「名前だけ貸してほしい」
営業成績に悩む保険会社の営業社員Aさんが、知人に打診して「名義借り契約」に手を染めてしまった。
会社はAさんを懲戒解雇とし、退職金約999万円を全額不支給とした。

裁判所は「懲戒解雇はOK」だが「退職金全額不支給は違法。3割にあたる約299万円は支払え」と判断した。
以下、事件の詳細について、実際の裁判例をもとに紹介する。(弁護士・林 孝匡)

事件の経緯

生命保険会社で営業職として保険の販売業務に従事していたAさんは、営業成績に悩んでいたようだ。
■ 事件1
解雇の発端となったのは、2016年、Aさんが旧知の友人であるBさんに対して「名前だけ貸してほしい」旨依頼し、生命保険契約を成立させた行為である。Bさんには保険料の支払意思も加入意思もなく、Aさんがすべての保険料(月額5000円)を肩代わりしていた。
契約期間は33か月におよび、最終的にはAさんの依頼でBさんが解約手続を行い、解約返戻金もAさんが受け取った。いわゆる「名義借り契約」であり、会社が定める就業規則では、懲戒解雇の対象となる行為に位置づけられていた。
■ 事件2
それから約6年後、Aさんは別の知人Cさんとその息子に関する保険契約を2件手がけた。いずれも契約者はCさん、被保険者はCさんの息子という形で申込がなされたが、AさんはCさんの息子と面談を行わず、署名もCさんなどに代筆させたものであった。
さらに、1回目の契約ではCさんが保険料未納により契約が不成立となり、2回目の契約も、保険料が支払われずに不成立となった。
■ 会社が名義借り契約の疑惑を察知
約2か月後、Cさんが会社のコールセンターに連絡を入れたことで事態が動く。Cさんは「契約手続の際にAさんが私の息子と面談しなかった」「署名も代筆だった」と通報。
さらに、Cさんは「Bさんが『名前を貸したことがある』と言っていた」と伝えた。
これを受け、会社はBさんに聴取を実施。Bさんは「Aさんに『成績が悪いから名前だけ貸して』と頼まれた」「保険料はすべてAさんが負担している」旨証言。こうして、会社はAさんによる「名義借り契約」の疑いを確信するに至った。
■ 自認書の提出
その後、会社の担当者がAさんに事情聴取を行ったところ、Aさんは、名義借り契約を認める趣旨の自認書を手書きで作成した。
■ 弁明書の提出
ところが、Aさんは後日、弁明書を提出し、態度を一転させた。弁明書には「Bさんが保険加入を自ら承諾して契約書に署名捺印をしたものであり、私からBさんに名義を貸してほしい旨の依頼をしたことはない」「Cさんに係る契約について、代筆等は認めるが、いずれも契約自体が成立していないので、コンプライアンス上、問題になる事案ではない」などの記載があった。
■ 懲戒解雇
その後、会社はAさんを懲戒解雇とし、さらに退職金全額を不支給とした。
この処分に不服のAさんは、懲戒解雇が無効であることと退職金約999万円の支払いなどを求めて提訴した。

裁判所の判断

結論は、「懲戒解雇はOK」だが「退職金全額不支給は違法。3割の約299万円は支払え」というものだ。
■ 懲戒解雇はOK
裁判所は下記の理由などを述べて「懲戒解雇はOK」と判断した。
  • 保険会社への社会的な信頼を毀損することにつながる
  • 名義借り契約は、悪質性の高い行為であることから、保険会社から監督官庁に対する届出が必要とされている
  • 名義借り契約は社会的にも厳しい評価がなされている
  • 本件は、営業成績を偽ることを目的としており相当に悪質
  • Aさんは事実関係を否定する弁明書を提出しており、まったく反省の態度を示していない...etc
■ 退職金3割(約299万円)は払え
懲戒解雇はOKとなったが、裁判所は退職金については、Aさんの不適切行為を軽視することはできないとしながらも、下記の理由を述べて「全額不支給は違法、3割は払え」と命じた。

  • 本件懲戒解雇以外に会社から懲戒処分を受けたことはなかった
  • 名義借り契約は1件だけだった
■ 説明
懲戒解雇=退職金ゼロ【となるわけではない】。裁判所は下記のとおり述べている。
「退職金には、賃金の後払い的性格があり、労働者の退職後の生活を保障する役割を果たすものであるから、労働者に対し、退職金を不支給とするためには、単に退職金不支給条項に該当する事実が存するのみでは足りず、労働者にそれまでの勤続の功を抹消又は減殺するほどの著しい背信行為があったことを要する」
裁判所は上記基準に照らし、Aさんの行為は「それまでの勤続の功をすべて抹消するほどの著しい背信行為があったとまではいうことはできない」と判断した。今回、なぜ3割支給としたかについては、判決文からは明らかではない。裁判官のサジ加減である。

最後に

懲戒解雇となれば会社は退職金ゼロの処分を下すことが多いが、裁判所では個別の事情を検討するため、必ずしも懲戒解雇=退職金ゼロ【となるわけではない】ことは押さえていただきたい。


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