近年、「大麻」や「麻薬」など違法薬物が若年層を中心に広がっており、厚生労働省のデータによると、2024年の薬物事犯全体の検挙人員は1万4040人と、前年(1万3815人)を上回る結果となった。
こうした薬物犯罪を専門に捜査する機関の一つに厚労省の麻薬取締部が存在する。

高濱良次(たかはま・よしつぐ)氏は1972年から2008年までの36年間、麻薬取締官、通称「マトリ」として現場一筋で薬物犯罪の捜査に当たり、現在はコメンテーターとして活動。複数の書籍も刊行している。
本連載では高濱氏が実際に経験した「薬物犯罪」や「マトリ」の内情を紹介。第1回は1947年生まれの高濱氏が30代後半に経験した、当時の大阪市西成区の状況と、ある“苦い思い出”について取り上げる。
※ この記事は高濱良次氏の書籍『マトリの独り言』(文芸社)より一部抜粋・構成。

警察官と売人がイタチごっこ

西成署の通りは、その通りの入り口から西成署近くまで、数十メートル間隔で密売人が立ち、そこにやって来る客に覚せい剤を売っていました。
仮に売人をその場で逮捕すれば、その周辺にたむろする他の売人は一斉に逃げ出しますが、その後時を置かずして売人たちはまたその場所に戻って来て、商売を再開するという始末であります。
逮捕された売人も、その後釜がすぐその場で商売を再開するという具合で、警察官と売人とのイタチごっこが繰り返されておりました。
飛田本通りは、乗用車2台位の道幅で、南北に約400メートルの長さがあります。その中間辺りに、JR天王寺駅と南海電鉄天下茶屋駅とを結ぶ天王寺支線が斜めに交差しておりましたが、1966年(昭和41年)、JRの環状線と南海電鉄との交差地点に新今宮駅が設置され、天王寺支線の利用客の激減に伴い、1993年(平成5年)には完全に廃止されました。
この支線は、西成区に入ると、天下茶屋駅まで立ち並ぶ民家や商店などの建物の間を縫うように走っておりました。

パチンコ屋の景品を配り情報収集

この飛田本通りの入り口には、パチンコ店が一軒あり、それを南下し通りが切れる辺りにも「ニュー大阪」というパチンコ店、その斜め前辺りにももう一軒別のパチンコ店があり、この三軒の店は、覚せい剤の売人や中毒者などのたまり場になっており、一軒ずつ覗きながら、情報提供者や過去に逮捕した薬物関係者がいないかチェックし、いれば外に呼び出して、近くの喫茶店や飲み屋に連れて行き、薬物の密売情報を聞き出したりしていました。
その時都合の悪い情報提供者がいれば、翌日事務所に連絡させるようにしていました。その通りは、夜の7時頃には飲食店を除いて殆どの店が閉まり閑散となりますが、それを利用してその軒先には売春を斡旋するポン(客)引きの女性が、数十メートル間隔で立つ光景が毎日のように見られました。

彼女らはそこを通る男たちに、「若い子がいるが、遊ばない?」と誰彼なしに声を掛けていました。私も、声を掛けられた1人でありました。このようなポン引きの紹介する女と遊べば、性病などの病気をもらうのが関の山であります。しまいには、「兄チャン、3000円にしとくから、どうや?」などと声を掛けてくる始末で、ホトホト困り果てた思いがあります。
私は飛田本通り入り口にあるパチンコ店に情報収集のために通い続けていましたが、負け込んでいる私を見て、親しくなったそこの店員が内緒で裏側から機械を操作して私のパチンコ台に玉を出してくれるようになりました。
そのおかげで2カートン程のタバコを手に入れることができ、それをその通りに佇(たたず)むポン引き連中に3箱ずつタダで配り、その場で少し立ち話をしていました。
そうこうするうちに、私の素性を知ったポン引きの何人かが、その近辺の覚せい剤に関する情報を提供してくれるようになり、事実その情報に基づき何人もの売人や中毒者を逮捕しております。
当時は今と違い、パチンコは電動式ではなく、左の手のひらにパチンコ玉を載せ、1個ずつ左の親指で穴に入れながら右手の指でレバーの強さを調節しながらはじき、パチンコ台の穴にうまく入れるという方式になっておりました。

「いっぱしの極道並みの容貌」で取り締まり

この「ニュー大阪」というパチンコ店と言えば、それにまつわる苦い思い出があります。それは30代後半で、まさに脂が乗っている頃の出来事であります。当時の私は、対象エリアの暴力団を相手に取り締まりをしていた関係で、彼達と似た風貌になるように努めておりました。
その格好はと言えば、鼻の下に髭を蓄え、髪型は角刈り、時と場合にはサングラスをかけ、服装も彼達と似たような格好をして、いっぱしの極道並みの容貌そのものでありました。
休日、ある都市の繁華街を妻と2人で歩いていると、私の容貌や雰囲気から暴力団員と勘違いされ、人波が割れるという場面が何回もありました。
妻はそれを面白がり、友人などに笑い話として話していたのを今でもよく覚えております。

「こいつ、拳銃を持っているぞ!」

その苦い思い出話をお話しします。ある日の午後8時頃のことであります。私は、「ニュー大阪」のパチンコ店付近の路上に立ち、協力者やこれまでに逮捕した薬物関係者を見つけて情報を取るため、1人で彼らを探し求めて周りに目を凝らしていた時でありました。
その時の私の雰囲気や動作に異常を感じたのか、2名の制服警察官が近づいて来て職務質問(バン)をかけてきました。今の時代は、捜査活動中は2人1組で行動することは当たり前でありますが、当時は今と違い、自己責任のもと1人で情報収集を行っておりましたし、上司もそれを黙認しており、またそのようなことが許された時代でもありました。
本来ならその場で麻薬取締官の手帳をその警察官たちに提示して身分を明らかにすれば、何事もなく終わっていただろうと思いますが、場所が場所だけにそうもいかない雰囲気があり、「ヤバイ」と思う反面、その後の情報収集活動に支障をきたすと考え、何の言い訳もせずにその職務質問に応じておりました。
そこを通り過ぎる人々が、私と警察官とのやりとりに興味を示し、周りに集まり始めましたので、さすがに警察官もマズイと思ったのか近くの路地に私を誘導し、そこで私の衣服の上から身体検査を始めたのです。
警察官の1人が私の後ろポケット辺りをまさぐっていた時、何か不審を感じたのか、そこにつり下げていた手錠を触り「こいつ、拳銃を持っているぞ!」と声を荒らげて、傍にいた同僚警察官に伝えていました。
ここまで来れば、何の言い訳もせずにはいられないので、興味津々で見ていた周りの者達を無視し、その場で仕方なく手帳を提示して身分を明らかにするとともに、情報収集中であることを説明しました。それを聞いた2名の警察官の吃驚した意外な顔つきは、今でも心の奥底深くに残っております。


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