
祖国での迫害から逃れ、10年以上にわたる交際の末に結婚
本訴訟の原告は、スリランカ国籍の男性・ナヴィーンさんと、その妻で日本国籍のなおみさん。母国で父親と政治活動をしていたナヴィーンさんは、2004年、対立政党の関係者から暴行されて大ケガを負い、殺害予告も受けた。
しかし、仲介業者に渡した授業料の半分が着服されて支払われていなかったことが原因で、2005年から学校に通えなくなってしまう。12月に留学の在留資格を継続できずオーバーステイの状態になったが、迫害の恐れがあるためスリランカには帰国できなかったという。
その後、ナヴィーンさんはオーバーステイのまま日本に住み続ける。2013年2月、難民認定申請を行うが、翌月に不認定となり、退去強制令書が発付された。
また、ナヴィーンさんとなおみさんが出会ったのは2005年。当時シングルマザーだったなおみさんは「子育てが終わる10年後に結婚しよう」と、ナヴィーンさんと約束した。そして、子育てを優先しながらも交際を続けた末、2016年、2人は結婚した。
2017年、2回目の難民認定申請を行うが、2022年6月に不認定となる。同月、日本人(なおみさん)との結婚を理由に行っていた在留特別許可申請についても、不許可となった。
2022年11月、ナヴィーンさんを難民と認定しない処分の取り消し、ナヴィーンさんの難民認定の義務付け、在留特別許可を不許可とする処分の取り消し、在留特別許可の義務付け、退去強制令書発付処分の無効確認などを求めて、本訴訟を提起。
しかし2024年12月、東京地裁が請求を棄却したため、控訴するに至った。
「婚姻関係は違法状態の上に築かれたものであるため保護に値しない」
ナヴィーンさんの難民認定や在留資格について、東京高裁の判決は入国管理局や地裁の判断を追認するものだった。まず難民認定に関しては、ナヴィーンさんを暴行した対立政党の有力者が2022年に起訴されていることから、スリランカ政府は迫害を容認しておらずナヴィーンさんを効果的に保護する意思および能力を有しているため、入管法上の「難民」には該当しないと判断。
また、ナヴィーンさんが2008年頃には難民認定申請制度の存在を知っていたにもかかわらず、実際に申請を行ったのは数年経過した後であったことから、迫害を逃れるために亡命する目的で日本に入国したというナヴィーンさんの主張は「信用性に乏しいものと言わざるを得ない」と判断した。
在留資格については、ナヴィーンさんがなおみさんの母親や息子とも同居し「安定かつ成熟した婚姻関係を築いている」と認めながらも、その関係は「不法残留という違法状態の上に築かれたもの」であるため保護に値しないとして、在留特別許可を与えないことは入管の裁量権の範囲内であったと判断している。
原告代理人の浦城知子弁護士は、判決後に開いた記者会見で「判決について不満に思っている」と語った。
迫害の恐れについて、有力者が起訴されたからといってスリランカ政府による取り締まりが今後も続くとは限らない、と浦城弁護士は指摘。
また難民申請が遅れたことについても「難民として逃れてきた人が、すぐに制度について知れるわけではない。(知った後も)安定して日本に落ち着けるようになってから難民申請をしよう、と考えるのはおかしなことではない」と訴える。
さらに「オーバーステイ状態の一事をもって『在留特別許可をしなくても構わない』と判断するのは、結婚や夫婦関係・家族関係の価値をあまりに低く見ている」と指摘した。
実子がいないために…「運」に左右される入管行政
入管が公表している「在留特別許可に係るガイドライン」では、「家族関係は、在留特別許可をするかどうかの判断において、重要な要素となり得るもの」として、在留を希望する外国人が日本人(または特別永住者)と法的に婚姻していることは考慮すべき積極要素と定めている。ただし、最も重視されるのは「家族とともに生活をするという子の利益」。一方、ナヴィーンさんとなおみさんの間には血のつながった子がいない。ナヴィーンさんらは入管側から「実子がいないと厳しいんだよね」などと言われたことがあるという。
会見でなおみさんは「実子がいるということが(外国人が在留特別許可を得るための)事実上の要件になっている」と指摘しつつ「以前は、実子がいなくても在留特別許可をたくさん出していたと聞いている。
「時期によって許可を出したり出さなかったりするのは、『運』の良しあしに左右される政策だということ。私たちの人生が、本当に軽く思われている」(なおみさん)
実際、例えば2000年代前半には非正規滞在者の数を半減することを目標にしていた入管が在留特別許可を多く出していたなど(合法化すれば非正規滞在でなくなるため)、在留資格に関する入管の方針は時期によって変わる面があるとの指摘が行われている(平野雄吾著『ルポ 入管――絶望の外国人収容施設』参照)。
また、5月23日に「国民の安全・安心のための不法滞在者ゼロプラン」を発表して以降、入管は強制送還を強化していることが識者から指摘されている。8月26日には、妻子のいるクルド人男性や、未成年3名を含むクルド人一家が強制送還されたケースが報道された。
浦城弁護士も「結婚関係や家族など、世の中で大事とされていることよりも、入管法のルールやゼロプランが先に立ってしまっている。世間一般の価値と、入管や裁判所での価値が一致していないのでは」と語る。
さらに、家族と共に安心して暮らしたいという思いを裁判所が無視することは、外国人だけでなく日本人にも影響を及ぼす問題である、と指摘。
また、原告側は一審・控訴審ともに、国際的な人権規約の一つである「自由権規約」(「市民的および政治的権利に関する国際規約」)に関する主張を行った。しかし一審の判決では全く触れられず、控訴審でも形式的な扱いしかされなかった、と浦城弁護士は語る。
「(1978年の)マクリーン事件最高裁判決(※)の影響もあり、憲法や国際人権規約よりも入管法を優先するという先例が積み重なってしまっている。しかし、裁判所には人権規約をもっと読み込んで、法律的な基本に立ち返って判断してほしい」(浦城弁護士)
※「外国人の入国および在留の許否については、国家の自由な裁量により決定することができる」「憲法上の基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、在留外国人にも等しく及ぶが、入管法上の在留制度の枠内で与えられているにすぎない」などと判示した(最高裁昭和53(1978)年10月4日判決)。
「生きているのかも死んでいるのかもわからないような状態」
BBCの報道によると、今年2月、スリランカでは反社会組織のリーダーが裁判所内で弁護士に変装した銃撃犯に射殺される事件が起こった。ナヴィーンさんはこの事件に言及しながら、スリランカの治安の悪さを強調し、「安心・安全と判断するのは間違っている」と訴える。「国に帰ることができるのなら、私だって一度は国に戻って母と会いたい。しかし、自分の命の危険を考えると、帰ることはできない」(ナヴィーンさん)
またなおみさんとの結婚について「10年待ったのは、なおみさんのことを愛していたからだ。在留資格が目的なら、すぐに結婚していた。裁判所にも入管にも、そのことをわかってほしい」と語る。
「愛には、言葉や肌の色、宗教や国の問題は関係ない。私たちは同じ人間だ。同じ人間として愛しているから、結婚した。
学費がなくなった時に入管にも相談したが、『専門家に相談して』と言われたきりだった。法律のことを前に出して人を苦しめようとするのではなく、法律を守るための道を案内してほしい」(ナヴィーンさん)
また、ナヴィーンさんは前述の「不法滞在者ゼロプラン」についても言及。パニック障害を持ち乗り物に乗ることも困難なネパール人男性が強制送還されそうになっている、現在進行中の事例を挙げながら、いま感じている恐怖を語った。
「入管が強制送還を強行するというのは『自分たちが決めたことなら、相手がどうなってもどうでもいい』ということ。私たちのような外国人は、生きているのかも死んでいるのかもわからないような状態で、いまを生きている」(ナヴィーンさん)
なおみさんは判決について「落胆している」と表明しながらも、「私たちの生活・人生は判決が出た後にもずっと続く。諦めるわけにはいかない」と語る。
「私たちの結婚は役所の方にも認めてもらえた。なぜ、入管だけが、かたくなに拒否するのか。個人の事情をきちんと聴いたうえで、判断してほしい」(なおみさん)
なお、本訴訟は、原告の境遇が作家の中島京子氏による小説『やさしい猫』(中央公論新社)の主人公らと類似していることから「やさしい猫裁判」と呼ばれている。
判決後には、法務省や東京高裁の前で抗議のスタンディングが行われた。
法務省前で行われた抗議活動(提供:がんばれないけどあきらめない連合)
最高裁への上告が行われるかはまだ未定だが、会見後、浦城弁護士は原告らと「まだ諦めない」と話した、とのことだ。