
近年、ネット上では埼玉県の川口市や蕨(わらび)市における「クルド人問題」がたびたび話題になり、報道も多く行われるようになってきた。
本記事では、『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)や『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』(角川文庫)などの著書があるジャーナリスト・ノンフィクション作家の室橋裕和氏が、FCクルドの試合風景とともに「クルド人問題」の背景にある事情を紹介する。(本文:室橋裕和)
「ひまな時間をつくらないよう」練習は毎日
ある月曜日の夕方、よく晴れ渡った空の下。ピッチに大きな声が飛ぶ。「前に行き過ぎだ!もっと下がれ!」
「全員で行くな!」
「左サイド!」
日本語でけんめいにアドバイスを送っているのは、中高生の男の子たち。そしてサッカーボールを追って必死に走り回っているのは、小学生のイレブンだ。
彼らはみな、埼玉県南部の川口市・蕨市を拠点とするサッカーチーム、FCクルドの選手である。ほとんどが日本で生まれたか、小さいときに親に連れられて来日したため、むしろ日本語でのコミュニケーションのほうが自然だという子も多い。
この日は同じ地域の日本人の小学生チームと練習試合が行われていた。FCクルドには小学校低学年から10代後半まで60人ほどが在籍しているが、今日は対戦相手と同世代の10歳前後の子供たちが「主役」として試合に参加し、彼らいわく「お兄さんチーム」は応援や指示、それに審判役を買って出ている。
プレイひとつひとつに、選手やお兄さんたちから大きな声が上がる。やはり応援に来ているクルド人のお母さんたちからも、トルコ語やクルド語で声援が沸く。
一方、日本チームは冷静だ。
先制点が入ったとたん、クルドの観客たちからため息が漏れるが「ダイジョブダイジョブ!これからこれから!」と日本語で声を張り上げるお母さんもいる。その溌溂(はつらつ)さに惹かれて話しかけてみた。
「毎日来てますよ。学校が終わる時間に子供を迎えに行って、クルマでここまで送って、終わったら一緒に帰って」
同じようなお母さんたちが何人もいるそうだ。放課後、毎日欠かさず行われる練習に我が子を送り迎えし、走り回る姿を見守る。「子供たちがひまにならないように。ひまになって悪いほうに向かわないように」という気持ちから、なのだという。
お母さんたちも毎日送り迎えがたいへんだが、子供が非行に走らずサッカーに夢中になってくれて嬉しいという(撮影:室橋裕和)
クルド問題が起きた理由とは
いま、ごく一部ではあるがクルド人によるトラブルが相次ぎ、大きな問題になっている。これらは悪意あるデマも交えてSNSで過大に拡散されているという面はあるが、改造車での暴走、ひったくり、病院での乱闘といった騒動を一部のクルド人が起こしてきたのは事実だ。そしてこうした犯罪行為のかなりの部分は、若い「2世」によるものだといわれる。なぜ子供たちは荒れるのか。
そこには、ほかの外国人にはない、クルド独特の理由がある。
クルド人はトルコ、シリア、イラク、イランにまたがって住む少数民族だ。このうちトルコ南東部に暮らすクルド人が、日本にやってくるようになったのは1990年代のこと。マイノリティとして迫害を受けてきたトルコから、難民として逃れてきたのだ。
しかし日本は、難民を広く受け入れる政策を取ってはいない。とりわけクルド人の立場は難しい。日本とトルコは長年にわたる友好国だからだ。もし日本がクルド人を難民として受け入れたら、それはトルコ国内における人権侵害を日本政府がある種「認定」することにもなる。それは友好国のメンツをつぶすことにもつながりかねない。
さらにクルド人の場合、本当に苛烈な弾圧を受けてきた人もいれば、そうでもない人も混じり、温度差がある。加えて、経済的な理由から日本で働くための方便として、難民だと申し出てくる人もいる(就労目的で難民を装うのはクルド人だけではなく、その多さが日本の難民認定率の低さに影響しているという意見もある)。
いずれにせよ難民とは認められないのだが、申請された以上は難民かどうか出入国在留管理庁(入管)で審査をすることになる。その結果が出るまでの間は本来であれば入管施設内に留め置きとなるのだが、結論が出るまでに数か月から数年かかることもあり、その間ずっと収容しているのは人道上よろしくないということで、一般社会に「仮」に「放免」される。
これは日本人でいえば「住民票がない」状態にあたるだろうか。書類上は「この国に住んでいない」わけだから、住民サービスの埒外に置かれる。たとえば健康保険をはじめとする社会保険は適用されない。就労はできない。進学にも支障がある。さらに仮放免の場合は、居住している自治体から出ることは許されない。
クルド人の大部分は埼玉県の南部に住んでいるが、すぐ目の前の東京に行ったことが発覚すれば「放免」が取り消されて入管施設に収容されることもある。就労がバレても同様だ(なお仮放免を「不法滞在」と同一視する声もあるが、入管から仮ではあるが認められて日本で生活しているので、これは位置づけが異なる)。
「仮放免の子供も、仮放免」
日本に住み、働くための正式な許可証=在留資格がない。ここが、ほかの在日外国人との決定的な違いなのである。そして申請の結果、難民として認定されないという結果になっても、また申請し直して、また仮放免になる。そうやって何年も、十数年も暮らしている人もいる。
それでも中には、日本人と結婚するなどして正規の在留資格を得る人も出てくる。この人たちはおもに日本人の働き手が少ない解体の仕事をして糊口(ここう)をしのぎ、やがて自分の会社を立ち上げるようになる。トルコ・クルド料理のレストランや食材の輸入、小売りを手がける人も現れる。
また、難民としては認められないが「特定活動」という在留資格を得られるケースも昨今では増えてきていて、こちらは就労ができるし住民サービスも受けられる。ただし在留期間は基本的に6か月のみ。期限が来たら入管に出向いて更新をしなくてはならないが、これまた認められずに収容や強制送還になる場合がある。
こういった不安定ながらも働ける立場のクルド人が、仮放免の人々をどうにかこうにか支えているという、きわめて脆弱(ぜいじゃく)なコミュニティなのだ。
そんな人間集団が親族を頼って1000人、2000人と増えるにつれ、地域にはいろいろな問題が出てくる。医者にかかれば10割負担の実費となるが、払えない人も多く、病院側が負担することになる。公立の病院の場合はそれが自治体の財政を圧迫することになる。
不法就労もまん延する。
そして最も大きな問題は「仮放免の子供も、仮放免」ということだ。
先輩が後輩に日本のマナーを教えるように

トルコ国内でもクルド人サポーターの多い「アメッドSFK」でゴールキーパーとして活躍していたメティン監督(撮影:室橋裕和)
練習試合は後半戦に入った。
本番さながらに子供たちはボールを追い、檄(げき)を飛ばす。トルコ語で鋭く指示を叫ぶのは、メティン・アルスランボーガン監督(51)だ。トルコのプロリーグで15年ほどプレイしてきた選手でもある。ポジションはゴールキーパーだった。
「手のリーチが人より長いからね。あと、走らなくていい」
なんてゴールキーパーを選んだ理由を冗談交じりに話してくれるが、彼はトルコでとりわけクルド人が多く住む街ディヤルバクルのチーム「アメッドSFK」に長く所属していたこともある。
そのキャリアと指導の的確さでもって、子供たちにはずいぶん慕われているようだ。2023年に来日したばかりで日本語はカタコトだが、トルコ語やクルド語でコミュニケーションを取る。選手のひとりがこんなことを教えてくれた。
「練習のときはビシッと来るけど、終わってからたまに監督の家でお茶とか飲むことがあるんです。
親たちからも信頼されているようで、「うちの子もメティンさんの言うことなら聞くし、毎日ちゃんと練習にも行くんです」と前出のお母さんは言う。
監督自身も2024年にFCクルドを結成した理由を、翻訳アプリを介して「子供たちを悪い習慣から遠ざけ、日本のルールを守らせるため。そしてクルドの子たちがどんな分野でも活躍できることを示したかったから」と話す。加えて「サッカーにはなにより規律が大切。クルド人はもっと規律を持たなくてはならない。でも、日本人にはありすぎかも」なんて笑う。
ともかくFCクルドができてから、子供たちにも変化が表れてきた。長年クルド人支援を続けている、ある日本人は言う。
「たとえば練習に入るときに『おはようございます』、終わったあとに『ありがとうございました』ってあいさつをすることとか、そこらにゴミを捨てるなとかちゃんと並べとか、そういうマナーを上の子が下の子に教えるようになったんです」
日本で生まれ育ち、むしろ親よりもしっかり日本の文化を身につけている子たちが、後輩にそれを伝えていく。FCクルドはそういう場でもあるようだ。
そして後半戦が始まって間もなく、ゴール前の混戦をFCクルドの選手が抜け出し、同点のゴールを決めた。まるで本当の試合のように観客の母親たちから歓声が上がる。
笑顔でハイタッチをする選手たちだが、その多くが仮放免だ。健康保険にも入れず、高校生になってもアルバイトはできず、進学先もきっと制限されるだろうし、卒業しても就職はできず、東京に遊びに行くこともできない。そもそも親とともにいつ入管に収容されるかわからない。そんな鬱屈(うっくつ)や不安を、サッカーがいっときでも忘れさせてくれる。
仮放免という立場ゆえに自暴自棄になり荒れて犯罪行為に走る子が出てきてしまったクルドの社会で、このチームはひとつの希望なのかもしれない。
埼玉スタジアム「旗事件」の真相とは
FCクルドが有名に「なってしまった」出来事があった。3月2日、埼玉スタジアムで行われた浦和レッズ対柏レイソル戦でのことだった。FCクルドの子供たちにとって、同じ埼玉の名門レッズは憧れのチームだ。その試合を見せてやりたいというメティン監督の計らいだったという。しかし大きなトラブルが起きてしまう。産経新聞の報道はこうだ。
《FCクルドのシャツを着た集団が観戦前に無許可で旗を掲げようとして、主催者から制止されトラブルになっていたことがわかった。集団は再三の要請を聞き入れず、激高して大声で『クルド人を差別するのか』『差別、差別』などと騒いだという》
しかし現場に居合わせた選手たちに聞くと、口々にいろんな話が返ってきた。
「FCクルドの旗と一緒に記念写真を撮りたかっただけ」
「入場のときの荷物検査で旗が見つかって、これは出さないでくださいねって注意された。でも観客席にいたスタッフにも聞いてみたら『写真1枚だけならいいですよ』と言われたんです」
「旗を出した瞬間にまわりのレッズサポーターたちに怒鳴られて、すごい勢いだったから子供たちが泣き出しました。そしたら一緒に来てたクルドの親たちが怒って言い返して」
結局、クルド人たちは退場することになるのだが、「出口にはすごく長い棒を持った警官がたくさんいて怖かった」と話す子もいた。
正確ないきさつはわからない。しかしホームサポーター席でホームチーム以外の旗を掲げることは、サポーター同士の衝突を避けるために制限しているスタジアムが多い。結局、メティン監督が後日レッズ側に謝罪することで落ち着いた。
「いまは悪い目で見られているけれど、そのうちFCクルドが成長して、強いチームだな、いいチームだなって思ってもらえるようにがんばろうって、監督が言ってました」
選手のひとりはそう呟いた。
試合相手の日本人はどう思っているのか
それから試合は一進一退の攻防が続いた。パス回しが的確な日本チームが常に試合を優勢に進め、FCクルドはときどきボールを奪ってカウンターを狙う。ボールの行方をめぐってもつれ、倒れた選手同士が握手をしてプレイに戻っていくシーンはプロでも子供たちでも一緒なんだな、と思ったりもした。そして長いホイッスルが鳴り、試合は1対1で終わった。互いに握手を交わす。息を切らせて帰ってきたFCクルドのある選手は「向こうのほうがずっと経験があるみたいで、強かった。でも楽しかった」と笑った。メティン監督は「うちはよく走ったけど、向こうのほうがうまかったね。もっと練習して、うちも強くなるよ」と話した。
対戦した日本チームのコーチにも話を聞いてみた。そもそも、なぜFCクルドと練習試合をすることになったのだろう。
「ときどき同じ練習場で顔を合わせてたんですよ。それでクルドさんのほうからお声がけいただいて。今日は同点でしたが、感情を出して、ボールに食らいついていくってところはクルドさんの選手のほうがより持っていますね。対外試合ってあまりないので、うちの子供たちも楽しかったみたいです」
旗の問題もあったし、世間ではクルド人に対する風当たりは偏見も含めて猛烈に強い。そんな中で練習とはいえ試合をすることに不安はなかったのだろうか。
「いろんなことがありましたが、事件と子供たちは関係ないですよね。同じ地域でサッカーをする仲間であって、抵抗は感じません。それにもともと、子供たち同士が学校が同じだったりして、ふだんから交流があるんです。この地域で生活していてトラブルはとくに聞かないし、子供たち同士でもそういうことはないと思います」
言われてみれば、試合が終わったあとにクルドの子と日本の子がなにやら楽しげに話している。きっと同じ学校なのだろう。日本の子たちが「向こうのキーパーとLINE交換したよ」なんて言い合って帰っていく。そしてFCクルドの選手たちは、最後にゴミ拾いをして、ある子は親の車で、ある子は自転車で、家路についていった。
■室橋 裕和(むろはし ひろかず)
ジャーナリスト、ノンフィクション作家。1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住し、現地誌で10年にわたり取材。帰国後はジャーナリストとして、「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマに活動。現在は新大久保在住で外国人コミュニティと交流しつつ取材を続ける。著書に『カレー移民の謎』『ルポ新大久保』『エスニック国道354号線』『バンコクドリーム』など。