
株式会社スコラ・コンサルトが、全国の社員100名以上の企業に勤める一般社員・管理職2106名を対象に実施した転職や働くことに関する意識についてのアンケート調査によると、全体の11.8%が上司・同僚・部下による「リベンジ退職」(退職に伴う職場への報復的な行為)を経験しているという。
1割以上がリベンジ退職を経験(調査:スコラ・コンサルト)
また、同調査で必要最低限の業務をしながら転職の意思があるわけではない、いわゆる「静かな退職」状態の人が全体の16.3%を占めたこともわかった。
そうした中、「イテクレヤ」と称した、社員の“引き留めサービス”が4日、株式会社おくりバントからリリースされた。
引き留め行為「違法・合法」のボーダーライン
同サービスは企業側からは見えづらい、退職に至る本当の原因を追求し、その改善策を提示することで、組織全体の環境改善と離職防止を支援するもの。退職希望者を無理に引き止めることを最終目的としたものではないという。内部からでは難しい慰留を、第三者に依頼し、実行してもらうニーズはありそうだが、辞める意志を固めた社員の引き留めは至難の業。そもそも企業側からの退職意向社員への慰留に法的問題はないのか。労働問題に詳しい向井蘭弁護士は、次のように解説する。
「結論から申し上げると、従業員の自由な意思決定を妨げない、常識的な範囲での説得であれば問題ありません。ただし、現実には、できることは限られています。
なぜなら、日本の法律では、労働者に『退職の自由』が強固に保障されているからです。特に期間の定めのない正社員の場合、民法627条1項に基づき、いつでも退職の申し入れができ、申し入れから2週間が経過すれば雇用関係は終了します。これは非常に強力な権利です」
これを踏まえれば、社員の退職意思が固い場合、法を踏まえてもそれを覆すことは極めて困難と考えるのが妥当といえそうだ。
退職慰留の「許容範囲」とは
とはいえ、対象が優秀な人材なら、企業側としてもなんとか引き留めたいだろう。どの程度までなら、慰留が許されているのか。- 退職を考え直してもらうためのお願い
- 処遇(給与、役職など)の改善提案
- 配置転換や業務内容の変更といった代替案の提示
- 退職理由のヒアリングを通じた、職場環境改善の約束
違法な引き留め事例
では、具体的に違法行為にあてはまるのはどんなケースなのか。- 脅迫・強要
「辞めるなら損害賠償請求する」「この業界で働けなくしてやる」などと脅して退職を断念させようとする行為。これは強要罪(刑法223条)に該当する可能性も。 - ハラスメント行為
退職を申し出た途端、無視したり、暴言を吐いたり、他の従業員の前で晒(さら)し者にしたりする行為。典型的なパワーハラスメント。 - 物理的な拘束
「話が終わるまで帰さない」と会議室に長時間閉じ込めるなど、物理的に拘束する行為。監禁罪(刑法220条)にあたる可能性も。 - 退職届の意図的な不受理
正当な理由なく退職届の受け取りを拒否し続ける行為。意思表示は到達した時点で効力が生じるため、不受理に法的な意味はないが、従業員の権利を不当に妨げる行為となる。 - 虚偽の説明
「今辞めたら懲戒解雇扱いになる」「退職金は一切支払わない」などと、事実に反する説明をして不安をあおり、退職を思いとどまらせようとする行為。
企業の評判を地に落としかねない退職者への違法行為
これらの違法な引き留め行為に加え、退職する社員への法を無視した不当な対応は、企業の評判をさらに大きく損なうことにつながる。中でも、特に深刻なダメージを企業に与え得る対応は以下の4つだ。(1)給与・退職金の不払い
(2)有給休暇の取得拒否
(3)不当な損害賠償請求
(4)競業避止義務の強要
「引き継ぎが終わらないから」などと言って、退職日までの有給休暇消化を妨害するケースはありがちだが、有給消化は労働者の正当な権利。企業側は原則として拒否できない。
また、「君が突然辞めたせいでプロジェクトが失敗した」などとして、法外な損害賠償をちらつかせるのも違法だ。「従業員の退職によって会社が損害賠償を請求できるのは、その従業員に故意または重大な過失があり、かつ退職の態様が悪質であるなど、極めて限定的な場合に限られます。単に『退職した』という事実だけでは、まず認められません」(向井弁護士)
退職後の転職先を不当に制限する『競業避止義務』の誓約書にサインを強要するのも違法だ。たとえば『退職日から●年間、同業他社に就職することや、業務を請け負うことを禁じる』といった内容の条項は、それにより退職者の職業選択の自由が著しく損なわれる場合には、公序良俗違反(民法90条)にあたり違法となり得る。
実際に、退職時にサインさせられたというAさんは「嫌な感じがしましたが、一刻も早く辞めたくてサインしちゃいました」と述懐するが、「職業選択の自由を制約するため、その有効性は、期間、場所、職種の範囲、代償措置の有無などから厳格に判断されます。たとえサインしていても、その条項自体が公序良俗違反で無効とされる可能性があります」(向井弁護士)
引き留め工作が奏功した事例
これまでに多くの企業で労働問題を見聞している向井弁護士。引き留め工作がうまくいった事例はあるのか。「退職を決意する背景には、単一の理由でなく、複合的な不満が積み重なっていることが多く、一度固まった意思を覆すのは非常に困難です。しかし、引き留めが成功するケースも皆無ではありません。
これまで見聞した中でうまくいったのは、退職理由が限定的かつ解決可能であった場合です。
たとえば、キャリアの行き詰まり感から退職意志を固めた社員に対し、新たな役割を提示したケースでは、会社側がヒアリングを重ね、彼が挑戦したがっていた新規事業のリーダーに抜擢したことで、本人の希望と会社のニーズが合致し、モチベーションを取り戻して残留したことがありました。
また、直属の上司との相性がどうしても悪く、心身に不調をきたしていた従業員に対し、本人の希望する部署への異動を即座に認めたケースは、問題がピンポイントであったため、環境を変えることで解決に至りました。
成功の鍵は、その場しのぎの慰留ではなく、従業員の不満の根本原因を正確に突き止め、具体的な解決策を誠実に提示することに尽きます」
社員が会社を去る決断をするに至るには、さまざまな要因が考えられる。最終的には会社側に誠意があれば、仮に説得する場面になっても受け入れてもらいやすいだろう。逆にいえば、労使の信頼関係が薄弱化していると“反抗的な退職”というアクションにつながる可能性はある。
報復的な辞め方が目立つ背景になにが
昨今の労働者側による、在籍企業への報復的な辞め方の背景にはなにがあるのか。向井弁護士は次のように分析する。「企業と個人の力関係の変化を象徴していると感じます。
終身雇用が当たり前だった時代は、会社が圧倒的に優位な立場にありました。しかし、転職が一般化し、SNSなどで企業の内部情報が可視化された今、優秀な人材が会社を『選ぶ』時代になっています。
『静かな退職』は、不満があっても波風を立てずに、最低限の仕事しかしないという消極的な抵抗です。
今後、企業は従業員を単なる『労働力』として管理するのではなく、共に成長する『パートナー』として向き合う姿勢が不可欠になります。従業員一人ひとりのキャリアや価値観を尊重し、働きがいと成長機会を提供できる企業だけが、人材に選ばれ、生き残っていくでしょう。
退職は、企業にとっては痛手ですが、組織の課題を映す『鏡』でもあります。退職者を『裏切り者』と見なすのではなく、彼らの声に真摯(しんし)に耳を傾け、組織をより良くする機会と捉える。これからの時代、そうしたしなやかな姿勢こそが、企業の持続的な成長の鍵を握っていると、私は考えています」