
そして、裁判官たちがこれらの規制に逆らって訴訟を起こそうにも、最終的な判断を下すのは「上司」にあたる最高裁であるため、勝訴することは事実上不可能であり、言いなりにならざるを得ない状況があるという。
本記事では、裁判官を20年務め、現在は弁護士として活動する井上薫氏の著書『裁判官の正体 最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音』(2025年、中公新書)から、裁判官たちの生きる特殊な職場環境について書かれた内容を、一部抜粋・再構成して紹介する。
「行かない方がいい店」のリストを渡される
(裁判所に)着任早々、紙のリストを事務官からもらい「ここは行かない方がいい店です」と言われたことがありました。暴力団関係者かなんか知らないけど、そういう店なのかなと思いました。理由は書いてなかったです。ちょっとびっくりしましたね。リストには違和感がありましたが、無理に行くことはないので、そのリストにあった店に行ったことはありません。人によっては余計な規制だと反発を感じることがあるかもしれません。私はあまり気にしないで、そういうのだったらその範囲内で生きていこうと思いました。裁判官は消極的な人が多いというか、このようなリストに反発する人もいないのですかね。
家に帰ってからも判決ばかり書いている人だったら社会参加どころではないのかもしれません。どこへ転勤しても地元の祭りとか色々な行事がありますが、ほとんど関心もないという裁判官が結構いました。多くの裁判官は近所付き合いをしないようでした。
裁判官は連続して20日間夏休みがありました。なかなか日本では連続して20日休みが取れるという職業はありませんので、これはありがたかったと思います。海外旅行にも行きました。これは裁判官でよかったなと思う一瞬でしたね。
海外旅行先で話したヨーロッパ人はおおむね1か月を超えるバカンスでやってきたというのが相場で、日本との違いを感じました。ただこの20日というのも半分は判決を書いていた人も少なくないので、その辺は人によるだろうと思います。
また、ほぼその頃、実家に帰省するのが年中行事になってしまっていて、特に海外旅行とかすることもなく、ただ実家に行って帰ってきたというだけで終わったということを言う方も少なくなかったように思います。
海外旅行は許可が必要
裁判官が海外旅行に行くには司法行政の許可が必要です。私が任官した頃は最高裁長官の許可が要りました。終わりの頃は地裁所長の許可が必要でした。だから許可がないと日本国から出られなかったのですね。軟禁状態みたいなものです。この許可というのは自由に出るわけではなく、基本的には冬休み、夏休み、ゴールデンウィークのときだけという運用がありました。要するに、パッケージツアーの海外旅行の値段が高い時期だけなのです。そういう時期は外して安い料金の時に出たいと思っても難しいですね。
なぜそんな制約をしているのかわかりませんでした。もともと海外旅行はしないという人がこんな制約を作ったのでしょうか。なぜこんな制約をつけているのか今でも疑問です。そうはいっても許可制度なんておかしいといって司法行政と戦ったという話は聞きません。これが裁判所の現状です。
裁判官の娘がハワイで結婚式を挙げるから親として出席するといっても、冬休み、夏休み、ゴールデンウィーク以外のときであったためにダメと言われた人がいました。要するに一回でも許すとなし崩し的に制約が機能しなくなるということなのかなと思いました。そういうところは非常に強硬です。何しろ内輪のことですから、それで訴訟を起こす人はいません。
海外旅行のことになると世代の違いをよく感じました。私が若い頃、所長というと定年間近60歳過ぎの方ですが、皆さんあまり海外旅行に関心がないんですよね。はっきりと「僕は行きたいと思わない」とか言ってね。私が行きたいと言うと「君なんかおかしいんじゃないの」みたいな、そういう発想の所長もいました。
私より若い人は海外旅行は普通というか、行きたくて仕方ないけれどなかなか行けない現実に制約を強く感じている人もいました。合計すると、海外旅行に行きたいので裁判所の制約をきついと思うかどうかというのも、年代によって大きな差があるような気がしました。
「県境を越えるのにも届け出」に疑問を抱かない裁判官たち
上の顔色をうかがい自分の意思で判断を下すことのできない“ヒラメ裁判官”は、以前から問題視されている(kouyunosa/PIXTA)
ちなみに裁判官は、県境を越えることも簡単ではありませんでした。普通の人には意味がわからないだろうと思いますが、私が勤務していた頃は、裁判官が県境を越えるときには司法行政当局に書面であらかじめ届けなければいけないとなっていました。本当です。
ある所長が「ここまで行きたい」と言ったら、おつきの事務官が「手前に県境があるし、越境の届けを出していない以上無理です」と言われて諦めたという話を聞いたことがあります。
でも、埼玉県から東京都とか通勤で毎日県境を越えている人はどうするのだろうなと思いました。なんでそこまで制約しなければならないのか当時もわからなかったし、今もわかりません。
それでもなんとなくやっていて、それでゴタゴタが起こったという話までは聞きません。この県境逸話を話題に取り上げると、時の司法行政のやり方、おかしな制約でも黙って従う司法府内の雰囲気が実によくわかります。このような特殊社会は世界的にも稀(まれ)ではないでしょうか。
こんな慣行がある業界はほかにはないと思います。ですから、いずれ世界遺産になること確実です。世界の人が県境逸話に驚くでしょう。県境逸話のような雰囲気に埋没していて本気で裁判官の独立なんて守れるのでしょうかね?
どうしてこんなおかしな決まりごとに唯々諾々(いいだくだく)と従うのか。それは、こんなおかしな制約があっても気にしない人くらいしか裁判官にはならないということもあると思います。
そしてもうひとつ、一般の人がまったく気が付いていない、知られざる重要な理由があるのです。普通の会社員であるなら、上司からあまりに理不尽な要求をされた場合、裁判に訴えることができると思います。
ところが、裁判官の場合、最高裁という「上司」が決めたことに不服があって裁判を起こしても、最高裁という上司が自分で判決を書くので、勝訴することが不可能なのです。
これは考えてみると恐ろしいことです。
裁判所というシステムには外部の意見が反映されることがほぼ期待できません。これが、唯々諾々と最高裁の言いなりになるヒラメ裁判官を増やすことにつながり、ひいては冤罪(えんざい)の温床となっているのではないか。