多数の証拠、その中には犯行現場を特定する重要なものもあった。
ほどなく解決する。
当時、そう思われた事件は結局、延べ6万人の捜査員投入、6000人以上の事情聴取もむなしく、犯行から15年たった2007年に公訴時効を迎えた。
33年前に起きた「金沢市女性スイミングコーチ絞殺事件」。無念の中で迷宮入りしたこの事件は、2022年に映画化もされ、当時捜査にあたった1人が本人役で出演したことで話題になった。
なぜ、“目前”とみられた解決は一転、未解決という無念の結末を迎えてしまったのか…。
※この記事は、『読んで震えろ!世界の未解決事件ミステリー』(鉄人社、2024年)より一部抜粋・構成しています。

事件発生時の状況

1992年10月1日午前0時50分ごろ、石川県金沢市三十苅町の「金沢スイミングクラブ」の駐車場に停められた車の助手席から、同クラブのコーチをしていた安實千穂さん(当時20歳)の絞殺体が発見された。
千穂さん所有の車は駐車スペースを区切る白い線を跨ぐ形で停められており、車のエンジンは切れていたがキーは差し込まれたまま。千穂さんが着ていたデニムのオーバーオールが泥だらけの状態だったことから、殺害前に野外で引きずり回された可能性がうかがえた。
また、オーバーオールと下着は刃物で切り裂かれていたものの、乱暴された痕跡はなかった。

被害者の事件前後の足取り

千穂さんは事件前日の9月30日、普段どおり職場で勤務し、18時45分に退社。だが、19時20分ごろ、彼女の運転する車が自宅とは逆方向に走っていくのを同僚が見ている。
その後、22時になっても千穂さんが帰ってこないのを心配した家族が探し、駐車場で千穂さんの遺体を発見するに至った。
死亡推定時刻は同日20時ごろとみられ、千穂さんの車は隣の駐車枠を使用していたスイミングスクールの同僚が21時ごろに帰宅する際、すでに停まっていたのを目撃しているそうだ。
警察の捜査により、死因は細いひもで首を絞められたことによる窒息死と判明。
ひもの跡はあごにもあり、皮下出血を起こしていた。このことから犯人は最初、ひもがあごに引っかかって失敗し、首を絞め直したものと思われた。
さらに、千穂さんの髪の毛に“生きた化石”とも呼ばれるメタセコイアの葉が絡まっていたことが判明している。メタセコイアは、国内では自生せず、金沢市周辺では教育関連の施設でしか見られない。

決定的な証拠「メタセコイアの葉」

そこで、警察は遺体発見場所から約7キロ離れた白山市矢頃島町の県農業総合研究センターを捜索。同センターの敷地内で千穂さんの履いていた片方の靴と彼女の頭髪、男性の頭髪、ジュース缶、ナイロンシート、布きれ、ティッシュペーパーなどを発見した。
このことから、犯人は20時ごろにこの場所で彼女を殺害、遺体を助手席に乗せたままスイミングスクールの駐車場まで運転したものと推察された。
事件は早々に解決するものと思われた。ところが、これまで延べ6万人の捜査員を投入したものの、犯人特定には至っていない。

十分な証拠もなぜ、解決に至らなかったのか…

元石川県警の特捜刑事で、定年退職後に事件捜査を振り返った著書『千穂ちゃんごめん!』を出版し、2022年には事件を描いた映画『とら男』に本人役で出演した西村虎男氏(1950年生)によれば、殺害後、千穂さんの車で遺体を駐車場に戻していることなどから、犯人は被害者と面識のある人物の可能性が高く、警察もこれまで6000人以上から事情を聞いたものの、その過程でミスを犯したのだという。
西村氏は発生直後に本事件を担当した後、いったん捜査を離れ10年後に復帰したのだが、改めて捜査し、犯人が遺体を殺害現場から駐車場に移動させたのは、自身の住まいもその付近にあるなど自分が戻る必要があったことに加え、千穂さんの車を同僚に発見してほしかったからではないか。
つまり、犯人は千穂さんの同僚がいつも21時ごろに車で帰宅することを知っている人物で、わざと不自然な形で車を停めることで早く遺体を発見させ、その時間は自分は別の場所にいたとアリバイを作りたかったのではないかと推理する(同僚は千穂さんの車の中を確認していない)。

実況見分調書に書かれた誤情報

さらに西村氏は、犯行は千穂さんのオーバーオールの肩吊りひもが使われたものと推定。それが証拠に、解剖鑑定書には、被害者の首にオーバーオールの金具の幅と寸分違わぬ4センチの痕跡が残されていたと記載されていたにもかかわらず、当時の鑑識課員が作成した実況見分調書には0.5センチ短い3.5センチと誤った情報が書かれていたらしい。

また、オーバーオールが切り裂かれていたのは、変質者による犯行に見せかけるための偽装工作だという。実は、千穂さんの顔見知りで捜査線上に浮かんだ1人の男がいるそうだ。
ところが警察は、千穂さんの車を21時には停車させ、その時間には別の場所にいた男の稚拙なアリバイ工作を見抜けず、早い段階で容疑者から外したのだという。
西村氏は改めてその男の再捜査を進めたが、犯人と特定するまでの証拠は得られず、2007年9月30日、公訴時効が成立した。


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