
経済学的には、転売は商品をより高く評価する人の手に渡す仕組みとして「合理的」と説明される。
本記事では、新規情報技術やサービスを社会実装する際に生じうる倫理的・法的・社会的課題(ELSI)について研究し、Nintendo Switch 2の日米における発売戦略を比較した論文の共著者でもある倫理学者の長門裕介氏(大阪大学・講師)が、転売をめぐる問題について経済学と倫理・文化の視点から考察する。(本文:長門裕介)
日常生活に入り込んだ「転売」
「ダフ屋」という言葉を耳にする機会は、めっきり減ったように感じる。都道府県の迷惑防止条例やチケット不正転売禁止法の成立によって、古典的なチケットの転売行為はほとんど姿を消したと言われているからだ。しかし、転売という行為そのものがなくなったわけではない。むしろ、私たちの日常生活に、新たな形で深く入り込んでいる。
2025年に発売された次世代ゲーム機「Nintendo Switch 2」をめぐっては、その予約販売をめぐり、世界中でウェブサイトにファンが殺到し、在庫が数分で完売するという事態が報じられた。
また、同年8月には、マクドナルドがポケモンとのコラボレーションとして、おもちゃに加えてポケモンカードが2枚付いたハッピーセットを3日間限定で販売したところ、こちらも多くの人々が店舗に殺到し、フリマサイトではセット内容が定価を大幅に上回る価格で出品される事態となった。
こうしたニュースは、今や決して珍しいものではない。最新ゲーム機、限定スニーカー、人気のキャラクターやアイドルのグッズ、果ては祇園祭の縁起物「ちまき」に至るまで、需要の高い商品が発売されるたびに、高額転売が問題視され、SNS上では消費者からの怒りの声が上がる。
経済学的には、転売は「合理的」な行為?
この種の転売をめぐる議論は、しばしば「市場の論理」と「道徳的・倫理的な感覚」との間で揺れ動いている。経済学の観点から見れば、転売はふつう「合理的な」行為と見なされうる。ハーバード大学の経済学者グレゴリー・マンキューは、自由市場の効率性を説明する際に、ダフ屋の存在を引き合いに出している(※)。
※ Mankiw, N, G. (2021). Principles Of Economics : Ninth Edition (Ed. 9). Cengage.
彼によれば、市場とは、ある財に最も高い評価をする買い手(つまり、最も高い支払意思を持つ人々)にその財を割り当てることで、社会全体の利益を最大化する仕組みである。
転売屋(経済学では「スカルパ―」と呼ばれる)が提示した価格で商品を買う人がいるという事実は、その転売屋が転売する前の商品の値段が「安すぎた」ことを意味する。したがって、転売屋は、商品の「本当の価値」を市場に示すことで、むしろ社会全体の利益に貢献していると経済学は考えるのである(※)。
※ Atkinson, J, J. (2004). The Economics of Ticket Scalping, Jimmy Atkinson, https://jimmyatkinson.com/papers/the-economics-of-ticket-scalping/, 3 May 2004 (最終閲覧日2025年8月29日)
つまり、転売は、アービトラージ(裁定取引)の一形態として、商品をより高く評価する人々に効率的に移動させる機能を持つとされるのだ。
しかし、すべての二次流通が問題であるわけではないということは明らかだ。中古品を多様なチャネルから取得し、適正な市場価格で販売する「再販者(リセラー)」は、中古品市場の健全な機能を促進し、商品の寿命を延ばす正当な活動として認識されることが多い。
私は最近、あるオークションサイトで、90年代に製造された国産のアナログウォッチを数千円で落札した。少し時代遅れのデザインで、たいして人気があるものではない。ここでは、再販者の存在は、「不用品を手放したい人」と「それを必要とする人」を効率的にマッチングし、商品の寿命を延ばすだけでなく、資源の有効活用という観点からも望ましいものだ。
重要なのは、新品の流通を阻害することなく、既存の資源をより効率的に配分する役割を担っている点である。
非難される理由は「取得方法」と「市場への影響」
一方、私たちが「転売屋」と呼んで非難する人々は、この再販者とは決定的に異なる。転売屋は、高需要の新品商品を意図的に狙い、(しばしばボットなどを用いて、)ほかの人々を出し抜くように在庫を買い占めようとする。そして、人為的な品不足を生み出し、法外と思える利益を上乗せしてオークションサイトやフリマサイトに出品する。
転売屋が非難されるのは、この「取得方法」と「市場への影響」に理由がある、と考えることがひとまずできるだろう。転売屋の活動は、消費者の不満やブランドの評判低下といった「外部性」(外部コスト)を生み出す。これらのコストは、伝統的な経済的厚生分析では通常計上されないが、実際上は重要な要素だろう。
また、行動経済学の知見によれば、人々は一度手にしたものに対する価値を、それを所有する前に比べて高く評価する傾向がある(所有効果と呼ばれる)。このため、転売市場での価格は、所有効果のために高くなりすぎる可能性がある。
さらに、転売屋がボットを利用して限定された在庫を迅速に確保する行為は、公正な競争を阻害する市場操作の一形態と見なされることもある。この点では、経済学の枠内でも転売行為が必ずしも社会全体の利益に貢献しているとは言い切れない(※)。
※ Krueger, A. (2001) Supply and Demand: An Economist Goes to the Superbowl, The Milken Institute Review, 2nd Quarter, 22-29. 及び大竹文雄 (2016)「チケット転売問題の解決法」, 大竹文雄の経済脳を鍛える, https://www.jcer.or.jp/column/otake/index897.html, 2016年9月1日 (最終閲覧日2025年8月29日)
「本当に欲しい人」とは誰なのか?
ハッピーセット転売騒動が起こった際にも「本当に欲しい子どもたちが手に入れられなくなる」との意見が目立ったが…(8月9日都内/撮影・弁護士JPニュース編集部)
しかし、多くの人々は、この「市場の論理」があらゆるものに適用されることそのものに抵抗を感じるのではないだろうか。
彼らが守ってほしいと願うのは、転売屋がアクセスを阻害している「本当に欲しい人」、つまり「本物のファン」の利益に他ならない。しかし、この議論を進める上で、私たちは一つの大きな問題に直面することになる。それは、一体誰が「本当に欲しい人」、すなわち「その商品に最も高い価値を認めている人」なのか、という問題だ。
その答えは決して自明ではない。
経済学が最後の「支払い意思」に注目する一方で、そうではないと考える人がいるのもまた自然なことである。しかし、「本当に欲しい人」とそうでない人の基準をどこで引くべきなのだろうか。
私は、転売をめぐる問題がしばしばすれ違う原因は、まさにこうした「本当に欲しい人とは誰なのか」という点にあると考えている。私たちは神様ではないので、誰が「本当に欲しい人」かを完璧に判別する方法を持っていない。せいぜい、ある種の基準によってそれに近似することしかできないのである。
たとえば、ゲームメーカーが転売対策として「過去のプレイ時間」を応募条件に設定したり 、小売店が「販売されているグッズのキャラクターに関する質問をする」といった対応は、この「本当に欲しい人」を近似的に見極める試みだと言える。
しかし、この方法には常に限界が伴っている。厳しすぎる基準を設定すれば、伊達(だて)や酔狂で欲しくなった人や、友人の付き合いでイベントに参加したようなライトなファンやファン予備軍を排除してしまう可能性がある。
最近はあまりコミットしていないけど、何かのきっかけで自分の中のファン魂が再熱した……という人もいるだろう。
文化や社会の違いも関係した日米「スイッチ2」販売戦略の違い
「本当に欲しい人」を見分ける基準が、商品の販売方法に直結することもあることにも留意しておきたい。私を含む大阪大学社会技術共創研究センターの研究グループは「Nintendo Switch 2 発売戦略の日米比較:経済・倫理・社会の観点から」と題する研究ノートを発表した(※)。これはSwitch 2が発売当初、日本と米国で異なる販売方法が採用された理由を5つの仮説から探索的に検討したものである。
※ 工藤郁子, 長門裕介, 岸本充生 (2025) 「Nintendo Switch 2 発売戦略の日米比較 : 経済・倫理・社会の観点から」, 『ELSI NOTE』(55), 1-31. https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/102302/
日本と米国の販売戦略の違いは次のようにまとめられる。
【日本】
⽇本においては、抽選制が導⼊された。任天堂が運営するオンラインストア「マイニンテンドーストア」では、2025年4⽉4⽇から抽選の応募受付が始まり、初回販売分の台数を⼤きく上回る220万⼈以上が応募した。
その後も順次、抽選受付と当選発表が⾏われ、発売直前の6⽉3⽇には第4回⽬の抽選受付が実施された。なお、マイニンテンドーストア以外の販売経路、すなわち、⽇本の家電量販店やECサイトなどにおいても、抽選制が採⽤された。
【米国】
⽶国では先着制が採⽤された。⽶国においてオンラインでの予約受付が開始されるとすぐに、 Switch 2を確保しようとするファンたちが殺到し、ウェブサイトはアクセスで溢(あふ)れかえり、最初の在庫が数分で完売した⼩売店もあった。
私たちの研究は、こうした違いを説明できる仮説として、①業務効率、②レピュテーション、③フェアネス、④企業への期待、⑤ファンカルチャーの5つを提案するものである。
実際に任天堂がどのような理由で異なる販売戦略を採用したかは追加の取材と研究が必要だが、複数の仮説が採用可能だということは、転売対策には「経済的効率性」だけでなく、「文化的価値観」や「社会的期待」を総合的に考慮したアプローチが必要であることを意味している。
単純な市場メカニズムや業務効率の観点だけでは、なぜ同じ商品が異なる地域で異なる販売方法を取るのかを十分に説明できない。むしろ、その地域の消費者が何を「公正」と感じるか、企業にどのような社会的責任を期待するか、ファンコミュニティがどのような価値観を共有しているかといった、より深層の文化的要因が重要な役割を果たしているのである。
これは、転売対策には唯一の決定的な方法が存在するわけではなく、それぞれの販売地域の文化的特性や規範意識に応じた対応が必要になることを示唆している。
誰が「本当に欲しい人」かを決めることに常に恣意(しい)性が付きまとい、転売対策も文化的な要因に左右される以上、その商品や販売地域の特性に応じた対策が必要になる。月並みな話ではあるが、実際にどういう商品についてどういう対策が効果があったのかを積み上げていくしかないのである。
転売批判が「排外主義」につながる危険性
また、転売をめぐる社会問題が加熱するにあたって、問題設定の仕方にも注意が必要だ。ある社会問題について、運動の中でどのように問題設定(フレーミング)が行われるのかを分析する手法を社会運動論では「フレーム分析」と呼ぶ。たとえば転売問題について「利己的な外国人が転売を行っている」ことを強調するフレーミングが、「在日外国人のゴミ出し問題」という別の社会問題のフレーミングと共調している場合、転売とゴミ出し問題は同じ「在日外国人問題」というマスター・フレームに統合された社会運動とみることができる。
SNS上の言説では「利己的な転売屋さえいなければ問題はそもそも生じないはずだ(=なのでその人たちを締め出す仕組みが必要だ)」という問題提起がなされることが多いが、こうした問題設定がいつの間にか、排外主義的な別の問題設定(「日本で起きる社会問題のほとんどは外国人によって引き起こされている」「利己的な外国人によって日本人のための制度が濫用されている」)に紐づけられているということが珍しくない。
たとえば「転売屋は〇〇人だ」というようにである。
自分の欲しい商品が手に入らないばかりか、高額で二次流通市場で転売されていることにフラストレーションを表明し、こうした問題を解決してほしいと願うのは自然なことだ。
転売をめぐる問題は転売屋だけが引き起こしているわけではなく、ファンの健全なあり方や供給体制、販売方法、そして私たち消費者の期待や行動が複雑に絡み合った結果として生じている。
この問題に決定的な解決策は存在しない。経済学的合理性と文化的価値観の両方を考慮しながら、それぞれの商品やコミュニティの特性に応じた対策を検証し、蓄積していく以外に道はない。
同時に、「本当に欲しい人とは誰なのか」という問いが持つ恣意性と危険性を常に意識し、転売批判が排外主義的な言説に取り込まれることを避けながら議論を続けていく必要がある。転売問題は、私たちの社会が市場の論理と道徳的感覚をどう調和させるかという、より根本的な課題の一部なのである。
■長門裕介(ながと ゆうすけ)
大阪大学社会技術共創研究センター講師。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。専門は倫理学(特に幸福と人生の意味)、社会哲学、情報科学技術のELSI(倫理的・法的・社会的課題)。共著に『ELSI入門 先端科学技術と社会の諸相』(丸善出版、 2025年)、『人生の意味の哲学入門』(春秋社、2024年)、共訳書にラジャ・ハルワニ『愛・セックス・結婚の哲学』(名古屋大学出版会、2024年)など。