警察官の仕事でイメージしやすいのはパトロール(警ら)だろう。交番・駐在所の警察官が徒歩、自転車などで行う「徒歩警ら」、パトロールカー(警ら用無線自動車)による「機動警ら」がある。

110番通報を受け、現場に駆け付け、被害者から事情聴取することも珍しくない。
勤続約20年の警察OB・安沼保夫氏も現役時代、下着泥棒の被害者の通報を受け、現場に急行。事情聴取では「盗品」の特徴についてなるべく詳細に聞き取りをしなくてはならないが、モノがモノだけに、気まずい思いをしたという。
※ この記事は、安沼保夫氏著『警察官のこのこ日記』(三五館シンシャ)より一部抜粋・構成しています。

警察学校は‟2度卒業”して一人前

警察学校は2度の‟卒業”を経て、ようやく一人前と認められるようになる。
最初の警察学校が「初任課程」と呼ばれるのに対し、再入校は「初任総合課程」と呼ばれる。
2度目の入校は一人前の警察官になるための総仕上げで、通称「初総(しょそう)」。 「初総」は初任課程と違い、かなりゆるく、研修のような位置づけだ。
厳しい助教はおらず、実際、行ってみると、初任課程時代と打って変わって楽しかった。「初総」では男子のみの教場になったのだが、学生時代、共学しか経験していない私にとってその男子校ノリもそれはそれで面白かった。

先輩同行から単独の警らへ

総仕上げを終えれば、それまではいつも先輩と一緒だった午後の警らも単独で可能になる。
「警ら、行ってきます」と先輩に告げて、自転車で出発。警らの目的は基本的には職質検挙であるものの、晴れわたる空のもと、鼻歌を歌わずにはいられない。
110番通報にも単独で臨場できる。
ケンカや大きな事故には複数での臨場が原則だが、駐車の苦情、騒音の苦情、交通物件事故、酔っ払いの寝込み、迷い老人の確保などは1人での対応となる。

パンティー泥棒被害者を事情聴取

真夏の夜8時すぎ、ひとり暮らしの女性宅で侵入窃盗との110番があり、単独で現場に向かった。真新しいアパート2階にある一室のチャイムを押すと、チェーンロックを解除する音が聞こえて、30歳前後と思われる小柄な女性が部屋に迎え入れてくれた。
女性によると、朝出勤前にベランダに洗濯物を干していったのだが、夜帰宅して取り込んだところ、下着だけ盗られていることに気づいたという。
現場を確認すると、どうやら1階の駐車場に停めてあったバンを足がかりにベランダに侵入し、室内には入らず下着だけ盗って立ち去ったらしい。
物静かな女性で終始落ち着いて説明してくれたものの、不安げだ。ベランダとはいえ、ひとり暮らしの家に知らぬ人間が足を踏み入れたと思えば、心配になるのも無理はない。
被害品を確認しながら被害届を作成する。
被害者と雑談や談笑する警察官もいるらしいが、私は余計なことは言わないようにしていた。「たいした被害じゃなくてよかったですね」と言った警官がいたらしく、署にクレームが寄せられ、係長から「言動には気をつけろ」と指示を受けていたからだ。
「なくなっているものは、ほかに何かありませんか?」
「はい、盗られたのは下着の上下だけみたいです」
事務的に会話し、被害品欄に「ブラジャー、パンツ」と書こうとして手が止まる。ブラジャーはいいが、ズボンもパンツというし、混乱しないだろうか・・・・・・。うーん。
少し考えて「パンティー」と書いた。
「どんな色ですか?」
「あ、赤です」

詳細に聞き取りを行う理由

特徴欄にはなるべく詳細な特徴を書く。もし被害品が見つかった場合に「それ」であると特定するためだ。
「赤……真っ赤ですか?」
「…… はい」
「形は?」
「ふつうの……………」
「……………」
「柄とか、何か模様とかありますか?」
盗品の事情聴取とはいえ、本人の下着を事細かに聞く。会話内容だけならただの変態男。だんだん気まずくなってくる。
一応、パンティーの詳細は書き留めたが、聴取はまだ終わらない。時価の記載が必要なのだ。時価というのは、そのモノが一般的にいくらくらいで取引されるかということ。
たとえば、時計を盗まれたのであれば、国産の一般的なものと海外ブランドの高級品とでは大きく価格が異なるため、おおよその目安を記載しておく必要がある。
とはいえ、すでに着用した衣類でしかも下着となると(一部、高値で取引されているマーケットを除いて)古着屋でも買い取りNGで値段などつかないだろう。そんなことを考えつつ、
「時価を記載しなければならないのですが……500円くらいですかね?」。
私がそう言うと、女性の表情が変わった。
「そんなに安くありません!」
こんなことで署にクレームを入れられても困る。別に値段を高くしたところで被害女性にはメリットもない旨を丁寧に説明し、
「それじゃあ、1000円くらいでどうでしょうか?」
「まあ……………それでいいですけど」
女性もしぶしぶという感じで受け入れてくれた。
今回は室内へ侵入した形跡も見られないため、被害届をとり、「戸締りはしっかりしてください。今後もし不審者を見かけたらすぐ110番してください」と防犯指導をして完了となる。
おとなしそうな女性が「500円」と言われたときだけ表情が変わった。盗まれたのは勝負パンツだったのかしら?
■安沼保夫(やすぬま・やすお)
1981年、神奈川県生まれ。明治大学卒業後、夢や情熱のないまま、なんとなく警視庁に入庁。調布警察署の交番勤務を皮切りに、機動隊、留置係、組織犯罪対策係の刑事などとして勤務。約20年に及ぶ警察官生活で実体験した、「警察小説」では描かれない実情と悲哀を、著書につづる。


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