのは、とくに真空の月面上で「アメリカ国旗が掲げられ揺れている」という「事実」だったようです。風が吹くはずもない月面上で国旗が揺れているのはおかしいと思ったのです。ここには「真空だと旗はなびかない」という判断があったことでしょう。
しかし実際は真空でも旗はなびきます。宇宙飛行士は月面上に旗竿を立てるときに旗を揺らしました。旗を揺らせば真空中でもはためくのです。その揺れは慣性のため、すぐには止まりません。
揺れへの抵抗力になる空気がないので、空気中よりも長く揺れが続きます。しかも、旗がよりはためいて見えるように国旗にはワイヤが仕組まれていました。
NHK-BSプレミアムの「幻解! 超常ファイル」では、このことを検証するために、小さな星条旗の模型を真空にした容器の中に入れ、外から旗をリモコンで動かしました。すると、旗が揺れはじめ、長い間はためき続けました。空気が入った状態より真空中のほうが長く揺れ続けたのです。
旗が掲げられている様子を映像で観ると、宇宙飛行士が旗の脇を通り過ぎても旗は揺れません。空気があれば、そのような人間の動作で空気が動き、旗がはためくはずです。これは、真空の“月面上”で撮影されたことを意味します。
アポロ11号から見た地球(出典:NASA)
月面の写真に星が映っていない
もうひとつ、「背景の空が真っ暗で、まったくといいほど星が写っていないのは、背景が真っ暗なスタジオで撮影したためだ」とも言われています。しかしこれも実際は、宇宙空間では光のコントラストが強すぎるために星が映らなかっただけなのです。宇宙空間で見る星は、かすかな光の点にすぎません。一方、月面は太陽から見て地球と同じくらいの距離にあり、光は地球と同様に強く当たっていて、月面で反射された光の明るさは非常に強いのです。
また、アポロの宇宙飛行士たちが降り立ったのは夜ではありません。月面でいう朝の時間帯です。太陽が出ているのです。
月面上の宇宙飛行士の宇宙服もやはり明るいのです。そうした状態で写真を撮ると、シャッタースピードは速くなり、かすかな星の光は写らなくなってしまうのです。
ちなみにアポロ16号のデューク宇宙飛行士は、「月面上にいる間、星はまったく見えなかった」と述べています。
アポロ計画捏造に関わった人たち全員を口封じできるか
アポロ計画は40万人もの人間が関わったという巨大なプロジェクトです。そのようなプロジェクトに携わった人間すべての口を封じ、あるいは、それらの人たちに知られることなく、宇宙飛行士たちをどこかの撮影所に閉じ込め、一連の「やらせ映像」を撮影したとしましょう。NASAは月への有人飛行を9回実施しました。そのうち6回は月面上に降り立ち、合計12人が月の上を歩きました。
当然ながら宇宙飛行士を連れていく人物、写真や映像を撮るスタッフ、その背景を用意する人物、スタジオセットをつくるグループ等々、非常に大勢の人間が関わる必要があります。それらすべての人間の口を封じるのは、とてもではないが不可能でしょう。
でも「実は、私が陰謀に加わった」という人物が出てくれば、それこそ陰謀論を信じる人からはヒーローとして扱われるはずです。
ただ、アポロの月面着陸から半世紀あまり経ちますが、残念ながら「私がスタジオで宇宙飛行士を撮影しました」という人間は今もって現れていません。
もしもアポロ計画陰謀論が正しかったら、真っ先に当時のソ連がそれを追及したことでしょう。ソ連も当時「ルナ計画」で月から石を持ち帰っています。ソ連もまた宇宙開発で数々の成功を収めていました。
宇宙飛行士のアームストロングは、「あれをでっち上げるのは、実際にやるより難しいだろう」と語っています。