1959年から1984年にかけて在日コリアンや日本人妻ら約9万3000人が北朝鮮に渡った「北朝鮮帰還事業」。
「地上の楽園」と宣伝され、移住先の北朝鮮で自由を奪われ、監視と抑圧の下で数十年を過ごした脱北者らが、北朝鮮政府を相手取り損害賠償を求めた訴訟が、7年の歳月を経てついに決着を迎えようとしている。

提訴時には5人いた原告のうち2人がすでに亡くなり、現在は4人。1人は訴訟を引き継ぐ人が見つからず取り下げとなり、もう1人は息子が訴訟を承継。
10月20日午後、都内で開かれた記者会見で、原告の一人、川崎栄子さんは「2018年に提訴してから7年という長い時間が過ぎた。その時から『原告に残された時間が足りない』と言っていたが、その話が現実となってしまった」と語った。
10月29日に東京地裁で差し戻し審の第1回口頭弁論が予定されており、即日結審する見込みだ。

「嘘のシナリオによって移住させられた」

帰還事業は、北朝鮮政府と朝鮮総連が主導し、「医療も教育も無償」「仕事も住まいもある」と虚偽の宣伝を展開した大規模な集団移住政策である。1959年から開始され、計9万3000人超が出国した。
しかし、このとき日本を出国した在日コリアンの9割以上は朝鮮半島南部の出身であり、北朝鮮への出国は、実際には“故郷に帰る”という意味を持たず「帰国」という名に反していた。
川崎さんは会見で「帰国と言っておきながら、それは嘘だった。嘘の宣伝、嘘のシナリオによって移住させられた」と強調。
渡航した人々が直面したのは、劣悪な生活環境と自由の剥奪だった。市民的・政治的自由は存在せず、政府批判をすれば収容所送りとなり、出国は許されず、監視体制のもとで生きることを余儀なくされた。
1960年頃に北朝鮮に上陸し、2003年に脱北に成功した川崎さんは「極端に言えば息もつけない社会で、命をかけて脱北した人のみが自由を手に入れることができた」と証言する。

一審は却下・棄却も…高裁が「継続的不法行為」と認定

脱北に成功した川崎さんら5人は2018年8月20日、北朝鮮政府と金正恩国務委員長を相手取り、各1億円の損害賠償を求める訴訟を提起した。
訴えの内容は、虚偽宣伝により北朝鮮への渡航を決断させ、数十年にわたり出国を許さず、基本的人権を奪った「国家誘拐行為」と、脱北後も北朝鮮に残る家族との交流を妨げる「出国妨害行為」の2点だ。
なお、北朝鮮政府は訴訟に一切対応せず、裁判所は公示送達により金正恩氏宛の呼出状を東京地裁の掲示板に貼り出している。
2022年3月の東京地裁判決は、勧誘行為と北朝鮮での拘束を別個の不法行為と判断。
このうち勧誘行為については、北朝鮮政府が「朝鮮総連と共に、または朝鮮総連を通じて北朝鮮の状況について事実と異なる宣伝による勧誘を行ったことにより、原告らが北朝鮮の状況について誤信し、北朝鮮に渡航するとの決断をしたという客観的事実関係」を認めた。
ただ、勧誘行為については、民法改正前の除斥期間（不法行為の損害および加害者を知った時から20年）を理由に請求を棄却。さらに、北朝鮮国内での留置行為については日本の裁判管轄権がないとして却下した。
これに対し原告側が控訴。2023年10月30日の東京高裁判決では、原判決の取り消しと、差し戻しが言い渡された。
東京高裁は「北朝鮮での生活条件等につき事実と異なる情報を流布して北朝鮮への帰還（移住）を呼びかけて、日本から北朝鮮に渡航させ、渡航後は出国を許さずに在留させることにより、居住地選択の自由を侵害し、事前の情報と異なる過酷な状況下で長時間生活することを余儀なくされた」として、一連の行為を「継続的不法行為」と認定。
日本の裁判管轄権を肯定し「原審が除斥期間経過を理由として請求を棄却した部分についても、弁論を分離することなく審理判断の対象とすべき」として、訴えのすべてを東京地裁に差し戻した。
この判決を受け、弁護団の福田健治弁護士は「控訴審判決に基づけば、差し戻し審では基本的に勝訴判決が得られると考えている」と説明する。

「家族は生きているのかも分からない」

差し戻し審の第1回口頭弁論は10月29日に開かれる。
原告側が申し出た本人尋問は却下されたが、弁護団が原告それぞれの受けた苦しみについて、陳述する予定だ。
福田弁護士は「北朝鮮政府が行った深刻な人権侵害について、その責任を直接加害者である北朝鮮政府に問う初めての訴訟だ」と強調。
国連の調査委員会も北朝鮮の人権侵害を「人道に対する罪」と認定しているが、これを裁く国際法廷は存在しない中、「国内裁判所を通じて国境を超える人権侵害の責任を追及できることは、新しい展開だ」（福田弁護士）と意義を語った。
また、川崎さんも「やっと決着が迫ってきたと思っている。判決は、今も自由のない北朝鮮で苦しんでいる、約2300万人の北朝鮮国民のためにも重要で、今年中に完全な決着をつけて発表できることを祈っている」と述べた。
川崎さんの子供ら、親族の一部は同様に脱北に成功したが、今もなお、孫ら計12人が北朝鮮にいるという。
加えて、かつては手紙や国際電話、送金も可能だったが、新型コロナウイルス流行後、金正恩国務委員長が国境を完全封鎖してからは一切の連絡が途絶えた。
川崎さんは「12人の家族が生きているのか死んでいるのかも分かりません」として、次のように訴えた。
「たとえ手紙の交換だけでも再開してほしいですし、そのためにも北朝鮮政府の行為が法律面から見ても間違っている、と差し戻し審では認めてほしいです」


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