「リストカット=関心を引きたいだけ」は誤解 虐待サバイバー“生きづらさ”の科学的根拠とは…「貧困・孤立」負の連鎖の正体
子どもの時に虐待やネグレクト、家族間での問題を重ねた人ほど、その後の人生で苦しむ確率が高いーー。虐待の渦中を抜けても、病気や精神疾患、貧困、社会的孤立など、負の連鎖が続くことはさまざまなデータから明らかになっている。

一方で、逆境的な経験をしたことがない多くの人には、なぜ虐待サバイバーがトラウマを抱えて長期的に苦しむのか、その背景やメカニズムが十分に理解されていない。
こうした実情を周知して、適切な理解や支援が広まるよう、10月27日に参議院議員会館で院内集会が開かれた。虐待を受けた当事者や支援団体、研究者が集まり、支援体制の整備を求める提言を行った。(ライター・佐藤隼秀)

つらい人ほど「頼れる人がいない」

0~18歳までに虐待やネグレクトなど、トラウマとなりうる事象を経験した人を、学術用語で「ACE(=Adverse Childhood Experiences、逆境的小児期体験)」と呼ぶ。
ACEを経験した当事者が、成人以降も困難に直面しやすい事実を浮き彫りにするデータに『生涯学WEB調査』がある。これは2021年2月に京都大学が主体となり、全国の20~69歳の男女約2万人を対象に行われたものだ。
同調査では、以下の経験の有無を、10項目に分けて質問。これらの項目にまったく該当しなければ「0」、2つ当てはまれば「2」とスコアリングして、心身や社会状況との関連を分析する研究を実施した。
①身体的虐待:親や同居する大人から、叩かれる、物を投げられる、殴る蹴るなどの暴力を受けた
②心理的虐待:親や同居する大人から、傷つくことを言われたり、侮辱されたりした
③性的虐待:親あるいは5歳以上年上の人から、性的な行為をされた
④身体的ネグレクト:食事や日用品の用意、通学や通院などを、親がしてくれなかった経験がある
⑤心理的ネグレクト:家族の誰からも大切にされていないと感じていた
⑥親の別居や離婚
⑦親の死亡
⑧母親への暴力:母親が父親やパートナーから暴力を受けていた
⑨家族のアルコール・薬物乱用:家族や同居する大人に、アルコールの問題を抱える人や、違法薬物を使用する人がいた
⑩家族の精神疾患・自殺:家族や同居する大人に、うつ病などの精神疾患がいたり、自殺や自殺未遂をした人がいた
結果として、スコアが高ければ高いほど、健康や就業などのあらゆる領域で不利が生じやすいことが判明。
一例として、スコア「4以上」は「0」の人に比べて、「中卒の割合が約2.9倍」「離婚率が約1.9倍」「重度のうつ・不安障害が約4.0倍」「世帯年収300万円未満が約1.8倍」「悩みや心理的な問題が生じたときに頼れる人がいないと回答した割合が約2.7倍」などの数値が出た。
また示唆的なのは、少年院在院者564人において、「スコア1以上の割合が87.6%」と著しく高い数値を記録したことだ(『令和5年版 犯罪白書』より)。
上記のデータからも分かるように、多感な時期に虐待やネグレクトを経験した当事者は、渦中を抜けてもなおハンデを背負い続ける傾向が伺える。

「自己責任」で片付けるのは早計

では、なぜ虐待やネグレクトを経験した人のほうが、生きづらい状況に陥りやすいのか。大阪大学大学院人間科学研究科准教授の三谷はるよ氏は、上述のデータを参照しつつ、その要因を次のように語る。

「1つには、ストレス反応の調節不全による影響があります。ストレスホルモンの分泌のされ方が変わったり、免疫系に混乱が生じたりすると、心身に変化がもたらされるのです。
脳画像研究では、脳の形や機能が実際に変わることが確認されており、環境要因によって遺伝情報が多大な影響を受けていることを示す研究も進められています。
また、2つ目の要因として、ACEサバイバーの生き様を見ていると、さまざまな依存症との付き合いが見られます。
(トラウマにつながるような経験が原因で)情動調整や認知機能に負荷がかかり、それを緩和させるために飲酒や喫煙、薬物使用などを用いるケースがあり、当事者が適応手段として無意識のうちに行っている行為が、健康被害や生活の安定を損なう経路になっている場合もあるでしょう」

三谷はるよ准教授(画像提供/一般社団法人Onara)


一見、ACEサバイバーの苦悩は表面化しづらい。当事者が精神疾患や貧困などの問題を抱え続ける中でも、周囲からすれば「なぜしんどい状況でも周りを頼らないのか?」「離婚や別居を繰り返してしまうのか?」といった疑問が浮かぶ。
しかし当然ながら、子どもは親や家庭を選べるわけではなく、つらい環境に適応するためにアルコールや薬物に頼り、結果的に生活水準が下がっているケースも多い。こうした背景を知らずに、ACEサバイバーの苦悩を「自己責任」と片付けてしまうのは早計だ。
当事者からすれば、周囲からの理解が得られず、それが原因で二次的に傷つき、余計に塞ぎがちになる悪循環が生じてしまう。前述した「悩みや心理的な問題が生じたときに、頼れる人がいないと回答した割合が約2.7倍」という結果も、周囲の理解が及んでいないがゆえの証左とも言えるだろう。

「リストカット=関心を引きたいだけ」は誤解

では、ACE経験を持つ当事者に対して、私たちはどう理解して、接すればいいのか。
その補助線を引いてくれるのが、同じく集会に登壇した兵庫県立尼崎総合医療センター小児科長の毎原敏郎医師だ。
毎原医師は、ACE経験が影響して発達性トラウマ障害を抱えた人の診断基準を引き合いに、当事者らに共通する傾向を説明した。

一部を紹介すると、当事者は「自分自身を愛されるに値しない存在だと感じる」「安定した愛着関係を築けず人間関係に極端な不安を覚える」「ストレスや挑発に対して過剰に攻撃的な反応を見せる」など、感情面の調節が難しい傾向が見られるという。
加えて、身体面の調節も難しい傾向が見られる。睡眠障害や過食症のように生理的欲求のコントロールが難しかったり、自身が抱える不安やストレスを和らげるためにゲームや薬物に頼ったりと、過去の逆境体験が行動面や身体症状として表出するパターンも多い。
これら発達性トラウマ障害の仕組みを知ると、当事者の問題行動や態度も見方が変わってくる。傍から見たらわがままや反抗的に映る人も、他人との距離感や共感能力に折り合いがつかないのだと理解できる。あるいは過食や寝坊を繰り返して怠惰に見える人も、実はトラウマから逃避するための行為だと察することもできるはずだ。

毎原敏郎氏(画像提供/一般社団法人Onara)

「例えば、学校でいじめや暴力を振るう生徒がいた場合、発達性トラウマ障害の仕組みを知らなければ『乱暴だ』『親の躾が悪い』と片付けてしまっていたかもしれません。ただひょっとしたら、家庭で両親から受けた虐待によるトラウマを、同級生に再現しているのではないかという見方が生まれます。
また、リストカットなど自傷行為を考えた時に、『関心を引きたいだけ』『身体を大切にしなさい』という関わりはおおよそ無意味です。実際は心の痛みから意識を逸らすため、あるいはボーッとしている乖離状態から回復するために身体を傷つけていると置き換えて考えられる。
もちろん暴力や自傷行為は容認できるものではありませんが、理由や背景を知らずに止めるのも問題につながります。
私たちに求められるケアとは、まず当事者が生き延びてきたことを肯定して、どうしてそうなったのか、またどうしたら良いのかを、支配的にならず共に考えていくことです」(毎原氏)

「人は何度でも立ち上がれるはず」

傍から見れば、適切に人間関係を構築できない人も、生育環境や生い立ちを辿れば「生き延びるための行動」だったことが見えてくる。
今回の院内集会で登壇者らは、世間から着目されてこなかったACEサバイバーの一面を周知するとともに、適切な支援や理解を呼びかけた。
集会の主催者である、一般社団法人『Onara』代表理事の丘咲つぐみ氏もまた、ACEサバイバーの当事者で、現在は当事者の支援活動に尽力している。
丘咲氏は会の終盤、以下のように統括した。

丘咲つぐみ氏(画像提供/一般社団法人Onara)

「虐待などの逆境体験は、子ども時代で終わるものではなく、大人になっても影響が続いていきます。しかし、周囲の理解と支えがあれば、人は何度でも立ち上がることができるはずです。
私は『Onara』の活動を続けるなかで、逆境経験を生き延びてきた当事者が、自ら命を断つ選択をしなければいけない状況をどうにかしていきたいと願っています。
今回の集会が、これからの政策作りや社会のまなざしを変えるきっかけになればと思います」
■佐藤隼秀
1995年生まれ。大学卒業後、競馬関係の編集部に勤め、その後フリーランスに。ウェブメディアを中心に、人物ルポや経済系の記事を多く執筆。趣味は競馬、飲み歩き、読書。


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