第1次訴訟の第3回期日と、第2次訴訟の第1回期日が9月8日、東京地方裁判所で開かれ、遺族が意見陳述を行った。
遺族ら原告は、国が「ワクチン接種についての検証を怠っている」とし、「最後の砦(とりで)は司法であり、その具体化である裁判だ」と司法による“検証”を求めた。(ライター・榎園哲哉)
息子と妻を亡くした原告2人の訴え
悲しみと怒りがないまぜになったような声が、第2次訴訟を審理する東京地裁の法廷に満ちた。息子(享年27歳)を失ったAさんは、意見陳述で母親としてのやり切れない気持ちを語った。息子は結婚し新生活を始めたばかりだったが、ワクチン接種の翌日、高熱を出し突然亡くなった。
「周りのことをとても大事にする息子だった。自分のためというより、周りのため、社会のために、という思いで接種したと思う」(Aさん)
その上で、「国は(接種による)危険性を全く周知していなかった」と語り、「被害の実態を検証して広く国民に知らせ、反省し、被害者、遺族に謝罪してほしい」と訴えた。
妻(享年49歳)を亡くしたBさんも、国の接種事業への憤りを語った。
「正確な情報があれば、打たないという選択もあった」(Bさん)
第2次訴訟は、意見陳述を行った2人を含む38人が原告となり、国に対し総額約2億9000万円の損害賠償を求め、8月5日に提訴された。
すでに審理が進む第1次訴訟では、13人が原告となり、約9100万円の損害賠償を求めている。昨年4月に提訴され、同8月に第1回期日、今年3月に第2回期日がそれぞれ開かれている。
ワクチン接種後の「健康被害救済申請」約1万4000件
世界中を混乱の渦に巻き込んだ新型コロナウイルス感染症。2020年1月、国内で初めて感染者が確認されて以来、2023年5月に感染症法上の位置付けがインフルエンザと同等の「5類」へ引き下げられるまでに、約3300万人の感染者を出した。
この間、感染拡大のためにワクチンが開発・製造され、接種が進められてきた。厚労省HPによると、全額公費負担による特例臨時接種の総接種回数は、およそ4億3600万回(2021年2月の接種開始から2024年3月の接種終了まで)に上る。
一方、ワクチン接種後に、接種が原因と思われる重篤な健康被害の報告も出てきた。
ワクチン接種後の副反応による健康被害を各種手当等により救済する「予防接種健康被害救済制度」への申請の受理件数は約1万4000件で、うち約9200件が認定されている(8月25日現在/厚労省HPより)。
また、このうち死亡一時金または葬祭料への申請の受理件数は約1800件で、認定数は約1000件となっている(同)。
「予防接種健康被害救済制度」認定件数の多さ指摘
「いわゆる『反ワクチン』という立場から行っているものではない」口頭弁論後に行われた記者会見で、1次・2次集団訴訟の弁護団代表である青山雅幸弁護士はこう強調した。
一方で、国・政府が勧奨し、実施したワクチン接種事業について、「被害数が多く出始めていたにもかかわらず、そうした情報を十分に伝えなかった」と問題点を指摘。
前述した「予防接種健康被害救済制度」において、新型コロナワクチンの接種に伴う死亡一時金・葬祭料の認定件数は約1000件だが、これは、1977年から2021年まで44年間におけるすべてのワクチンの死亡一時金・葬祭料の認定件数(約150件)の約7倍となっていると説明。
「ワクチン接種事業の開始直後に死者も出ていたが、国・政府はメディアなどの広報も駆使して接種を勧奨する一方で、そうしたことは伝えなかった。国民に対し、虚偽とも評価しうる情報が伝達され続けた」(青山弁護士)
「『思いやりワクチン』として一方的に勧奨」自己決定権侵害
河野太郎ワクチン担当相(当時)は「ワクチン接種は皆さんの大切な人たち、家族、友達、恋人をコロナから守ることにつながります」と、動画で広報していた。青山弁護士は、これら広報等を通じて、「周囲のため、社会のためという『思いやりワクチン』として接種が勧奨され、多くの国民が正しい自己決定権の行使をできなかった」と主張。
その上で、「このような国の不公正なやり方は、憲法上保障された国民の自己決定権(※)を侵害している」と訴えた。
※憲法13条の「個人の尊重」や「幸福追求権」から導かれる、自らの意思でどのように生きるか自由に決定できる権利
また、「残念ながら、国はワクチン接種事業を含めてコロナ禍における諸施策についての検証をいまだに怠っている」とも述べ、司法に訴える意義をこう語った。
「行政や立法府がその役割を果たさない時、国民にとっての最後の砦は司法であり、その具体化である裁判だ」
第1次、第2次訴訟の次回期日は12月24日に予定されている。また、第3次訴訟についても検討されている。
■榎園哲哉
1965年鹿児島県鹿児島市生まれ。私立大学を中退後、中央大学法学部通信教育課程を6年かけ卒業。東京タイムズ社、鹿児島新報社東京支社などでの勤務を経てフリーランスの編集記者・ライターとして独立。防衛ホーム新聞社(自衛隊専門紙発行)などで執筆、武道経験を生かし士道をテーマにした著書刊行も進めている。