こうした薬物犯罪を専門に捜査する機関の一つに厚労省の麻薬取締部(旧麻薬取締官事務所)が存在する。
高濱良次(たかはま・よしつぐ)氏は1972年から2008年までの36年間、麻薬取締官、通称「マトリ」として現場一筋で薬物犯罪の捜査に当たり、現在はコメンテーターとして活動。複数の書籍も刊行している。
本連載では高濱氏が実際に経験した「薬物犯罪」や「マトリ」の内情を紹介。第4回は「覚せい剤」中毒者の特徴や、その末路について取り上げる。
※ この記事は高濱良次氏の書籍『マトリの独り言』(文芸社)より一部抜粋・構成。
覚せい剤にまつわる隠語
覚せい剤は、密売者や使用者、さらには捜査関係者など、その世界に身を置く者からは「シャブ」という隠語で呼ばれております。そう呼ばれる理由は、諸説ありますが、例えば「一回注射すると、やめられなくなり、骨の髄までシャブられる」からだと言う者もおります。この「シャブ」という隠語は、今や世界で日本語のまま通ずる言葉で、「芸者」、「富士山」、「すき焼き」などといった言葉と同様に、世界の共通語になりました。
このように覚せい剤に関する隠語は、各地方や年代によって呼び方が違い、アンポンタン、スピード、ネタ、ブツ、冷たいヤツ、アイス、ヒロポン、ユキネタ、ガンコロなどが挙げられます。
その覚せい剤に関係するものとして「注射器」がありますが、それも、ポンプ、シャキ、キー、道具などと呼ばれております、また覚せい剤使用者に関しては、ポン中、シャブ中、客という隠語もあります。
それに対して覚せい剤の密売人は、シャブ屋、ネタ元、売人、卸元とも呼ばれております。
ガラス製の注射器が堂々と売られていた時代も
覚せい剤を使用する方法としてポピュラーなのは、注射器の中に覚せい剤を入れて水で溶かし、腕の静脈血管に注射する方法であります。この方法は、注射中、あるいはその直後に興奮やインパクトのある快感をもたらします。われわれ麻薬取締官による覚せい剤捜査が可能になった1972年(昭和47年)当時の注射器は、病院で使われていたガラス製でありました。
このガラス製注射器が覚せい剤の使用道具として利用されていたことが社会的に大きな問題となり、注射器販売に歯止めがかかって売られなくなりました。それが昭和50年代中盤から後半位だったと思いますが、その代わりに登場したのが、インスリン用のプラスチック製注射器でありました。
密売者が持っていたのは病院関係者からの横流し品であったり、病気を口実に不正に手に入れた代物などでありました。
「おもちゃ」を利用してまでも“射ちたい”中毒者の性とは
この注射器にまつわる面白い話があります。これは、私が四国地区麻薬取締官事務所に勤務していた時のことであります。ちょうど注射器自体が一時的に品薄の状態になっていた時期でした。覚せい剤中毒者の30代男性の住居に捜索をかけた際、覚せい剤こそ発見されませんでしたが、男の両腕には無数の注射痕が見られたため捜索を続けたところ、室内からは、このガラス製注射器でもインスリン用の注射器でもなく、昆虫標本作りの時に使う注射器が数本発見されたのです。
覚せい剤使用事実で逮捕した後、その用途について聞いたところ、何とこの標本作り用の注射器を使って覚せい剤を射(う)っていたというから本当に驚かされました。
この手の注射器は「おもちゃ」であり、医療用に作られたものではないので当然注射筒が太く、かつ注射針も太いだけに、専門家の間でも覚せい剤使用に供されるとは想像もしておりませんでした。何もそこまでして覚せい剤を射たなくてもいいと思いますが、これが覚せい剤中毒者の性(さが)そのものでありました。
さぞ射つ時は、痛かっただろうなあと同情を禁じ得ませんでした。
覚せい剤密売者や使用者の特徴
覚せい剤使用者は、注射の際に病院で行うような消毒を一切せずにそのまま腕に直接注射しておりました。そのため注射した部位が赤黒くなり、注射痕が残ります。その注射痕が覚せい剤の使用の決め手になるだけに、捜索現場や職務質問の現場では必ず袖を捲(まく)らせて、その有無を確認するのが当たり前でありました。
覚せい剤密売者や使用者は、暑い夏場でも長袖の服を着用したがる傾向がありましたので、その点を捉えて尿の提出を求めます。それを避けるために女性の中毒者の中には、スカート内の太腿(ふともも)に注射していた者もおりました。
中毒者が“不衛生な水を平気で使用”する理由
昭和40年代後半から昭和50年代初頭にかけては、何人もの中毒者の間での、注射器の使い回しが見られました。そんな連中を逮捕した際には、覚せい剤の効き目が切れてくると、淋病(りんびょう)や梅毒、さらには肺結核の症状を呈し、その都度病院に連れて行き治療をさせておりました。覚せい剤が効いている間は、どういう訳か症状が抑えられていたようでありました。
覚せい剤を溶かす水は、家であれば水道水を使うのが一般的でありますが、外で密売者から覚せい剤を手に入れればすぐに射ちたいという一心から、近くの公衆便所に飛び込み、大便用の便器内にたまった不衛生な水でも平気で使うことを厭(いと)わないという者が過去にはいました。
その水で溶かした覚せい剤液をその後腕に注射するということが、彼ら中毒者には何ら不思議でも何でもなく、只々(ただただ)射ちたいという気持ちが脳内を支配するため、そんな突発的な行動へ駆り立てるという状況が生まれるのです。