2021年に、芸能従事者が労災保険の「特別加入対象」(※1)となって以降、制度の“すき間”に取り残されてきた、副業・兼業などを補償の対象とする、新しい業種横断型の「特定フリーランス事業」(※2)の特別加入団体を設立したと発表した。
※1:雇用関係にない個人事業主やフリーランスでも労災保険に加入できる仕組み。労働者以外でも、その業務の実情、災害の発生状況などからみて、特に労働者に準じて保護することが適当であると認められる一定の人が対象。
※2:2024年11月のフリーランス保護法施行に伴い新設された業種区分。2024年11月から新たに労災保険の特別加入対象となった業務区分。これまで一部業種(建設業の一人親方など)に限られていた特別加入制度が、業種を問わず企業等から業務委託を受けるフリーランス全般に拡大された。
新しい団体の名称は「フリーランス安心ネット労災保険」。「全国芸能従事者労災保険センター」に加入する多くの芸能従事者は、バレエやダンス、ピアノ等の楽器の講師や指導者に兼業・副業として携わっているといい、そうしたフリーランスとしての仕事が対象となるほか、2021年の特別加入対象から外れた美術家やジャーナリスト等も加入可能だ。
「セーフティーネットが非常に手薄であった」
この日、会見に出席した映画監督で、同団体副理事長の深田晃司氏は「芸術の世界では、急に皆がプロになるわけではない」としつつ、次のように述べた。「講師などの形で芸術分野を下支えし、下積みを経験する人たちがいて、そうした下地から文化芸術の多様性は生まれてくるものです。
そうであるにもかかわらず、その豊かさを支えている人たちへのセーフティーネットが非常に手薄であったことには問題があったと思います。
映画の場合は総合芸術という言われ方をし、実際に彫刻家など、さまざまな芸術家が携わります。
私の最新作2作では、日本芸能従事者協会で取り組んでいるさまざまなセーフティーネットをスタッフ・キャストにも適用する形をとりました。
一般的な会社員であれば当然に受けることのできる、メンタルケアや健康相談などのサポートが過去には受けられなかったという状況は、改めて異常だったのかもしれないと思いましたし、今後、副業・兼業の人々への取り組みを広げていければと考えています」
「芸能の世界は重層構造かつ複雑怪奇」
「フリーランス安心ネット労災保険」では、現場に即した労災保険の活用と安全対策を講じることで「包括的なセーフティーネットを築く」としており、重点施策として以下の5つを掲げた。①地域別全国対応
地域ごとに「ブロック長」を配置するとともに、各都道府県にも担当者を置く体制の整備
②契約事情に応じた支援
契約形態が複雑なケースにも柔軟に対応
③伝統的慣習への配慮と危機意識の育成
徒弟制度などの慣習から、労災保険が馴染(なじ)みにくい場合にも、労災保険と安全対策を適切に活用できるよう指導を実施
④保健・災害防止活動の普及
個人事業者に適した保健活動と災害防止措置(産業医の設置、ストレスチェック、健康診断など)の普及
⑤安全認識向上
フリーランス全体の安全衛生や労災に対する理解と制度活用への意識を高める
同団体の森崎めぐみ理事長は「これまで日本芸能従事者協会で運営してきた『全国芸能従事者労災保険センター』の労災保険に加入している人の、おそらく8割から9割が兼業・副業で収入を得ているのではないか」と説明。
「われわれが実施した、芸能従事者を対象とした労災と安全衛生に関するアンケート調査では、毎年健康診断を受けるという人が、35.5%にとどまっていることが判明しています。
日本芸能従事者協会がこれまで運営してきた全国芸能従事者労災保険センターでも、工夫をしながら、こうした健康・安全対策やハラスメント防止などに定期的に取り組んで来ましたが、これらの活動を新しい団体の加入者にも広げていく予定です。
また、芸能の世界は重層構造かつ複雑怪奇です。現在ある他の保険団体では、たとえば社労士が中心となって運営しているところもあります。
ですが、労災が発生したときの状況を説明したり、徒弟制などさまざまな人間関係のなかで生じるハラスメントを、普通の会社や業界と同様に対応する、というのは非現実的ではないでしょうか」(森崎理事長)
「社会から労働として認知」
現代美術作家で多摩美術大学教授の笠原恵美子理事は「芸術家という屋号のまま、労災認定を受けられる組織が誕生し、本当にうれしく思う」と切実に語った。「自由な表現の裏で、芸術界では実は福利厚生の概念が無視されていたような労働環境が長く続いてきました。
私は美術表現家として活動してきて、これまで数多く、仕事のし過ぎで倒れたり怪我をしたりしてきました。もちろん、それは全部自己責任で対応するしかなかったのですが、そういった状況はすごく不安でした。
また、大学教授としてこれからの若いアーティストを見ている立場からは、学生の時は怪我をしても、学校の中でさまざまなサポートを受けられましたが、その後は途絶えてしまいます。
こうした状況が今回改善されることは、彼らの芸術活動が『社会から労働として認知されている』という意識にもつながるでしょうし、ますますこの保険の取り組みが発展していけば、と期待しています」(笠原理事)
「わが国の芸能分野の発展に寄与」
また、「フリーランス安心ネット労災保険」の設立に併せて、同団体の顧問で、専修大学法学部の芦野訓和(あしの・のりかず)教授も文書にてコメントを寄せ、次のように太鼓判を押した。「日本芸能従事者協会がこれまで対象としてきた芸能従事者の中には、フリーランスとして兼業、副業を行っている人々も少なくない。
そのような人々の働き方を保険がカバーするということは、働く人々を保護するだけではなく、わが国の芸能分野の発展に寄与するだろう。
さらには、これまで日本芸能従事者協会は、安全衛生などに関しさまざまな取り組みを行ってきたが、その取り組みがフリーランス全体に広がっていくことが期待できる」