
ド・グレーフは、第一次世界大戦を経て、精神科医としてのキャリアを歩んだ後、刑務所や大学に活動拠点を移動。第二次世界大戦中も、ナチス・ドイツ占領下のベルギーにて、犯罪学を研究し、講義は人気を博していたという。
明治学院大学准教授の梅澤礼氏はド・グレーフの思想について「国外では戦争が終わらず、国内では憎悪犯罪がなくならない、現代社会の理解にも役立つ」と指摘。本連載では、言語の壁などから、これまで日本国内ではあまり注目されてこなかった彼の研究を紹介する。
1935年に「殺人犯の心理」と題する論文を発表したド・グレーフは、人は未熟であればあるほど、恋愛において暴力的になりやすく、相手を傷つけてしまうと指摘。
第3回では恋愛がらみの殺人犯が陥る、2つの結末について取り上げる。
※ この記事は梅澤礼氏の書籍『犯罪へ至る心理』(光文社新書)より一部抜粋・構成。
『犯罪へ至る心理』(梅澤礼、光文社新書)
なぜ、恋愛がらみの犯罪の多くが金銭問題から始まるのか?
一つの恋愛が終わるとき、そこにはまずリダクションプロセス(processus de réduction)が現れるといいます。réductionには、減少、還元、単純化といった意味があります。愛していた相手をもう愛せなくなったとき、それまで相手に抱いていた、まるで神や女神を崇めるかのような気持ちは失われます。相手の価値は「減少」してゆくのです。
それに反比例するかのように、いままで気にしてこなかったものの価値が再評価されるようになります。たとえば自分の評判や、自分のための時間や、見ないようにしてきた相手の欠点です。
多くの場合、再評価されるのは相手のために使ってきた金であるといいます。「男は失った女よりも、女のために使った金を惜しむ」とはよく言われる言葉ですが、ド・グレーフによれば、金を惜しむのは相手と自分の境目がはっきりしてきたからだといいます。恋愛がらみの犯罪の多くが金銭問題から始まるのはそのためです。
愛していたはずの相手が“詐欺師”に「還元」される瞬間
このとき、劣等感も大きな役割を果たします。自分の体や顔のどこかが嫌いだったり、まわりは気にしていなくても本人にとっては深刻な問題だったりすることはあります。そんな劣等感を持つ人間にとって失恋は、一般的な失恋の域を越えてしまうことがあります。それも相手から切り出されての失恋であった場合、本人は、捨てられたとか恥だと感じ、本人いわく真剣な交際であった場合には、契約違反がなされたとさえ思ってしまうのです。
数か月、時に数十年のあいだ、誰かに金と愛情をつぎこんできたとしましょう。それなのにある日、関係の解消を切り出されます。裏切られたと相手を責めることでしょう。
けれども相手は思い直してはくれません。このとき、相手を再評価して関係を続けようとする人もいるでしょう。自分自身を再評価して相手と縁を切る人もいるでしょう。
しかし、金銭的な苦境などから金を強く評価していたり、劣等感ゆえに怒りが収まらなかったりした場合、未来の犯人は返金を迫るか、使った金の対価を求めるといいます。
愛していたはずの相手は、もはやあらゆる魅力が「減少」した存在であるばかりか、最初から自分をだます気だった詐欺師に「還元」され、罰を与えなければならない存在に「単純化」されているのです。
要求は次第に脅しになり、警察を呼ぶ事態に発展することもあります。それでも当の本人は、司法や正義を口にするのです。
恋愛がらみの殺人犯の35%がまず自殺を考える
こうしたリダクション(減少、還元、単純化)の先には何が待っているのか。相手のことを愛せなくなっただけでなく、取られたものを取り返さなければならないというのは深刻な状況です。しかもその状況は、二つの結末に向かって、否応なしに引っぱられてゆくといいます。一つは自分を破壊する自殺、もう一つは自分を守る他殺です。
このうち最初に表面化してくるのは自己破壊願望のほうだといいます。ド・グレーフによると、恋愛がらみの殺人犯の35%がまず自殺を考えるといいます。ところがやがて、1人ではなく一緒に死のうとか、相手を殺した後で自分も死のうという考えに変わってゆくのです。
特に自殺願望は15日以上続くと、他殺願望に変わっていました。
この自殺と他殺という結末が、リダクションプロセスの後に用意されているのです。そこへと至る感情は、どれだけ非論理的・非道徳的なものであっても、正当化され、繰り返され、積み重なり、確固たるものになってゆきます。
そして本人が疲れ果て、すべてに無関心になったころ、事件は起こるのです。