
生まれたばかりの赤ちゃんを育てるカップル、同棲をはじめることにしたカップル、高校生の娘がいるカップル、不妊治療に励むカップル。
同性愛者には差別や偏見を懸念し、そのことを公表せず生きている人も多い。そのために、“見えなくなってしまっている”同性カップルの実態を知ってほしいとカメラを回したのは、一般社団法人「こどまっぷ」の共同代表として、子育てする、あるいは子どもを望む性的マイノリティを支援してきた長村さと子さん。
自らも同性パートナーと子どもを育てる長村さんは、本作でどんなことを伝えたかったのか、話を聞いた。(ライター・杉本穂高)
一番見えにくい同性カップル・家族の「生活」を伝えたかった
本作制作のきっかけはなんだったのですか。
長村さと子さん(以下、長村):自分の子育てや「こどまっぷ」の活動を通して、同性カップルやその家族の声が社会に全然届いていないことにずっと憤りを感じていました。実際の生活、ご飯を食べて、寝て、普通に仕事をしている様子や、他愛ないことで笑い合ったり、家族のことを真剣に思うからこそ言い合いになる姿が見えた方が、私たちが「いる」ということが伝わるんじゃないかと思って、映画で見せることにしたんです。
長村さんは映画産業に従事しているわけではないんですよね。
長村:映画を見るのは好きですが、作ったこともなかったです。ただ、世の中が変わってきている今、この狭間の時代をきちんとアーカイブとして残しておきたいという気持ちが強くありました。そして、それができるのは映像作品だと。作り方がわからず試行錯誤している時に、たまたま海外在住の映像編集者とオンラインでお話しする機会があり、この方となら一緒にできると思えたことで本格的に作品が動き始めました。
作品にどういう問題意識を反映させようと思いましたか。
長村:最初は、差別など同性カップルを取り巻く“課題”をたくさん伝えなければ、社会と戦わなければと、ファイティングポーズをとっていました。たとえば、 パートナーが同性である女性が病院に分娩を拒否された事態があり、その問題の深刻さと状況の改善を求めて、私たちが政治家に陳情するシーンも撮影しました。でも、それぞれの同性カップルやその家族にカメラを向けていると、社会の問題よりも、生活や2人の関係性、子どもに対するまなざしや親との関係などが伝わってきます。私たち自身にとっては「普通」の日常を、「普通じゃない」としているのは社会の側なんだと撮りながら思いました。そしてその社会に対して私自身が戦わなければいけないというプレッシャーに抑圧されてとらわれていることに気づいたんです。
だから、当事者のありのままの姿、温かさとかちょっとした切なさなどを伝えたいと思うようになりました。実際、外から一番見えづらいのは、そういうところじゃないかとも思いました。
映画『ふたりのまま』場面写真(一般社団法人こどまっぷ)
桜の花に「隠された」当事者
4組のカップルが映画に登場しますが、どういう基準で選ばれたのですか。
長村:私が直接支援している人からは選ばないようにしました。なぜかというと「いつもお世話になってるから取材受けなきゃ」みたいな力関係が働いてしまうと思ったので。古くからの友人や、活動を見守ってくれていた人たちに声をかけて撮影させてもらいました。高校生の子どもがいるカップルや赤ちゃんを育てるカップルなど、それぞれの年代・状況で抱える悩みが異なることがよく見える4組でした。また、本人たちの子どもや親の声が聞けたのも新鮮でした。
長村:そうですね。同性カップルに育てられた17歳の娘さんは昔から知っているからこそ、一番緊張した相手です。他のカップルは妊活中だったり、まだお子さんに本人の考えを聞ける年齢ではなかったので、それだと親の気持ちだけを描く作品になってしまうことに少し悩んでいました。彼女が「全然いいよ」と出演をOKしてくれたのは作品にとって大きかったです。本作はキービジュアルも印象的です。桜という、日本を代表する美しい花に顔を“隠されている”家族のイラストですよね。
長村:そこを指摘してくれた人は初めてです。私たちLGBTQは伝統的な家族像を壊す存在だといつも思われて、存在しないものとして扱われています。そのことがデザインからも伝わればと思って、かなりこだわって描いてもらいました。
映画『ふたりのまま』ポスター(一般社団法人こどまっぷ)
作品に出演されたみなさんの姿は、伝統を「壊す」存在というより「拡張する」存在に見えました。
長村:私もそう思っています。でも、なかなかそう思ってもらえないのも事実なんです。同性カップルをめぐる司法・立法の動き
ここ数年、同性婚を認めない現行法を違憲とする判決が各地で相次いでいることについて、何か感じていることはありますか。
長村:結婚したい、家族を築きたいと考える同性カップルにそもそも選択肢がないことには憤りを感じますし、違憲判決は当然で、社会が変わらないといけない時期にきていると思います。ただ、普段「こどまっぷ」でロビー活動をしている身からすると、そう簡単な話でもないことは実感します。映画などを通して応援してくれる味方を増やしていくしかないかなと思っています。
映画には、特定生殖補助法の医療法案が不妊治療を続ける同性カップルにプレッシャーをかけるシーンが出てきます。法案は廃案になりましたが、シーンを残したのには何か思うところがあったのでしょうか。
長村:この法案は、人工授精などの生殖補助医療の適正な実施に関して、また、生殖補助医療によって生まれた子どもたちの出自を知る権利について、これまで法が未整備だったところを定める“必要な法律”ではありました。でも、いざ提出された法案では、法律婚以外の同性カップル、事実婚カップル、選択的シングルの人が生殖補助医療を受けることを禁止し、違反した医療機関や個人医師に対する罰則規定がおかれていました。国会の会期が理由で廃案にはなりましたが、同様の法案が再び提出される懸念は当事者の間で残っています。なので、法案の存在と、それによって苦しむ人たちがいるということを見て知ってほしいと思い、映画にあえて残しています。

映画『ふたりのまま』場面写真(一般社団法人こどまっぷ)
日本社会の変わった部分と変わらない部分
パートナーシップ制度(※同性カップルなどのパートナーシップ関係を公的に証明し、行政サービスや社会的な配慮を受けられるようにする制度)は日本で始まってからまもなく10年になりますが、社会の価値観の変化は感じますか。
長村:感じますね。幼稚園で先生たちに同性同士で子育てをしていることをカミングアウトした時「テレビで見たことあります、みんな同じなんで全然問題ないですよ」と言ってくださったり、生きやすくはなりました。一方で、居酒屋で「レズはいいけどゲイは無理」と平気で話してるサラリーマンがいたりする。
変わった部分と変わっていない部分があると。
長村:そうですね。同性婚の話もそうですが、変えようと思ってもなかなか変わらないもどもかしさがあります。たとえば、長年住んでいた新宿区では、パートナーシップ制度導入を働きかけた時、制度の内容と関係ない事情で反対される議員さんらがいたりして、憤りを感じました。一方で、足立区では、同じように区議から差別的な問題発言があったものの、区としては、新宿と逆の姿勢を示してくれ、パートナーシップ制度を導入してくれました。
なので足立区に引っ越して、その後、子どもも含めて家族として認める「ファミリーシップ制度」の導入も働きかけ、実現にこぎつけました。
東京都もパートナーシップ証明書の裏側に、子どもの名前を書けるようにはなりましたが、都が「ファミリーシップ」という名称を使うことをしなかったのは、同性カップルに「ファミリー(家族)」とは名乗らせたくなかったからではないでしょうか。
大切なのはセクシャリティではなく「パーソナリティー」
そういう社会の「変わらない部分」を前進させるためには、何が必要でしょうか。
長村:やはり、多くの人に私たちのような存在がいることを知ってもらうことが必要だと思います。カミングアウトしたらキャリアが終わるような世の中じゃダメだと思うんです。本作はドキュメンタリー映画ですが、こうした作品が増えることも当事者を知ってもらうことにつながりますね。
長村:もちろんです。カメラを向ける行為はある種の暴力をはらんでいますし、ましてや当事者でない方は、どこがセンシティブなのかの勘どころを持っていないこともあるでしょうね。
長村:そうですね。一度、テレビ取材で、自宅で料理する場面を撮りたいと言われ、私のパートナーが料理し始めるとテレビクルーから「長村さんは料理しないんですか」と言われたことがあります。私のパートナーはボーイッシュで、私の方がフェミニンに見えるから、私が料理を作るものだと思われていたらしく…これは同性カップルうんぬんではなく、もっと根本的な性差別の話だと思うのですが。
あと「なんで、そこまでして子どもが欲しいんですか」という質問は定番で聞かれますが、これも異性カップルに聞くことはほぼない質問だと思います。しかもその質問に対して、取材者が考える「正しい答え」がきっとあるんでしょうね。私が回答してもそれで満足してくれず、繰り返し質問されたこともあります。
今の世界そして日本社会の動きについて、バックラッシュは感じていますか。
長村:毎年、感じていますね。私自身はもちろん、私が経営する店では、セクシュアリティじゃなくてパーソナリティーを第一に大切にする方針です。
セクシュアリティではなくパーソナリティーを見るというのは大事な姿勢ですね。それは本作の姿勢にも貫かれていると思います。
長村:ありがとうございます。タイトルの「ふたりのまま」というのは、「2人のママ」という意味と、あるがままの2人という意味を重ねたんですが、そこにはパーソナリティーをそのまま受け止める視点も含まれていると思います。映画『ふたりのまま』予告編■杉本穂高
日本映画学校(現・日本映画大学)出身。神奈川県のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ(現・あつぎのえいがかんkiki)」の元支配人、現在は映画ライター。