正義の象徴ともいえる存在がなぜ、越えてはならない一線を越えてしまうのか…。警察官の日常を描いた『警察官のこのこ日記』(三五館シンシャ)の著者で、約20年勤務のOB・安沼保夫氏に組織や勤務の実態などを聞いた。(前編)
正義の象徴がなぜ、一線を超えるのか
警察法2条1項には〈警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする〉とある。多くの国民が抱く警察官のイメージがまさに、「警察官の職務」として明記されている。ところが昨今は、警察官の不祥事が目立つ。あってはならないことが起こるその瞬間、警察官はどのような心理状態なのか。
安沼氏:「警察内部では『小さな違反』が常態化しています。これが積み重なることで順法精神が麻痺し、一線を越えてしまうのだと思います。
たとえば、交番には勤務表があり、これに従ったタイムスケジュールで勤務することになっています。本来なら『警ら(いわゆるパトロール)』をしていなければならないところ、交番の奥に引っ込んで書類整理をしていることは往々にしてあります。
これもいわば勤務表を無視した‟文書偽造”の一種であるところ、『これくらい大丈夫か』という感覚がだんだんと大きくなり、捜査書類の偽造などにいきついてしまうものだと思います。
不祥事には酔っぱらっての暴行や痴漢行為などが多い印象ですが、これらは勤務のストレスに起因する過度な飲酒が原因だと考えます。組織も飲酒三原則(原則3時間以内、はしご酒の禁止、夜勤明けの打ち上げ禁止)をガイドラインとして制定するなど対応策を取っていますが、現場にはあまり浸透していない印象です」
性接待はまん延しているのか
9月中旬には、週刊文春の報道によって、和歌山県警の元幹部が風俗店から長期間にわたって性接待を受けていたことが明らかになった。風俗店と警察の関係性は従前からグレーともいわれる。
安沼氏:「私の知る限りでは、警察官が風俗にたかったという話は聞いたことがないですね。プライベートで風俗店へ行くとしても、警察の身分は隠すのが一般的かと思います。
たとえば行為に及んでいるところを撮影されて強請(ゆす)られるなどのリスクがあったり、客として入っている最中にガサ入れが入ったりする可能性もゼロではないからです。ちなみに後者の場合、機動隊の歌を大声で歌いながら逃げればガサ入れ部隊も察して見逃してくれるという都市伝説もありますが…。
機動隊時代に、風俗店長を名乗って実技試験と称してネットで知り合った女性と行為に及んでいた後輩がいました。確か逮捕は免れたと記憶していますが、結局、依願退職となりました。
私の推察ですが、(文春の)記事に出てくる元幹部は恐らく違法風俗店の摘発を見逃す見返りとして性接待を受けていたのかもしれません」
国家の安全を守る立場の警察官に協力を頼まれれば、断ることはできない。ほとんどの国民はそう認識している。警察手帳をみせられれば、捜査に協力する名目で、たいていのことは許可する。逆にいえば、警察官は立場を利用しようと思えば、たいていのことはできる。
安沼氏:「たとえば警察手帳を見せるだけでいろんな場所に入れますし、見知らぬ人も無条件で信用してくれますから、偉くなった気になってしまいますね。むかしは警察手帳を提示してバスにタダ乗りしたり、映画をタダ見したりとかしていた警官もいたとか。
拙著にも書いていますが、私の警察官デビューの地は警察学校にほど近い調布署で、休日になるとスーツに角刈りの警察学校生がよく遊びにきていました。
ある日、『警察学校生が警察手帳を見せてナンパしてきた』という苦情が調布署に寄せられたそうで、『その学生を特定して警察学校に通報し、クビにしてやった』と署長が鼻息荒く朝礼で語っていました。
なにもクビにしなくても…と思いましたが、これはまさに『立場を利用して』なので、早いうちに組織から排除しておいて良かったのかもしれません。
『立場を利用』といえば、各交番には『巡回連絡カード』というものが保管してあります。各家庭の家族構成や連絡先が記載されているのですが、これを悪用したストーカー警官もいたようです」
警察がお金のトラブルにナーバスな理由
警察官の不祥事で目立つ事案のひとつに、お金がらみがある。金銭トラブルを抱えていれば、魔が差すリスクも高まるからだろうか。安沼氏の著書には、お金に関する話は「うわさレベル」でも、上長らからチェックが入ると記されている。安沼氏:「たまたま空腹で食べたいものもなかったので、レトルトパックご飯で済ませたことがありました。そうすると、同僚らに『金欠か?』と言われ、いつの間にかその話に尾ひれがつき、私に借金疑惑が。
上の人間にすれば、部からの不祥事は自分の昇進に直結するため、そのチェックにはそれくらいナーバスではあったのでしょう。
美人局(つつもたせ)というか『いただき女子』に引っかかった同期がいました。借金が数百万円に膨れ上がり、彼はクビになりかけましたが、結局は家族の援助で借金を完済し、いまも現職です。
大学生と高校生の息子を持つ50代の警部補は、息子たちの海外留学などの費用のために教育ローンで数百万から1000万だかの借金をしていたそうで、こちらは限りなく強制に近い依願退職をさせられていました。
普通に質素な生活をしていれば警察官が生活に困ることはありません。そうしたこともあって、どんな事情であれ、借金に対してはナーバスになる側面があるのかもしれません」(後編に続く)
■安沼保夫(やすぬま・やすお)
1981年、神奈川県生まれ。明治大学卒業後、夢や情熱のないまま、なんとなく警視庁に入庁。調布警察署の交番勤務を皮切りに、機動隊、留置係、組織犯罪対策係の刑事などとして勤務。20年に及ぶ警察官生活で実体験した、「警察小説」では描かれない実情と悲哀を、著書につづる。