
クマによる死傷事案など、増え続ける野生動物による人身被害や農林業被害が深刻化している。そうした中で、現実的に危険が差し迫った状況での迅速な対応が求められているのだ。
緊急時のフロー(環境省「緊急猟銃ガイドライン」より)
従来の「鳥獣保護管理法」では、住宅密集地での猟銃の発砲は原則的に禁止されていたが、緊急銃猟では市町村長が主体となることで実施できるようになる。地域の事情に精通した市町村職員や外部の「捕獲者」に委託して行われ、警察官職務執行法に基づくこれまでの猟銃使用に比べ、よりスピーディーな対応が期待されている。
公表されたガイドラインはそうした対応を推進するうえで実効性があるといえるのか。そもそも、すぐに実行できる体制は整備されているのか。
野生動物管理に詳しい、岐阜大学応用生物科学部教授の鈴木正嗣氏に内容を検証してもらった。
評価できる5つのポイント
鈴木氏はまず、評価できる主要な点として、以下の5つを挙げた。- 「捕獲者」という用語の使用
- 安全確保のための手順の明文化
- 損失補償の規定
- 人材育成の必要性の言及
- 財政的支援の提示
趣味として鳥獣の捕獲を行う者をイメージさせる『ハンター』や『狩猟者』と、公的な目的を持つ捕獲に従事する者とを区別するためです。これは、危険を伴う捕獲作業を私人である『ハンター』や『狩猟者』の善意に依存している現状に対する環境省の問題認識の表れです。
そのうえで、住民の避難、通行制限範囲の設定、捕獲関係者の配置、必要な装備など、詳細な安全確保措置を規定。これにより、事故リスクを最小限に抑え、透明性の高い運用を目指しています。
緊急銃猟により発生した物損に対し、市町村が損失を補償することも明記されました。これは、捕獲者が安心して活動できる環境を整備するうえで非常に重要であり、市町村には保険への加入も推奨されました。
さらに、緊急銃猟にかかる費用(日当、備品購入、保険料、訓練費用など)に対し、国が『指定管理鳥獣対策事業交付金(クマ総合対策事業)』等を活用できることを明示し、市町村の負担軽減を図っており、実効性を高めるうえで評価できます」
ガイドラインにみえる課題とは
一方で鈴木氏は、依然として、いくつかの課題が残されていると指摘する。「本文中では避けられた『ハンター』という用語が、概要版では使われていました。それに引っ張られ、ガイドラインに関する報道の多くが『ハンター』という従来型の言葉を用いてしまい、『趣味の狩猟と公的な捕獲とを区別する必要がある』という環境省の問題意識が、残念ながら十分に社会に伝わりませんでした。
このままでは、『緊急銃猟が市民の人身被害を防ぐ目的で行われる一方で、同じ一般市民であるハンター/狩猟者が捕獲作業を担わざるを得ない』という現在の不整合が温存されてしまうかもしれません。ヒグマによる人身事故の約4割は、捕獲作業の際にヒグマに逆襲された『ハンター/狩猟者』です。この事実を忘れてはなりません。
また、緊急銃猟の際に発生した人身事故については、『国家賠償法に基づく国家賠償請求を想定』との記述にほぼとどまる点も気がかりです。
万一の人身事故が発生した場合、発砲した者が何らかの責任を問われる可能性が残るため、北海道猟友会は各支部に対し『銃猟の受託者は、たとえ市町村長が安全であるとして設定したエリアであっても、バックストップの状況、水平撃ちの恐れ、跳弾の判断、ヒグマの移動、ヒグマの反撃などを自分で確認し、銃猟の実施に疑念を生じた場合は、狩猟者の判断で銃猟を中断、又は中止現場で状況に応じて発砲を断って良い』と通知しました」
このような状況を踏まえ鈴木氏は、ガイドラインにある「人の日常生活圏に出没したクマ等の対応は人の生命・身体に関わる公共の安全に必要な行為であり、本来ならば公的な存在により対応されるような性質を有する」との記述や、「クマの出没対応に従事する、生態や銃猟等に関する専門的知見と高度の捕獲技術を有する捕獲者・事業者に関する情報」の収集と自治体との共有に関わる「クマ人材データバンク」(下図参照)の立ち上げに注目している。
クマ人材データバンクの概要(環境省ウェブサイトより)
「ここでいう『公的な存在』の具体像の明確化は、喫緊の課題です。どのような組織なのか、どのような人材によって運営されるか等の明確化です。
アメリカ合衆国の一部で見られる『環境保全警察』のような専門組織の設立も一つの案ですが、日本の財政状況を考えると、すぐというわけにはいかないかもしれません。
また、近年のクマ類が関わる人身事故や市街地出没の多発の根底には、生息数の増加や分布域の拡大があります。
しばしば語られるどんぐりの凶作などによる餌不足は短期的な要因に過ぎません。むしろ生息環境は好転しており、メガソーラー建設も、それ自体がはらむ諸問題の精査は欠かせないものの、昨今のクマ事案多発との直接的な関係性は薄いと考えられています。
したがって、中・長期的観点からすれば、市街地出没個体のみならず、その発生源である個体群全体に捕獲圧をかけ生息数の減少を目指す『個体群管理』が欠かせないのです。
野生動物研究に関わる学術団体である日本哺乳類学会も、環境省に向け発出した意見書において『個体群管理』について言及し、それを適切に運用するための体制整備や人材の育成・配置の必要性を訴えています。
緊急銃猟ガイドラインに記された『公的な存在』や『クマ人材データバンク』は、この意見書で必要性が指摘されている体制・人材の整備や拡充等と密接に関わるのです」
クマ類の繁殖力と生息数の増加も念頭におき、体制整備と人材の育成・配置が必要
長らく「クマは繁殖力が弱い」「増えにくい動物」とされてきたが、日本哺乳類学会の意見書などでも言及されているとおり、一部地域を除き分布は拡大傾向にあり生息数も増加している。兵庫県のデータでは、ツキノワグマは年によっては、一般に繁殖力が強いとされるシカに近い増加力を持ち、年平均16.0%の推定増加率を示す地域もある。これは条件さえ整えば約5年で生息数が倍増し得ることを示唆している。
全道のヒグマ個体数動向推定結果(北海道庁ホームページより)
北海道庁によれば、ヒグマの推定生息数も1990年度から2023年末まで中央値で約2.3倍に増加し、分布域も過去40年間で約1.5倍に拡大している。
「これらのデータを見れば、近年の市街地出没や人身事故の急増の背景には、分布拡大と生息数増加があると考えるのが妥当でしょう。日本のクマ類が、コントロール不能に陥るほどの『増えすぎのフェーズ』に入っている可能性を指摘する研究者もいます。
この背景を踏まえれば、今回の緊急銃猟ガイドラインは、いくつかの課題は残るものの、環境省自身が体制整備や、人材の育成・確保の必要性と方向性を明示したという点で、今後の日本における包括的なクマ類管理の貴重な一里塚になるかもしれません。
緊急銃猟ガイドラインは、現状では市街地に出没したり人身事故を起こしたりした個体、いわば問題個体の『駆除』に主眼がおかれています。
しかし同時に、問題個体の捕獲に限定されない『個体群管理』の適切で効果的な運用にもつながる重要な論点が含まれているためです」(鈴木教授)
世間では捕獲推進の主張が大きくなっている。クマ類の分布拡大と生息数増加を踏まえれば、この考えはもはや否定できないといえる。
しかし、誰が、どのような組織体制のもとで、いかなる社会的バックアップを受けつつ捕獲に従事するかの議論も深めなければ、絵に描いた餅に終わるのは明らかだ。
「ハンター/狩猟者を増やすべき」という論調も、それだけにとどまれば「私人への依存」は改善されず、捕獲従事者に負傷などのリスクを押し付けることになりかねない。
クマ問題にどう向き合うのか。解決へ向けては、思い切ったアクションが不可欠なフェーズにあるといえる。いまこそ転換点に差し掛かっていると、国全体で強く認識する必要がありそうだ。